「はんなり」は語源の「華あり」から違った意味に使われます。

上品、優しい、控えめといった意味です。

そんな「感じ」の「はんなり半襟」を紹介します。

千鳥と雪輪。

柄は左胸だけにあります。

 

音符と隈取り。

 

藤と観世水。

ほんの一分ですがお顔を優しく引き立ててくれます。

天気予報を見る場合、新聞やネットの予報は当てになりません。

晴れが続いていても曇りマークが続いたり。

そんな時見るのが「雨雲レーダー」

これは実際に雨を降らせている雲の動きを二時間程前から見る事が出来、一時間後の予想迄。

これが一番。

 

今回の西日本豪雨でも何十回と見ています。

これほどの豪雨災害が起きそうだと素人の私にも分かる雨雲の動き。

「線状」ではなく「帯状」の降雨帯が連続していました。

九州から近畿に掛けて広めで、何度見てもずっと。

 

幸い、京都に住む私には早朝から緊急避難のメール着信が鳴りっぱなし。

桂川はあわやという所迄増水しましたが、鴨川は一分土手が崩壊したものの、避難命令程の増水はありませんでした。

小さい時鴨川から溢れた水に小魚が泳いでいた事を思い出します。

それから比べると屁の様なもの、何はともあれ助かりました。

 

しかし、岡山、広島、愛媛は悲惨。

被害状況を見ると、京都程避難勧告が出されていたのか疑問です。

問題はもっと上の政府にもあったのでは。

刻々と被害が深刻に発表されても政府の顔は全く見えてきません。

その上、関係の無い会議をしていたとか。

その中には被災地域選出の国会議員も参加。

関東以外は日本に見えないのかも。

野党も含めて国会議員全員首にすべきです。

子孫の為に良質な政治家を生み出す具体的な方法はないものでしょうかね。

仕事柄、扱うのは殆どが絹の生地です。

狭いながらも少し蘊蓄を垂れてみたいと思います。

但し、私の思い込みもあるかも知れませんので、その点はよろしく。

 

絹は一時は日本の屋台骨を背負う一大産業でした。

品質の高さが世界に認められていたのです。

それは安価で摩擦に強いナイロンができる迄でした。

 

化繊の糸は一本の長さが言わば無限、それに引き換え自然界が生んだ糸は綿やウールで数センチから長くて十数センチ。

麻ならもう少し長いと思います。

それに引き換え、絹糸は一本の長さが1キロから1.3キロあります。

自然界から生まれた糸はそれを撚り合わせる事で衣類に使える糸にしているのです。

一本が短ければ糸の表面はささくれ立っているのが普通。

なので滑りが悪いのですが、絹は1キロの長さがあるので絹独特の肌触りが生まれました。

 

絹の良さはその生まれに寄ります。

命を守る為にだけ生み出した糸、その保温性、吸湿性や排湿生は他の糸をはるかに凌駕しています。

絹で一番の欠点が摩擦に弱い事、乾燥時はそれほどではないのですが、湿気を帯びた時は可成り損傷を受け易くなります。

その点は麻や綿に負ける所です。

 

もう一つの欠点は生産に神経と多大な手間が掛かる事。

お蚕さんとかお蚕様と呼ぶ程親身な世話が必要でした。

日本で輸出のトップだったのは安価な労働力があったからとも言えるのです。

その日本より遥かに安価な労働力のある中国からの輸入が解禁されたとたん、日本の絹生産はほぼ終了しました。

 

ところが中国の労働単価が急激に上がれば絹糸の価格も連動して上がります。

それでも、その労働の価値としての絹の価格はまだまだその対価としては安価過ぎます。

 

化繊であるシルックと価格に大差がないなんて有り得ない事。

絹に付いてはまだまだお知らせしたい事がありますが、暴投している絹の白生地がまだまだ本来の価格からすると安価だという事を知っておいて欲しいと思います。

 

我が工房のお客様の大半が女性、着物屋だから当り前ではあります。

しかし、男性から注文を受ける事も少なくありません。

 

日本男児として偏った見方を言いますと、着物姿は女性より男性の方が良く似合います。

着物を着ただけで品格が上がってしまうのです。

 

この事を知らない日本男子の多い事。

勿体ないと思いませんか?

 

着る事自体も女性より簡単、着崩れもすぐ自分で修正出来ます。

男性諸君、本当のお洒落に挑戦しては如何?

 

ちょっと着慣れてくると襦袢や羽織の裏に凝ってみたくなります。

大きな般若や鬼を描いた事があります。

大津絵の鬼も。

そんな時はお声をお掛け下さい。

フランスでのテロは可成り衝撃的でした。
ISの無差別テロは単に人を殺すのが目的に思えます。
イスラム教の教義にも反しているのが明白ですが、洗脳されたとしか思えない行動。

先日、この事をある政党が街頭演説、「このテロが行なわれた」と言っているのに驚きました。
正当な行事の様な言い方に違和感がありました。
街頭演説が好きな彼の政党です。
京都では既に市長選挙の候補者名まで叫ぶ事前運動の名家。


このテロに対して世界は断固たる対決を表明しています。
しかし、このテロリストは世界が騒げば騒ぐ程強烈な達成感を抱くのです。
フランス人でかつて誘拐されたジャーナリストがテロリスト達の実態を明らかにしました。
それに寄ると彼らは狂信的ながら幼稚で単純だとか。
最も畏れるのは彼らの戦いが「聖戦」ではないと認識する事。
最も辛いのは「静かなる軽蔑」だとか。

事がここまで来れば静かなる軽蔑だけで済まない事は分かっていますが、対決を力強く表明すればする程彼らが強くなるのも事実。
この矛盾に世界がどう対処するのか。
解決の道筋は全く闇の中です。

テロと言っても種類があります。
ケネディの暗殺や安重根の伊藤博文の暗殺の様に個人を狙ったものと不特定多数の無関係の人を狙ったものとに分けられると思います。

人間には潜在意識にサディズムやマゾヒズムが潜んでいると言われています。
漁をして満足感を得るのはサディズム、マラソンなど身体の限界に挑むのはマゾヒズムの達成感という人も。
その潜在意識のサディズムが増幅して異常を来したのが無差別テロと言う訳。
貧困や差別が引き金になったとは言え、聖戦というお墨付きがその異常さを封印したと思われます。

個人の暗殺には已むに已まれない動機に一抹の理解すべき点も無いとは言えません。
ケネディの暗殺は闇に包まれていますが、伊藤博文の暗殺は思い違いという偶然的なものでもあります。
反日の英雄視されている安重根ですが、日韓併合を進めたくなかった伊藤博文を暗殺したのは彼の勘違いの思い込み。
彼は明治天皇や日本政府がアジアを西洋支配から立ち上がるべく後押ししている事に賛意や感謝の言葉を述べています。
理性的な彼なら本当はこの暗殺は有り得なかった。

テロ、殺意の目覚めはどうして起こり得るのでしょうか。