本田圭佑「あの頃、彼はひとりぼっちだった」 | こぶたママの頭ん中・・・

こぶたママの頭ん中・・・

サッカー・本田圭佑選手を応援しています♪

【日本の新エース、本田圭佑のあの頃】


今までの日本人選手とは違うところ――

彼は今まで“ひとりぼっち”だった

 

4試合のうち3試合でマン・オブ・ザ・マッチに選出された本田。

今大会の日本代表を象徴するプレイヤ―と言っていいだろう。

プロになってまだ間がない頃、すでに他とは違う何かを持っていた。


 何を隠そう、僕はその昔、「星陵高校の10番にひと目惚れ」なる原稿を書いたことがある。トップ下でありながら、ドリブルを好む選手。背筋がピンと伸びたドリブルのフォームが格好いい選手。相手ディフェンスに突っかかっていく、向こうっ気の強そうなシルエットが絵になる選手。“中盤”のカテゴリーに属する選手ながら、日本のMFにはないアタッカー的な魅力を備えた選手。それがひと目惚れをした理由である。


 名古屋グランパスに彼を訪ねたのは、その翌年のことだったと思う。チームの関係者はインタビューの前にこう言った。「圭佑は少し変わっていて、面白い奴ですよ。他の選手とつるみませんから。でも年上の選手もそのへんを認めているので、チームの中で浮いているわけではないんです」


 インタビューでそのことをまず尋ねると、彼は開口一番こう言った。


「プロですから、僕は。答えはピッチの上で出せばいいし、そこには先輩も後輩もない。そこがプロスポーツのいいところ。練習や試合の後、皆とゲームをやったり、カラオケへ行ったりするのも好きじゃない。部屋でひとり本でも読んでいる方が、性にあっているんです」


 ひとりぼっちであることを怖がっていない。そしてチーム関係者の言うように、その言葉からは好ましからざる「気」か、一切感じなかった。傲慢でもないし、変にナイーブでもない。今までの日本人が持ち合わせていなかった、ナチュラルな生き方のようなものを感じたのだ。モテそうな奴。女性のみならず男性からも人気を集めそうな奴だ。そういった意味でのカリスマ性さえ感じたものだ。


 驚いたのはマネージャーが本田と同じ19歳だったことだ。聞けば、彼は本田の友達の友達で、紹介されたその日に、本田が「マネージャーやってくれないか」と、お願いしたのだという。初対面の19歳同士が、コンビを組んでいるところにも僕はおもしろさを感じた。


 海外志向は早くからあったようだ。


 インタビューが終わりに近づいた頃、ふたりは僕にこう尋ねてきた。「海外に移籍するとすれば、どの国がお勧めですか?」。僕が迷わず「オランダ」と答えると、ふたりは目を合わせながら「やっぱりオランダか」などと小声で囁き合っていた。僕以外の誰かからもオランダを勧められていた様子だったが、その時が初対面の僕に、彼らはかなり重要なことを聞いてきたわけだ。

 ふと心配になった僕は、そこでひと言、「騙されないように」と。すると本田はこう切り返した。「僕には人を見る目がありますから」。すると僕は彼のお眼鏡にかなった人間だったのだろうか。そう考えるとちょっと喜ばしい気持ちになったが、“見る目に自信がある”と言い切る19歳には、それ以上に驚かされた。大したタマだ、この選手は。


 それからおよそ2年後、彼はオランダに渡った。VVVフェンロでの活躍が認められ、昨季の途中に移籍したCSKAモスクワでは、チームのチャンピオンズリーグベスト8進出に大きく貢献した。今回のW杯の活躍で、さらなるビッグクラブへの移籍が確実視されている。

 

 「上り詰めるときは一気に」と、本田はけれんみもなく言い切った。



来季は何色のユニフォームを着ているのかも楽しみだ


名古屋グランパス、VVVフェンロを経て、現在はCSKAモスクワに所属するが、さらにビッグクラブへの移籍も囁かれている。こうした欧州らしい、スタンダードなステップアップの仕方も、日本人選手では異例のことである。


                               文=杉山茂樹   sportiva 8/30より


こぶたママの頭ん中・・・

こぶたママの頭ん中・・・



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


マネージャーと圭佑さんのエピソードはここにも・・・・


名古屋MF本田が19歳と同居中…!?


2年目を迎えた名古屋MF本田圭佑(19)が好調だ。15日新潟戦でプロ入り初の公式戦2試合連続得点を記録するなど「2年目のジンクス」もどこ吹く風だ。実は今季から選手寮を離れ、独立した。19歳と言えば遊びたい盛りの年頃。中には私生活の乱れから不振に陥る選手もいる。でも、本田はひと味違う。自らを厳しく律するため、ある試みを始めたのだ。


今季のチーム始動前の1月のことだった。練習場を訪れた本田は1人の若者を伴っていた。「またちょくちょく来ると思うんで、お願いします」。そう本田から紹介されたのは、山崎純君。本田と同じ19歳だ。記者が「よろしくね」と名刺を渡すと「まだ名刺持ってなくて。肩書きもまだ…」と恐縮しながら自己紹介してくれた。今季から本田と同居し、個人マネジャーとして食事など生活面を管理するのだという。プロモート色が強い日本の「マネジャー」とは趣を異にするが、欧州サッカー界では同種の例は珍しくないらしい。

 

2人の出会いは昨年7月。山崎君はまだ京都の大学に通う1年生だった。「面白くなかったんですよ。皆、飲み会とか遊ぶことばかり。俺、何しに来たんやろって…」。学生生活の現実に絶望していた矢先、共通の知人を介して本田と食事する機会を得た。最初は「うわ、本田や…という感じ」。新人ながら大活躍するプロ選手を前に腰が引けたが、サッカー談義を熱く交わすうちに本田の虜になった。「同い年でこんな意識高いヤツおるんやと。衝撃でしたね」。当時からマネジャーの存在を求めていた本田と、サッカー界で就職する夢を抱いていた山崎君の思いは一致した。大学中退を反対する山崎君の両親を、本田はまた熱い口調で説得。契約を結んだ上で「二人三脚」の挑戦が始まった。

 

 新生活から4カ月。本田に聞くと、料理の腕前は「いけますよ」と言う。2人で議論しながら栄養バランスに気を使う。毎日のメニューはパソコンで管理している。「ビタミンをどうとるか。それが難しいんですよね」と本田。3月某日の練習試合後には、持参したおにぎりとオレンジをほお張る姿があった。準備したのは、もちろん山崎君。その頃にはもう名刺ができていた。肩書きは「専属ライフマネジャー」とあった。


微笑ましくも頼もしい19歳コンビは着実に歩を進めている。2人が笑ってシーズン終了を迎えられますように。そう願わずにいられない。

                                (名古屋日刊スポーツ 北村 泰彦)

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

本田の揺れる心を食い止めた“友人”    


先日、パソコンに1通のメールが届いた。差出人はオランダ2部で優勝したVVVフェンロMF本田圭佑(22)が所属するマネジメント事務所の山崎純氏(22)だった。

 そこには「街中でのパーティーやセレモニーは一生で一度経験できるかどうかと思わせられるくらい素晴らしい時間でした。たかが2部、たかが人口8万人ほどの街かもしれませんが、そこには僕が夢見てきた“文化”がありました」とあった。彼らの奮闘を見てきた記者にとっても、嬉しい内容だった。

 オランダに渡って1年半。名古屋在籍時から二人三脚を続ける彼らの夢が壊れそうな危機があった。フェンロは2部降格し、さらに北京五輪で3連敗を喫した昨年8月。J1浦和が獲得に乗り出した時期があり、本田の心も“赤い悪魔”に傾いていた時期があった。より高いレベルでのプレーを望む選手としては当たり前の選択かもしれない。だが、それを必死で止めたのが純くんだった。「オレは半年で日本に帰るためにサポートしてきたんじゃない!」。大ゲンカしたらしい。それはマネジメント会社社員とクライアントの契約上での話し合いではなく、1人の友人としての本心だった。そして本田も「純の気持ちが分かった」と応え、残留した。

 もし彼らが別の道を選んでいたら、こんな感動は味わえなかった。2人の未来に、より大きな幸せがもたらされることを、遠き日本から切に願っている。     

                               (スポニチ大阪 名古屋総局 飯間 健)

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



これはまだ出会って間もないころかな?
こぶたママの頭ん中・・・


フェンロが優勝した時だね音譜
こぶたママの頭ん中・・・



またまた、記事ばっかりでごめんなさいしょぼん


ヤマジュンさん、そしてヤマジュンさんと出会えてマネージャーに選んだ圭佑さん。


ホントに二人ともスゴイ人生だなぁ~って。


今は、なんだか感謝の気持ちでいっぱいです。


最後に・・・・・・


『ヤマジュンさん、これからも圭佑さんの心と体をしっかり支えてあげて下さいね。よろしくお願いしま


す。(食事はもう嫁ちゃんがいるから心配いらないね♪)』               こぶたママよりパー