ジョン万次郎の帰国航海の一部始終(その4)

 日本に帰っても、まるで相手にされないはずの万次郎が、なぜ?



 一昨日の公判において、ジョン万次郎の手紙が、手紙文の解析結果いかんでは重要な物証になることが予告され、昨日はそれほど重要な手紙が運命的に書かれた経緯が明かされました。本日の公判では、いよいよ、手紙文の解析が行われます。

 開廷と同時に、秦野裁判長がいいました。

「昨日は、つい、感銘に浸りすぎた。本日は極めて論理的に、かつ冷静に審理を進めたい。さあて、お立会いで、引き続き、検察官に論述書の代読を頼みたい」

「承知しました」

 以下は、長井検事による秦野裁判長の論述書の代読です。

          

 物証の少ないジグソーパズル仮説『レインボウ・オブ・オーシャン』ではあるが、ジョン万次郎の自白調書ともいうべきホイットフィールド船長に宛てた手紙が現存するのは、さいわいというほかない。

「ここより北、そして西へと航海し、琉球上陸を試みます。うまく帰国できれば捕鯨仲間のための避難港を開くべく努力します」

 以上の文面から新たな疑問が生まれる。

日本では鰹釣の船に出稼ぎで乗り組んだ臨時の見習い漁師にすぎないジョン万次郎が、日本に帰国したとして何ができるというのか。それなのに「捕鯨仲間のための避難港を開くべく努力します」とまで書くのはおかしくないか。

こうした疑問を持つことがなかったら、歴史の考証は始まらない。

 手紙の文章、発言を記録した文章は、暗喩や省略が含まれるから、ストレートな引用はさけなければならない。ジョン万次郎の場合は、手紙だから「いつ、だれが、だれのために、何のため、どうやって」という要素別に言葉を因数分解したうえで、白紙から構成し直すとよい。すると、「弘化四年以後、ジョン万次郎が、捕鯨仲間のために、避難港を開くべく、琉球上陸を試みます」という構成になり、「ただし、うまく帰国できれば」という但し書きがつく。

 ここで、観点を変えて、手紙の文章を主語と述語、修飾語に分けて考えてみよう。琉球上陸を主語に取ると、述語には「うまく帰国するため」という目的ないしは前提条件がくる。ジョン万次郎の手紙は、本人自筆の本物だから、かくして但し書き条項に、彼の本音が問わずして語られていることが判明する。

 よくよく考えると、いうまでもなく「うまく帰国できれば」という表現には深い意味が隠されていたわけである。ただ単に帰国することよりも、「うまく」帰国するほうに意味と比重があって、どうやらジョン万次郎の隠された意図はここにあるらしい。となると、当然、うまく上陸するという表現は、副詞的に巧みに変容して、「避難港を開く」の語にかかっていく。

 意味が正しく通じるような手紙文として、再構築し直すと、

「捕鯨船の避難港を開くという目的を果たすには、うまく帰国する必要があり、そのためにも琉球上陸は必須の条件です。私は琉球上陸のチャンスを待ちながら、ここより北へ、西へと航海に出ます」

 阿吽の呼吸でコミュニケーションを取り合うホイットフィールド船長宛に書く手紙だから、こうして因数分解する前のような省略の多い文章になるのであって、事情に疎い第三者に読ませる場合は、こうして言葉を補って完成させる必要がある。事実、ジョン万次郎は、手紙に書いた通りの行動を取ったのだから、あとは「どうして琉球上陸なのか」「ここより北、そして西へと航海するのはなぜか」という疑問に答えていくばかりである。ただし、何もかもここで解き明かしてしまったら先々の楽しみが薄れてしまうので、当面は予告にとどめておくとしよう。

 さて、ところで……。

ジョン万次郎がアメリカで暮らすようになったのは、天保十四(一八四三)年のことであり、ビッドル提督が浦賀に来航した弘化三(一八四六)年当時、彼はバートレット・アカデミーを卒業して捕鯨船フランクリン号に船室係として乗り組んだばかり。そして、ホイットフィールド船長に宛てた手紙をグアムに留め置いたのは、その翌年すなわち弘化四年のことだった。

          

 長井検事がここまで読み進むと、秦野裁判長が発言しました。

「そもそもの疑問が、ジョン万次郎帰国の必然性の有無である。ジョン万次郎の手紙は、まさか、後世にまで手紙が伝わり、公表されるとは夢にも思わないで書かれたもので、しかも当事者のホイットフィールド船長に宛てたものだから、率直極まりない。書かれたミッションの重大さから考えて、背後に公的な支援者なり命令系統の存在が感じられてならない。そこで、長井検察官の意見を聞きたい」

「そうですね」

 長井検事はそういって、しばらく考えてから答えました。
「万次郎は、アメリカで暮らしてこそ、一等航海士ですが、士農工商の身分制度下の日本に戻ったら、一介の鰹釣り漁師にすぎません。それがわからないはずがないでしょうから、ジョン万次郎が帰国を決意するからには、自分以外の何かから強く働きかけを受けたのは、確かなようです」

「そこまでで、十分。今の段階では、ジョン万次郎やホイットフィールド船長の考えで帰国航海が決行されたのではない、そのことに理解がいってくれたらいうことはないわけで、問題は、しからば、だれの命令かということだが、伝蔵や五右衛門でないことも確かだ」

「すると、ブキャナン?」

「そこへ、持っていきたいところだが、そうした期待をバイアスにすることは絶対に避けなければならない。そのためにも、ここで、再度、ラナルド・マクドナルドの偽装漂着について触れる必要がある。つまり、マクドナルドの偽装漂着とジョン万次郎の帰国航海は、お互いに連動して実行に移された可能性が高いわけだ」

「確かに。そこから疑問点を潰してかからないと、次へ進めそうもありません」

「長井検事は、わかりが早いから、助かる。次回はマクドナルドの偽装漂着とジョン万次郎の帰国航海との関連に目を向けることにして、本日は閉廷することにしたい」

 こうして、本日は閉廷の運びとなりました


(つづく)




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