昨年10月、崩壊寸前のCSKA再建を託され、半年足らずでCLベスト8に導いた手腕は本物か。38歳とは思えぬ貫録に満ちた風貌と挫折で学んだ哲学。
ベールに包まれた若きロシア人監督の資質に迫る。
CSKAモスクワがCLベスト8に進出した快挙は、ロシアのみならずヨーロッパ全土に驚きをもたらした。
だが、ほんの半年前、CSKAは苦境に立たされていた。
昨年9月、ジーコ監督が成績不振を理由に解任されると、後任のファンデ・ラモスもわずか1カ月で監督の座を追われ、チームは崩壊寸前となった。そんな中、迎えられたのがレオニード・スルツキだった。
欧州はおろか、ロシアですらビッグクラブを指揮したことのない38歳の青年監督が就任した当初は、前任の有名監督たちで失敗したシーズンの敗戦処理、新シーズンにやって来るはずの別の大物監督へのつなぎ役だと思われていた。しかし、スルツキは周囲の予想を覆し、見事にチームの態勢を立て直すと、リーグ戦ではEL出場権獲得となる5位。それと並行してCLの激戦を準々決勝まで勝ち進んだのだった。
■ジーコとラモスに無く、スルツキだけが持っていたもの。
守備陣にはGKアキンフェエフを筆頭にロシア代表を揃え、攻撃陣に未来のロシア代表エースと目されるジャゴエフ、さらにはチリ代表マルク・ゴンサレス、セルビア代表クラシッチらを擁する陣容は リーグ屈指であり、地力の高さに疑いの余地はなかった。
だが、ブラジル人とスペイン人監督はピッチ内外においてチームに秩序をもたらすことができなかった。
最初の火種となったのはジーコ監督時代の守備組織の欠如とそこから生じるピッチ上での混乱、そして成績不振からくる責任のなすり合いだった。
後任のファンデ・ラモスはレアル・マドリーを立て直したという実績を買われたものの、ロシア語を話せず、チームの軸となるロシア人選手とのコミュニケーションがうまくいかないがゆえに、選手の力を引き出すことができなかった。
だが、スルツキは二人には無かった能力を有していた。それは守備組織をきっちりと作り上げるためのノウハウと、ロシア語を話せるということだった。
■地元クラブの12歳以下のチームでスター選手の扱い方を学ぶ。
選手時代はGKだったスルツキは、左膝の負傷によって19歳でキャリアに幕を閉じる。選手としての道を断念し、ボルゴグラード国立体育大学から大学院へと進むと、そこで指導者としての道を歩み始めた。最初に任されたのは、地元クラブの12歳以下のチームだった。スルツキはここでの経験こそが監督としての土台を築くことにつながったと語る。何よりも彼は自分がなれなかったスター選手の扱い方を子供たちから学んだという。
「子供ほど自信を持っている選手はいない。皆、自分がスター選手だと信じている。そんな彼らを力ずくではなく納得させるには、何故そのプレーが正しいのか、そうではないのかを正確に伝える力を持たなくてはならない。それはどんなレベルでも同じなのだ」
■弱小チームを次々に躍進させた、独特のサッカー哲学。
ボルゴグラード大学院を首席で卒業したスルツキは、着実に指導者としてのキャリアを重ね、サッカーを緻密に分析した。彼が任されるチームは強豪ではなく、常に挑戦者だった。そういうチームを率いるうちに、現在の自分を支える哲学を得る。それは、「効率良く守備をすれば、効率良く攻めることができる」こと。「守備組織を整備すれば、ボールを良い形で奪う回数が増える。そうすれば自ずと攻撃のチャンスは増える」。この信念を基に、スルツキは任されたチームを次々と昇格、躍進させていく。
そして、'07年には経営難に苦しんでいたFCモスクワ(現在はリーグから除外)をリーグ4位へと導き、ついにロシアサッカー界トップレベルでの挑戦権を手にしたのだった。
CSKAの監督に抜擢されたスルツキは、あっさりと古参選手達と打ち解けた。チーム通訳のマキシム氏は、「すぐに選手達の心をつかんだ」要因としてピッチ内外でのスルツキの振る舞い方の違いを挙げる。ピッチでは補佐役である元ロシア代表主将オノプコをも心酔させるサッカー哲学を貫き、的確な指示で「軸に据える」と評した本田圭佑の力も引き出した。
30代とは思えない風貌と巨体から漂う貫禄は、まさにボスそのもの。一方、ピッチを離れると、選手達は彼に気軽に話しかける。例えば、1月のスペイン合宿の際にはロシア人選手がスルツキを囲みながらミラノダービーをテレビ観戦していたように、彼の周囲には自然と人が集まって来る。兄貴肌は、どうやら生まれついてのものらしい。
■スルツキの人柄がにじみ出る、負傷を巡るエピソード。
最後に選手スルツキのキャリアを終わらせた負傷を巡るエピソードを紹介しよう。
19歳のスルツキの左膝が壊れたのは、友人の飼い猫を救うためだった。地上10mほどの木に登り、降りられなくなってしまった猫を救おうとしたが、登った木が折れ、落下。鼻骨骨折、左膝とその周辺の骨を粉砕骨折するなどの大けがを負って一年間の入院を余儀なくされ、選手キャリアに終止符が打たれた。
それでも、彼はこう言うのである。
「でも、猫は助かったんだ。他に助けに行ける人がいなかったから、私は少なくとも役目を果たしたと思うよ」
これ読んで、やっぱり確信した。
「この人、やっぱり良い人だぁ~ってね」
圭佑さんの起用法とかいろいろ疑問に思うことは沢山あるんだけど。
なんて言うのかな~人として好きって言うの?
CSKAのHPなどで、選手たちとのいろんな写真見るとあったか~い気持ちになるんです
スルツキさんの体格もそう思わせるんだろうな~。
「圭佑さんのことよろしくね」って。