昨日準備した飴と折り紙の包みを持って登校していった次男。
「今日は絶対Nota(注意書き)もらって来ないでよ!!」といったにもかかわらず、「授業中立ってクラスメートと話しました」というノータをもらってきた。本人いわく、色鉛筆を借りるだけだったのに・・・という。確かにその先生ちょっと変!という噂。いずれにしても、もうプレゼントなし!!ったく・・・
ところで、今日は在外公館最重要行事ともいえる、天皇誕生日の祝賀会レセプションも行われた。(時間的にはこれから・・・)
とはいえ、私は、まだ骨折治療中。
うかうかと外に出かけてはいけない。
・・・というよりも、今日は次男の誕生日。そちらのほうが大切だもの。笑 夜にも、月一度の地元パロッキアでの「信仰年」における聖書研究会があったが、欠席。
天皇誕生日の祝賀会といえば、96年のペルーでの公定占拠事件はまだ記憶に新しい。覆面姿の左翼ゲリア14名が、ペルー政府要人や日本人現地駐在員ら600名を人質に取った。犠牲者も出ている。
当時は、夫はローマで駐在員。天皇誕生日の祝賀会レセプションは毎年出席していたが、怖いな・・・と思ったもの。
ちなみにローマには、実質上在ローマと在ヴァチカンの2つの日本領事館があり、2日続けて祝賀会が行われていた。とはいえ、出席者は同じ顔。女性は同じ服を着ていくことを憚り、髪型を変えたり、着物をきたり、ドレスにしたり苦労したものだ。
この3週間、骨折のため、出る幕一切なし。笑
化粧さえしてい ない。
しても変わらないが、化粧を落とす手間がない分楽だわ。
それにしても、この3週間、ずっと家ですごした。頭は元気でも思うように動けない。
「時間は神からの恵み」
今年の元旦のミサできいたお説教だ。
何をしていようが、していまいが、とりあえず時間は過ぎていく。ただ、与えられた時間は、誰にとっても平等なもの。
時間も命も神様からのたまものです。
それは自分のためにだけ使うものではありません。
無償でいただいたものですから、
自由に、条件をつけずにひとに与えて下さい。
そうしてこそ、たまものは生かされるのです。
まいた種は十倍、百倍の実を結びます。(by バレンタイン・デ・スーザ神父)
自分が動けない分、家族・友人・知人、仲間達に動いてもらった。動いてもらった分、結束が高まったり、その人たちの自信になったり、変化もあったようだ。私がやらないと、動かないと・・・人に頼むのが下手で、そういった思いを振り切るのには、割り切りも必要だった。
今年の私の年初の祈願は、「何もかもを一人でやり遂げるのは、到底不可能なことで、他人に委ねる部分、頼んでしてもらうこと、分担することを今後学ばなくてはならない。他の方に委ねるには、まずお互いの信頼関係が必要。そして、丸投げではなく、自分自身も何をすべきか識別できるようにならないといけない。神に委ねるときと同様、神を信頼し、自分もするべきことをしながら、結果については、すべてをみ旨として謙虚に受けとめる自分でありたい。」とあった。努力しようと気にかけているつもりでも、日常生活の中では簡単に忘れてしまう。怪我をして始めて、そうせざるをえなくなるとは・・・。
明日はいよいよ検診。
骨がどうなっているだろうか・・・
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