Mayで音響を担当してくださる大西さんから「チョリ、くじら企画に出演してみぃひん?」とお誘いを受けたのは自劇団の公演の打ち合わせの時。
「ホンマですか!?」と驚いた。
自分があの空間に立てる事は絶対無いと思ってた。
過ぎ去った時間に縁が繋がっている不思議を、この年になると最近感じる事が多い。
まだ演劇を始めたばかりの二十代前半のペーペーの頃、あみゅーずとらいあんぐるに客演のお誘いを受けて、あの時に演劇の先輩たちとたくさん出会った。
その中に同年代の客演の女優さんがいて、知り合ったきっかけを自劇団の運営のために学びたくてその方に「次のそちらの公演のバラしを手伝わせてください」とお願いした。
今は無きスペースゼロで行われている公演の知らない人々の中に飛び込んで何も知らないままに右往左往しながら作業を終えた後、ゼロの階段の近くで代表の方からご挨拶を頂いた。
そして手伝ってくれた御礼にと、劇団のTシャツを頂いた。
首元に「犬の事ム所」というマークがあった。
まだ色んな人と出会えていない若さだったので、御縁を頂いたのが嬉しかった。
今思い返すとその人が大竹野正典さんだった。
けどその後大竹野さんの作品を観る機会が合わず「犬の事ム所」が「くじら企画」へと空間を移した事だけは知っていて、年数がたくさん過ぎた。
2009年は自分が大韓民国から入国不許可をくだされて身辺が大きく揺れた激動の数年間の始まりで、そんな中で大竹野さんの訃報を知った。
15年近く前のまだ認識もできてあなかった一瞬の出会いでは、近辺が揺れ動く悲しみの中には入れなかった。
門外から、小劇場という世界の大きな存在が去ったのだなという事実を知る。
追悼公演を知って足を運んだ。
名優秋月雁さんのラストシーン、包丁を握って狂気と悲しみの混沌に叫ぶ姿に震えて、何故もっともっと以前から観なかったのだろうと悔やんだ。
酒の席を共にした大西さんが「生きてる間はほとんど観に来なかったけど、亡くなった後は満席やもんな」と少し悔しそうに呟いた姿に、僕も追悼の波に漂った申し訳なさを感じた。