総序 6 七祖の師訓と撰集の意楽 | 親鸞雑読

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六節 七祖の師訓と選集の意楽 6

 ここに愚禿釈の親鸞、慶ばしいかな、西蕃・月支(がつし)の聖典(しょうでん)、東夏・日域(じちいき)の師釈、遇いがたくして今遇うことをえたり。聞きがたくしてすでに聞くことを得たり。真宗の教行証を敬信(きょうしん)して、特(こと)に如来の恩徳の深きことを知りぬ。ここをもって、聞くところを慶(よろこ)び、獲るところを嘆ずるなりと。
 西蕃  支那より印度を指していう語。西にあたる蕃(えびす)の国の義。支那人は自国以外をいやしめて蕃国夷国という習慣あり。
 月支  都貨羅(とがら)(Tukhara)といい、迦膩色迦(かにしか)王(Kaniska)の支配せし国。すなわちケン駄羅王国(Gendhara)のこと。この国の種族はもと支那の祈連山(きれんざん)と敦煌(とんこう)との間におったのであるが、紀元前二世紀に匈奴に追われて、熱河の南方にのがれて、これを第二の根拠地とし、間もなく、また烏孫(うそん)族のために追われてサマルカンドの附近にのがれ、茲に大夏国を滅ぼして第三の根拠地とした。紀元一世紀から二世紀へかけて、盛大をきわめ、時の王迦膩色迦は仏教の大外護者であった。紀元五世紀に土耳古族のために滅ぼされてしもうた。
 東夏  支那のこと。夏は大の義で、支那人自ら自国を称して華夏、中夏というのである。いまは西蕃に対するから東夏という。 
 日域  日本のこと。支那の東に当たりて、日輪のいずる国であるから、日域という。支那人からいうたもの。(78p)

☆頭注
◇ここに… 本書作成の理由を述べる。→補
親鸞 →補
西蕃 インド
月支 現在のパキスタン、アフガニスタン、西域にわたる国名
東夏・日域 中国・日本
如来 いま主に阿弥陀仏を指す。  (11p)

☆補注
ここに愚禿…嘆ずるなりと(一〇15)の一段は、インド・中国・日本の浄土教伝統の諸祖の教えを深く聞信して、弥陀本願力救済の深いご恩を味わいつつこの教行信証を書くとの意味を示す。「西蕃月支の聖典」は無量寿経(大経)・観無量寿経(観経)・阿弥陀経(小経)の三部経と竜樹(200頃)の十住毘婆娑論、天(世)親(450頃)の無量寿経優婆提願生偈(浄土論)などを指す。「東夏日域の師釈」は中国の曇鸞(476-550?)・道綽(562-645)・善導(613-681)などの論釈、日本の源信の往生要集、法然の選択集などを指す。

親鸞(一〇15) 自撰の法諱。叡山にあった頃の名は範宴。父有範の片諱をとったのであろう。法然の門に入り綽空と改名、法然一門が一二〇四(元久元)年十一月七日延暦寺の非難をなだめるために定出した七箇条起請文にも「僧綽空」の署名があり、その翌年四月十四日選択集を書写したとき、内題等十四字とともに「釈綽空」の字を法然が自筆で書き与えている。次いで夢告により善信と改名、同年閏七月二十九日、法然から善信の名を書き与えられた。(二五八頁八行補注参照)。親鸞の法諱を自撰した年月は詳かでないが、「論主」として仰ぐ天親(世親)と、「宗師」として依る曇鸞の名から各一字をとったものと考えられる。(家永)  (426p)




(’13/06/17加筆)