忍び耐える夏 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで30年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

今月に入り、続々と友人や夫の会社の社員さんの赤ちゃんが生まれてきている。

生まれたての子供を見ていると、いいな・・・・夢が一杯だ、と思う。そして親もいろんな夢や期待をもつことだろう。

先日終了したドラマ「罪と罰」では、親の極端な夢や願いをかけられた息子が、その期待に押しつぶされ屈折してしまう。自室に閉じこもり肥大する自尊心と過敏な劣等感の間でもがきながら、恐ろしい計画をするのだ。崇高な目的によってその行動は許されるものだと思いこむ。反面教師で子供に大きな期待はかけちゃいけない。子供は子供でも別人格なのだ、とわかりきっていることだが、自分に言い聞かせる。

さて、今日は高校の進級発表の日だった。

今年の長女の成績はひどかった。勉強をしてできないのなら、仕方ない。ただ、しないのだから、どういうつもりなのだ?!と何度も喧嘩をした。だって面倒だから・・・年々脱力感が大きくなり、勉強もスポーツも恋愛もばかばかしくてやる気に なれないというような態度だった。将来大物になる兆候なのか、それとも大人によって好奇心やエネルギーを奪われてしまったのだろうか?であれば、私の責任か?!

数回あった担任には、希望がないといわれていたので、進級はできないと思っていた。それならそれで、もう仕方がない。もう心を入れ替えて、やり直してもらうしかない。数日前、Consiglio di Classeという各生徒に成績に関し話し合う会議があり、すでに留年決定の生徒は、あらかじめ家に連絡があったという。私に学校から電話が入っていないか長女が心配をして連絡をしてきたが、その日には、連絡はなかった。

想像通り、彼女は赤点だった。今月末より補習授業をもって、8月末または9月のはじめに追試。それによって進級が決まる。昨年もそうだった。あ・・・・来週帰国便を予約しているのに・・・しかも25日から次男は地元の小学校へ通うことになっている。

やはり、赤点の子供がいても、父親にあずけ、自分は下のこと、早々に帰国する友人もいる。たとえ、赤点をとっても、自分がしっかりしていて自制のきく子だったら、信頼して置いていくことはできるだろう。我が家の場合、問題なのは、長女が友人とふらふらし、勉強どころか家にいないことなのだ。どうしたものだか・・・夫はいても仕事じゃあ関係ない。

友達と息抜きしちゃいけないか!とむきになる彼女。勉強の息抜きだったらかまわない。でも友達が中心で勉強は暇つぶし。これじゃあたまらない。何のために勉強しているの?なぜその学校を選んだのか?それさえも忘れている。

何故、反抗するのか?
それは反抗しようと思っているのではなく、自分が傷つけられ、認められず、気持ちを理解してもらえず拒否され、悲しい、つらい思い、怒りが反抗の形となって出てくるのだろうか?自己防衛ということか?

あまりにも「自分」を意識し、自分を出し、自分を創っていく「自分」に敏感になっている時にもみえる。まさにやらなければならない「自己主張期」か。

それでいて、「黙って、見ていて欲しい」ようだ。甘えと思うのは、厳しすぎるだろうか。
ただ、今の自分のつらい事を知っていてくれるだけでいいということか。母親は、解決してくれなくてもいい。自分で答えをみつから、一切の干渉はして欲しくない・・・と。

名医は、良薬をたくさん持っている人ではなくて、診断~観察、相手をよく診ること、知ること~に十分力を尽くす人だ。

すべてはそこから始まる。
人間関係にとって最も大切なこと。

この夏は、ただただ忍び耐える夏になりそうだ。