社会のみかた

世の中で起きているヘンなことやスゴイこと。。。。Pマンの社会生活創造-RYOURI

そんでもってあんなことやそんなことも…。。。。


ラブ 苦笑 きらきら ぶー え~!! ニコ なみだ 。。。。

とりとめもなく、でもオリジナルの(思いつき)アイデアを混ぜ混ぜしながらお披露目しちゃいますあは♪


きっとあなたも同じ気持ちに?な~んてことを祈りながら、社会創造なんてそんなことから始まると信じて綴る社会創造コメンテイターマイク  のつもりで社会を料理 笑 いえー

テーマはバラバラ は  お気楽にいきましょう ポッ


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風刺画で考える自由

フランスでイスラムの風刺画に起因するテロが発生し、「表現の自由」が話題になっていますね。

さて、「自由」とはなんでしょう。

英語では、「free」と「liberty」で自由の意義を分けて考えていますが、日本における「自由」の定義は曖昧で、どちらかというと「free」が大半を占めているように思います。
歴史的に、市民革命で政権を勝ち取ることがなかった国ですから当然かもしれません。


現代社会における「自由」は、ある意味=不自由です。
存在する自由は、制限されていない自由に限られています。

どの自由が制限されていて、どの自由が制限されていないかは、時代により選択されています。

どんな自由を制限すべきか。
相反する自由の衝突時に、とちらを優先すべきか。


ソクラテスは、「自分は無知であるが、自分が無知であるということを知っている」といいました。
「我々には制限された自由がある」ということを前提に「自由」について考えるべきでしょう。


今回のフランスの事件。
自由がどうのというネタになっていますが、国家間の覇権争いが元となっているんでしょう。

結局、負けた方の自由が制限され、勝った方の自由が制限されないだけでしょうね。

投票結果の反映


投票結果を全国的にみて多数決通りに反映させるって難しいですね。

そもそも、立候補者を選ぶのか、政党を選ぶのかも難しい。

基本的に政党政治による民主主義体制ですので、
政党を選ぶことを優先に、次に立候補者と考えると、
こんなんはどうでしょう。

1)現在の小選挙区&比例代表の制度をやめ、
  参議院並みの大選挙区割にする。

2)投票は政党名又は立候補者名のどちらかのみにする。

3)既存政党の他に無所属を認め、支持政党なしの投票を
  無所属にまとめる。

4)得票数がトップの立候補者は無条件に当選とする。
  ⇒複数の当選数を獲得した政党の中からトップ当選者
   が出た場合、トップ得票者の無条件当選は意味がな
   くなるが、無所属の立候補者の不利解消にはなる。

5)政党別得票数により、各党の当選人数が確定。

6)各党の個人名での得票数が多い順に当選が確定する。
  ⇒「無所属」に当選枠が与えられた場合は、無所属立
   候補者の得票数トップの立候補者が当選となる。


無所属立候補者の不利を公正に解消することが難しいところですが、こんなんでどうでしょう。

福岡の遺族会の靖国決議

福岡の遺族会が靖国神社に合祀されているA級戦犯14名の分祀を求める決議をしたとのこと。。

だいぶびっくりしました。

分祀の理由を、「天皇・皇后両陛下、内閣総理大臣、全ての国民に、わだかまりなく靖国神社を参拝していただくため」としているようです。
内閣総理大臣はともかく、天皇・皇后両陛下が分祀後の靖国にご参拝されるかは甚だ疑問です。

どうせ決議するなら、「天皇・皇后両陛下、内閣総理大臣が多くの国民の賛同のもとに、靖国への参拝が実現できる環境整備の推進」を決議すべきでしょ。
環境整備とは、A級戦犯とされた東京裁判自体の改めての総括、英霊に対する日本人の史観などが含まれるべきでしょう。中・韓の反応は、経済と、安全保障の観点からのみ検討事項にあげてもよいでしょう。戦争の定義を明確にしてみる試みもいいかもしれません。


天皇・皇后両陛下にご参拝頂きたい気持ちは分かりますが、ご参拝されるという結果を求めるよりも、ご参拝されていない現状の問題点の深層に目が向かないのはなぜなんでしょう。
「A級戦犯が合祀されていて非難されるから」こんな単純な理由だけでないのは十分承知していると思われるので不思議です。

世論の未成熟にこそ問題があるのではないでしょうか。
世論を成熟させない、教育を含めた現在の日本のあり方に問題があるともいえるでしょう。


果たして多くの英霊はどんなふうに思っているでしょうか。


話はそれるかもしれませんが、靖国参拝は近現代史を考える上で非常によいツールになると思っています。多くの史実とそれら史実に対する交錯する多様な歴史観を知った上で、自らが価値判断を持つ。
この繰り返しが、自らのアイデンティティーの構築につながり、最終的に国の総意となるべきでしょう。
国民に考えさせないという戦後から抜け出すべきだと思います。

交ぜるな危険!

だいぶ前からですが、「交ぜ書き」が気になりますね。
ねつ造、隠ぺい、改ざん、ら致、などなど。
小学生むけの文章なら、まだ納得がいきますが、新聞、テレビなどでも濫用されています。
戦後のアメリカの国語への介入がもたらした不要な残滓のひとつでしょうね。
しかも戻ることなく、進んでるなんて笑える気すらしてきます。

熟語はやっぱり漢字でしょ。

読めないことは悪いことではありません。
昔は読書中に辞書を引くことがよくありました。
そうやって覚えていく字は、学校で習う漢字が少ない分多いのです。

子供に、習っていない漢字だからと自らの名前に使用している漢字をひらがなで書かせる学校があることをニュースで見たことがあります。アホかいな、と思っていましたが結構世の中と繋がっているのかもしれません。

交ぜ書きだけの問題ではない、
「障害」を「障がい」
「子供」を「子ども」
といった、差別的な漢字のひらがな化問題もあります。
「子供」は文部科学省が「子供」表記の統一に乗り出したようですが「障がい」は残ったまま。
本来の「障碍」にすればいいのに。

問題の原因のひとつでもある、常用漢字の規定自体をなくした方がいいと思いますね。
交ぜ書きによって逆に読みづらくなる文章が出てくると、相当腹立つだろ~な~。

交ぜ書きではありませんが、「づ」⇒「ず」、「ぢ」⇒「じ」という「現代仮名遣い」とやらもやめて欲しい。

言葉本来の意味を文字で知ることができる、そんな素晴らしい文化が失われつつあることに悲しさを覚えます。

思想の軸

東京新聞に「日本会議」という組織についての記事がありました。
大きな団体であるにも関わらず、一般的な認知度は低いので紹介する価値はあるでしょうね。
ただ、知られていないがゆえに、記事を読む側にも注意が必要でしょうね。
まず、マスコミの報道に中立的な解説はないと考えた方がよいでしょう。
そもそも、どこが中立点なのかは誰にもわかりません。
ですから、ほとんど知らないことに対する記事や報道はそのまま受け入れるべきではないでしょうね。

東京新聞が嘘を報じているとは言いませんが、左寄りのスタンスから解説していることは間違いありません。
左が右を批判する意図も感じられ、自分の言葉ではなく取材相手の言葉を利用して、未解決な事柄に対するひとつの見方を、歪曲と伝えようとしているようにも感じました。

わたしは、日本会議を少々知っていましたし、東京新聞の社風も少々知っていましたので客観的に記事を読みました。
でも、もし自分が日本会議と東京新聞の両方についてまったく無知であったら、どんな感想を抱いていたんだろうと考え、少し怖くなりました。

幸いにも、今はネットで様々な意見を見ることができます。
様々な立場のジャーナリストや企業家や政治家、そして一般の方々の意見まで盛りだくさん。

中立点を見つける必要はなく、様々な意見を斟酌した上で自分の意見を見つければよいのでしょうね。
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