アルバム『LOVE』再々発盤の写真解説 | It's so nice!

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2011年12月14日(水)CDアルバム『LOVE』をリリースしたso niceのブログです。『LOVE』やライブに関する情報などをお知らせします。Twitterはこちら→http://twitter.com/sonicelove

明日7月29日(水)のアナログ盤 再々発に際して、2013年の再発時に歌詞カードの裏面に掲載(今回は『History of so nice』の裏面に掲載)した写真を一部入れ替えましたので、改めて全29点の写真解説をUPいたします。

  

一介の学生アマチュアバンドの取るに足らない写真ばかりですが、アルバム製作時の時代の空気は感じていただけるかと。ご興味あればご参照ください。

     

 

●1段目

Recording engineerを務めた松浪の自宅マンションの和室に並んでいた録音機材。テープデッキは、左がTEAC TASCAM 33-2(2 track)、右がTEAC TASCAM 33-8(8 track)。

TEAC TASCAM 33-8(8 track)の購入者は、都内では松浪が2人目。当時の価格で総額100万円ほどの録音機材を揃えていた松浪が協力してくれたからこそ、アルバム『LOVE』はこの世に生まれて来ることが出来ました 〈1979年〉

  

  

Recording engineerの中西(右)とミキサーを操るフリをする鎌倉。松島の自宅に中西所有のTEAC TASCAM 33-4(4 track)とミキサーを持ち込み、KORG Polyphonic ensembleを録音した時に撮影 〈1979年〉

  

  

ドラム、ベース、アコースティックピアノを録音した日本大学藝術学部 映画学科のスタジオでグランドピアノに向かう松島。

実習用の立派なスタジオを使わせてもらえたのも、映画学科で録音を学んでいた中西がアルバム制作に力を貸してくれたから。録音からジャケット制作まで。アルバム『LOVE』は、たくさんの友人たちの惜しみない協力なくしては制作出来ませんでした 〈1979年〉

  

  

放送学科の録音実習に呼んでいただき、演奏した時の写真。調整室でひと休みの中村 〈1977年もしくは1978年〉

  

  

映画学科のスタジオで録音中の鎌倉。春からの社会人生活を目前に、作詞・作曲・アレンジを中心になって手がけ、アルバム制作のリーダーシップを取り…。その情熱が40年以上経った今も変わらず音楽活動を続ける原動力になっています(ホメすぎ?笑)〈1979年〉

  

   

●2段目

松浪の自宅マンションのキッチンでギターの録音に臨む坪井。モーター音が入らぬよう、右奥に見える冷蔵庫のスイッチを録音の度にオフってました 〈1979年〉

  

  

映画学科のスタジオでドラムを録音中、プレッシャーから来る胃痛に悩まされ続けた森。さもありなん、これだけのマイクに囲まれたら、誰でも緊張いたします 〈1979年〉

  

  

Fender RhodesでA面5曲目『Tight Night』の間奏のソロを弾く宮口。これも松浪の自宅マンション。奥に見える食器が、録音場所がキッチンだったことを物語ってます 〈1979年〉

  

  

映画学科のスタジオでベースを弾く竹内。多忙な就職活動の中、収録曲の半数のベースを担当してくれました〈1979年〉

  

  

竹内に代わって半数の曲のベースを担当してくれた長南。映画学科のスタジオで録音の合間に、本来の担当楽器であるドラムの腕を披露するの図 〈1979年〉

  

  

●3〜4段目

日藝フォークソングクラブの定期演奏会『ONE STEP CONCERT』でのステージ。SUGAR BABEの『小糠雨』を演奏中。この時の同録ではないですが、翌年、大学の教室で録音した音源がYouTubeにUPされています。ラジカセ録音ですが、よろしければぜひこちらから〈1977年〉

   

  

長野・北軽井沢の『MUSIC STATION きたかるほりでぃセンター』での合宿時。前列センターは森。後列左から、吉田・竹内・中村・鎌倉・松島〈1977年〉

  

  

●3段目

松島の自宅にてキーボードパートの録音中。キーボードの上に乗っているのは、鎌倉が駆けずり回って探し、借りてきた伝説のコーラスマシーン CE-1〈1979年〉

  

  

映画学科のスタジオでドラムとベースの録音中、グルーヴを合わせるべく、ギターを弾きつつ仮歌を唄う鎌倉〈1979年〉

  

  

●4段目

日藝フォークソングクラブ夏合宿@山梨・富士五湖の発表会。左から鎌倉、森、中村、竹内〈1978年〉

  

  

●5段目

JET SET下北沢店でアナログ再発に先駆けて到着したサンプル盤をチェック中の松島。ラベルが真っ白のサンプル盤を見たのは人生初。これからも大事に保管したいと思います 〈2013年〉

  

  

ULTRA VYBEよりアルバム『LOVE』をCDでリイシューしていただくにあたってのリマスター作業時、記念の1枚。前列は鎌倉。後列左から竹内、松島、森〈2011年〉

  

  

CD『LOVE』のライナーノーツを書いてくださったLight Mellow 金澤寿和さんにインタビューしていただいた日にULTLA VYBEにて。左から鎌倉、金澤さん、松島〈2011年〉

  

  

●6段目

CD『LOVE』のリリース祝賀同窓会。前列左から松島、CD『LOVE』ご担当のULTRA VYBE 笠嶌さん、中村、竹内。後列左から児玉、鎌倉、森 〈2011年〉

  

  

オリジナルアナログ盤のビジュアルデザインを担当してくれたフォークソングクラブの仲間、山口を通じてかたおか修壱さんにイラストを描いていただけることになる前に、鎌倉が自ら描いていたジャケットの下絵。前回のアナログ盤再発時にはモノクロ版を載せたので、今回は着色後のものを。ナイアガラ・レーベルのロゴを真似た右下の“Niigata”のロゴにご注目 〈1979年制作〉

  

  

ベーシスト 伊藤広規さんのチャリティーイベントが行われた東京・中野のレコードショップ『レコミンツ』前で。左から広規さん、鎌倉、松島。チャリティーにはCD『LOVE』も参加させていただきました。この時のレポはこちらから〈2011年〉

   

  

●5〜6段目

CD『LOVE』リイシュー時、TOWER RECORDS 新宿店さんにご挨拶に。前列左から中村、松島、CD『LOVE』の盤面デザインや、アナログ盤『LOVE』の再発、再々発に関するジャケット全般を担当してくれた森本。後列は左から竹内、森。この時のレポはこちらから〈2011年〉

  

  

日藝フォークソングクラブ夏合宿@富士五湖にて練習の合間に。上から中村、鎌倉、竹内〈1978年〉

  

 

●7段目 

東京・新橋で行われた『伊藤広規セッション』にて満面の笑みの鎌倉(左)。中央は山下達郎バンドの不動のベーシスト・伊藤広規さん、右はSUGAR BABEのギタリスト・村松邦男さん。村松さんには『so nice with 村松邦男』としてライブで度々ご一緒していただくなど、お二人にはその後も大変お世話になっております〈2012年〉

  

  

鎌倉がTIN PAN ALLEYのコンサートでSUGAR BABEとの運命の出会いを果たし、ロビーですぐに購入したエレック盤のSUGAR BABE『SONGS』。右下はその時、『SONGS』に付いてきたメンバー全員のサイン色紙。

帯の上にちょこんと乗っている三角の物体は、達郎さんのコンサートのスタッフを務めていた知人を通じていただいた、達郎さん愛用のピック。右上の小さなタンバリンは、新潟でのコンサートの際に、ステージに立つ達郎さんにプレゼントを手渡した鎌倉の三男(当時小学校6年生)に達郎さんが下さったもの。

どれも大切な宝物です 〈レコードは1975年購入/ピックとタンバリンをいただいたのは1998年〉

  

  

日本ビクター主催『大学対抗フォークコンテスト』@東京・高田馬場BIGBOXの優勝トロフィーの銘板。この時の審査員のひとり、杉真理さんとは数十年後に再会し、改めて感謝の気持ちを伝えることができました 〈1978年受賞〉

  

  

名盤シリーズキャンペーン実施時のTOWER RECORDS 新宿店の店頭。名盤として取り上げてくださったことだけでも恐縮なのに、達郎さん、まりやさんのすぐ下になんと一段フル展開。そして「一生推し」とコメントしてくださったPOP…。

  

日本中のあちこちでこうして応援してくださる方々のおかげで、たくさんの方にお聴きいただき、so nice family一同、心より感謝いたしております!〈2019年〉

  

  

こちらはTOWER RECORDS 渋谷店。70〜80年代のシティポップが再び脚光を浴びる今、一介の学生アマチュアバンドがあくまで自分たちの記念のために自主制作した作品にも注目していただけること、有難い限りです〈2019年〉

 

   

   

鎌倉が楽曲を提供している新潟のご当地アイドル『RYUTist』。1979年に自主制作した『LOVE』のオリジナルバージョンと〈2017年〉