2014年6月1日【日野】
◇土方歳三資料館
高幡不動からモノレールに乗って一駅、万願寺駅から歩いて5分程のところにあります。
土方さんの生家跡に設けられた、ご子孫の方が運営されている資料館で
土方歳三ゆかりの遺品70点余りが展示されています。
さらっとみれば、10分で十分。
けれど展示をしっかりすみからすみまでみたら、1時間かからないくらいでした。
土方さんの生家は元々、稲荷森(とうかんもり)の東後方にありました。
しかし弘化3年6月末、土方さんが12歳の時に
長雨による増水で 多摩川の堤防が決壊、洪水になり被害を受けました。
残った母屋等を移築して、現在の場所となったそうです。
その建物も傷みが進み、平成2年建替えに。
現在は、幼少の頃風呂上がりに相撲のぶつかり稽古をしたという
当時の生家の大黒柱が梁にあしらわれています。
また武士になって名を揚げんとの願いを込めて土方さんが自らが手植えした矢竹も。
さて展示内容は、土方さん好きには鼻血がでそうな内容です。
ぜひ足を運んで見てほしいですね。
(σ・∀・)σ 注目展示 その1「石田散薬のちらし」
新選組ファンには何かと人気のある石田散薬ネタ。
私も大好きで、資料館で手に入れた石田散薬のエコバッグを愛用しています。
さて、展示には実際に薬を製造する際に使用した道具やあの薬箱の展示もあります。
さらには、当時の顧客名簿や、卸していた先の分布地図も!!
新選組を題材にしたアニメや漫画では、
若かりし頃の土方さんが薬箱を背負っているシーンをよく見かけます。
ちなみに「るろうに剣心」では斎藤一がこの薬箱を背負って登場するシーンがあります。
で、私の興味を一番引いたのは「昭和のチラシ」。
石田散薬が昭和に入っても流通していたということを知らなかったので、ちょっとビックリ!
薬事法の改正(昭和23年)までは作られていたようです。
しかもチラシの文句には
「新選組も使ってたよ!日清・日露戦争の兵士も使っていたよ!!」
っていうような内容があってさらにビックリ!!
「新選組も使ってたよ」というのは、当時の世相を考えると売り文句になったんだろうか?
なんて思いつつ、最期まで読むと…
「熱燗で飲め。まぁどうしてもというなら白湯でも構わんが…」
というような内容が書いてありました。
とある新選組を扱った作品の影響で、
「石田散薬」は熱燗で飲むのが流儀?だと思っていたのですが。
「白湯でもいいんじゃんか!!」と私は心の中で呟きました…。
(σ・∀・)σ 注目展示 その2「土方歳三 愛刀 十一代和泉守兼定」
慶応3年、兼定に京都で鍛えさせたもので、
京都守護職会津藩主 松平公より授かったといわれる土方さんの有名な愛刀です。
土方さんが函館で戦死した後、遺品として生家に届けられたものです。
土方家のご子孫で、現館長の土方愛さんと少しお話をさせてもらったのですが、
その時にこの刀の話がでてきました。
展示をみるとわかるのですが、柄巻がボロボロなのです。
今でいえばテニスラケットのグリップと同じで、柄巻はある程度痛むと巻きなおすそうです。
それがボロボロのまま残っている・・・。
おそらく戦の中、巻きなおす余裕もなかったのか、巻きなおせる人がいなかったのか… とおっしゃっていました。
でもボロボロのおかげ?で、土方さんの刀の握り方の癖が解明できるようです。
文章で表現するのは、私には少し難しいので
興味のある方は、愛さんに直接お話を聞いてみてください。
なお、刀身は年1度の限定展示です。
(σ・∀・)σ 注目展示 その3「土方歳三の写真」
死の数日前に函館市内の写真館で撮影したとも伝わっている
土方歳三の洋装写真はとっても有名ですよね。
それまでまじまじと眺めることがなかったので気づかなかったのですが、
展示されている写真を見比べてて、二種類あることに気付いたのです。
▼市村鉄之助が土方自身に命じられて、佐藤彦五郎に届けたとされるもの
▼もう一枚の写真
愛さんにお話によると、
当時の写真は天気の良い日に屋外で撮影し、かつしばらく動いてはいけませんでした。
(動かないように、椅子の背には首を固定する枕みたいなのがついているそうです)
天気や動きでブレブレ写真ができてしまう場合もあるので、
当時は二枚1セットで撮影する風習があったそうです。
この写真もおそらく二枚1セットで、同じ日に撮影されたものじゃないかということでした。
そのうちの一枚が遺品として届けられたんですね。
<土方歳三資料館>
交通:日野市石田2丁目1-3
多摩モノレール「万願寺駅」
開館日:第一・第三日曜日の12時から16時
入館料:500円
http://www.hijikata-toshizo.jp/
※中は写真撮影NG
<つづく>