地熱利用と比して導入しやすいと言われる地中熱による熱交換。
季節を問わず17度程度の一定温度を保つと言われる地中。
これを利用して暑い季節(夏)は、暖気を地中に送り、地中熱で冷やし、冷気を戻す。
逆に寒い季節(冬)は、冷気を地中に送り、地中熱で暖め、暖気を戻す。
という仕組みでエアコンの室外機のように熱風が吹きだす事がなく、地中熱交換機の室外機に相当するものも25℃前後の熱を持つ程度で済み、CO2を排出しない、ヒートアイランド対策ともなるエコシステムという触れ込みだ。
欧州、米国などの欧米各国では地中熱利用が浸透しているらしい。
でも、年間を通して17度前後という一定温度を保つ地中の平均温度が上昇・低下する、または地中温度が不安定になるといった懸念はないのかな?
先日、東京渋谷の渋谷駅周辺の再開発に伴って東横線?の駅がリニューアルしたけど、熱がこもらないように熱交換を効率よく、コストパフォーマンスを向上させる策として広範囲にわたり地上に熱を逃がす空洞を造ったそうだ。
これ自体も無理のない熱交換に見えるけど、本来なかった余分な熱を地中に発生させると同時に本来なかった熱を地上に放出することになることからヒートアイランドの原因になっているのでは?と思われる。
これまでつくられた地下鉄に比べればマシかもしれないけど。
どこだったか忘れたけど(別記事で触れている)都内の一般道環状線で一部地下を通し、内部の熱を逃がす為に排熱塔を数キロ間隔で設置しているらしいんだけど、これも似たようなものかと。
地下開発がそんなにも必要なのかについては他記事で書いたけど、上下水道、電線、通信線、豪雨に備える貯水施設、トンネル、地下鉄等々、地上だけでは飽きたらず、地中までも人為的に手を入れ、さらに地球のメカニズムを壊そうとしている。
リサイクル技術も向上してきた日本においてもリサイクル率100%とはいかないので、リサイクルできない屑は地中に埋め、公園にしたり、ゴルフ場にしたり、見た目自然に見える環境にしたりしている。
ゴミも処理しきれないものはご承知の通り東京湾など海に埋め、無理矢理陸地にしている。
そんな埋立地であり、ガス会社が元あり、地中に有害物質が多量に含まれる豊洲某所に新鮮な魚介類を扱う築地市場を移す計画があったりする。
どうしてそういうむちゃくちゃな発想が生まれるのか。
経済の考え方の中には、企業や商品の栄枯盛衰があり、これらには統計的に一定のライフサイクルがあり、企業90年説(現在はもっと短いという説が多い)といえば、最初の30年が成長期、次の30年が安定期、残りの30年が衰退期であるとされ、似たように商品・製品にもプロダクトライフサイクル(PLC)があるとされる。
それぞれの期間で市場戦略は変化する、市場戦略を変化させる、その一方で新商品や新サービスを打ち出し、次の柱に据える。
市場戦略上は、簡単にいうと顧客については世界各国、日本各地の地域、年代、性別、趣味嗜好等々による顧客のセグメント(層)化、競合については、その立ち位置からリーダー、ニッチャー、フォロワーなどに分けられるとされ、リーダーは当該商品・サービス周辺において他をリードする存在、代表企業であり、フォロワーはリーダー企業と同じような特徴のない商品を扱い、ニッチャーはセグメントを絞り込み、他に負けない付加価値を持ってニッチ(隙間)市場で力を発揮する企業を指すとされる。
逆に常に競争を強いられ、自ずと栄枯盛衰の道をたどる事になる。
その過程で自ずと雇用も調整される事になる。
景気が右肩上がりの際には、各企業や各商品・サービスにこれらの栄枯盛衰があったとしても衰退する企業に比べ新規起業や新規参入、成長企業の方が多いので雇用も結果的に増員の方向に向かうけど、不景気になれば、逆になる。
企業や商品・サービスはこうした状況、環境にも当然左右される。
この状況や環境に大きく影響を受けた代表例が、今回の衆院選の結果にも表れているんじゃないかな。
これによって路頭に迷いそうな自民党議員秘書も数百人はいるだろうとの事。
でも、たとえ何もやらない私利私欲に走っていた自民党といえど、世界同時不況が起きなければ、今回の大敗はなかったかもしれない。
それは、不満以上に社会的に満足している状態にある人が多い状態(好景気)、不満が上回る人が多い状態(不景気)で実生活における栄枯盛衰を実感するからに他ならない。
良い時は、いろいろあるけど、まいっか、悪い時は、いろいろあるのは許せない!なんとかしてくれ!っていう感情が自ずと働くから。
だからオバマじゃないけどChangeが必要と考える人が増え、多くの人々が不満がたまった状態になり(今までもあったはずの)許せない部分が自分の中で大勢を占めた結果、長年政権を維持し続けた自民党ではない政党に向かわせたのだろうから。
政治の場合は、経済の競争原理とはほぼ無関係だから別として、客観的に見えれば経済社会のライフサイクル上、不満が多い人が増える状態(不景気)は、当然、起こり得る事象であるともいえる。
景気がよく、満足している人が多い状態が好景気だと言っても、好景気の時でも、ピラミッドによって成り立つ経済社会では、誰かの犠牲のもとに誰かが潤い、何か(地球)の犠牲のもとに社会が発展していくという冷静に客観的にみると惨(むご)い状態であるともいえる。
結局自分さえよければいいのか?という状態を否応なしに作り出してしまう。
競争が激化すればするほど、経済的な豊かさが幸せだと考える事がベースとなる経済は、いい会社、いい団体に入る為にいい大学院、いい大学、いい高校、いい中学、いい小学校、いい幼稚園、いい幼児教育、いい胎内・胎児教育と生まれながら、生まれる前から競争にさらされる事になる。
これらは幼少期、成長期に培われるはずの、学校教育によって勉学以外に培われるはずの協調性や思いやりや感謝の気持ち等々といった優しい心が育ちにくい環境を造り出している。
相変わらず廃止されない裁判員制度だけど、今審理中の裁判で婦女暴行犯の一件があるけど、女性を殴ったり、蹴ったり、叩いたりしちゃいけないと教えられたから、強姦したという意味不明な恐ろしい供述をしているという。
一方、最近書類送検された事件で、14歳の男子中学生が当時13歳の女子中学生を買春したというものがあった。
異性に興味があり、お年玉や小遣いを10数万溜めており、お金があったからやったと供述しているという。
その年ごろで異性に興味を持つ事は健康的だけど、買春に至るその思考回路は病気だ。
陰湿なイジメの横行も、凄惨な事件の短絡的かつ身勝手な動機も、こうした事件を起こす犯罪者の年代が幅広い事も、小中学生の自殺の多発も、犯罪の低年齢化も、高学歴の有名大学生を含む大麻や覚せい剤などの栽培、売買、所持、これに伴う恐喝など行動自体は、悲しく理解に苦しむ事が多いけど、そうなる原因は、確実に社会にある。
政治、経済、地域、学校、家庭の中に、そして子ども大人問わず教育の中に確実に原因がある。
特に幼い頃は、心の成長の為にあるのであって詰め込み教育を行うためにあるのではない。
10歳くらいまでが一番知識を吸収しやすいと言われ、確かにそこの頃からピアノなどの楽器やスポーツで若くして才能が開化する人もいるし、モーツァルトも6歳にして大人を驚愕させる能力を発揮したと言われている。
でも、先天的に、もしくは、自ら興味を持って始めるものと、親であっても他者が強制するものは全く違う。
後者でも子どもがそれに順応する事もあるけど、それは順応性が高い、つまり純真無垢だからであって、自発的行動ではないし、動物の調教に近いものすら感じてしまう。
その幼少期から過度なストレスを与え続ける事は健康的とは言えない。
脳に限界がなかったとしても、心に限界がなかったとしても、個人差はあるにせよ一生の間に顕在意識として表れ、現れるものには限界があると思う。
心を養うべき最適な時期に、他の、特に親のエゴから来る外部要因を植え込むのは、洗脳にも近いとさえ思ってしまう。
その親のエゴが、社会の仕組みによって生まれているとなれば、尚更、問題だ。
その人の一生が、愛でられ、愛され続け、不都合な側面を見られることなく遂げれば別だけど。
もちろん充実した人生を送れるように、成功する人生を歩む事ができるように、勝ち組になれるように、こうした考え方が親心として芽生える人も多いだろうし、それはそれでそう思う人がいてもおかしくはない。
でも、それが社会から実質強制されているのなら、まともに育つはずだった人でさえ人の道を踏み外していく、思考が極端に偏ってしまう、相手を思いやることができない、優しくない人が大人になるケースは増加の一途をたどるんじゃないかな?というか実際に増えているんじゃないかな?
これは今、そうやって生きてきた全ての人々がそうだと言っているわけではなく、私はそうではないけどといいたいわけでもなく、子孫繁栄の過程で、代々受け継がれるに従って、浸透してはいけない考え方が増幅し、それが前提となって物事を考えるようになると、先人が目を覆いたくなるほど、耳をふさぎたくなるほど、涙が止まらないほど理解に苦しむ自分勝手な解釈で行動を起こしてしまう人が増えている、増える一方になると思うんだよね。
もちろん、それはおかしいと思える子孫もいるだろうけど、心の基礎が育つべきとき、心の成長がはぐくまれるときに、それを阻害する余分な教育や環境は、おかしいと思う心とそれに伴う行動も理解不能になる可能性すらある気がする。
更に核家族化も社会の流れによって、都心一極集中によって、経済地盤の一極集中によって形成されていったわけだけど、それによって世帯に占める人数が減り、世帯数が増えたわけだけど、人にも栄枯盛衰があり、歳老いていく、それが今の高齢化社会の中でも独居老人を増やす結果にもなっている。
代々、同じ土地に、同じ家に住み続ける事によって3世代、4世代、場合によっては5世代?にわたってその時、生きている家族との普段の生活がなければ、お年寄りをいたわる心、お年寄りが、孫やひ孫を甘やかすばかりではない関係を、そして持ちつ持たれつ生きてきた人との永遠の別れを知らずに育つ事になる。
2世帯住宅とかではなく世代を超えたひとつ屋根の下に暮らすことによって形成される心は大切だと思う。
その過程で養われた心は何物にも代えがたい世代を超えた互いに対する優しさを互いに身につける事ができるし、子どもからすれば親とおじいちゃん、おばあちゃんへの接し方が、自分と親の接し方の模範、または反面教師になる点も大事な過程だと思う。
でも、社会の方向性は、こうした家庭を阻害する要因となっている。
それでも同居しようという人もいて経済的に豊かでかつそうした気持ちを持てる人は2世帯住宅や3世帯住宅に住まうけど、決して多いとは言えない。
経済は、結果的に家庭を崩壊させているともいえる。
でも、その家庭を形成する家族の多くも経済を迎合している。
経済社会、過度な市場原理主義という屈折したメガネをかけた人類が進む道は、メガネをかけずに自分の目で裸眼で見ればどれも本末転倒に映る。
経済社会を迎合したいから、自然を壊したあと、街路樹や公園の木々のように自然を大切にしてますという矛盾した行動をする。
道路があると便利だからと山を削って、土をアスファルトで埋めて道を造って、アスファルトで囲ったささやかな場所に街路樹を植え、地下も使うと便利だからと道を造って、だけど熱がこもるからそこに溜まる熱を地上に放出し、暑さ寒さをしのぐためにエアコンを作って、しばらく経ってみたらフロンガスは温暖化につながるからフロン全廃の過程で代替フロンにして、CO2もかなり出てヒートアイランド現象の一要因にもなってるから年中一定温度の地中熱を利用して、結果的に一定である事で保たれている地球の地中温度を変化させてしまう。
家々が木造が当たり前だった時代に樹齢数百年、数十年の木々を伐採して、全く異質の成長の早いスギやヒノキを植樹して人工林を造り、そこにあった食物連鎖を含む生態系を壊し、酸素と二酸化炭素の循環量を変え、適度な土壌を築き、雨風しのぐ役割を低下させ、伐採を繰り返す。
山を削り、木々を伐採し、トンネルを掘り、自然界の強度を低下させるだけ低下させて道路を造り、アスファルトで埋め、車を走らせ、街を形成し、本来被害があるはずのなかった地域で台風や暴風雨による土砂災害など甚大な被害を引き起こす。
それでも尚且つ、地域活性化の為になどのもっともらしい理由から、こうした人災を省みない開発を続ける。
一方で、地下もどんどん掘って、いろんなものを埋め込んで、ほら便利でしょう?という。
この地下施設のおかげでちょっとやそっとの豪雨なら吸収・処理できるんですという。
昨今のゲリラ豪雨には耐えられないけど。
木々を切り倒し、緑を激減させ、街をアスファルトで埋め尽くして、水を吸収できずに処理施設をつくるはめになってるんだよね?
人間の納得いく整備して人が集中して居住したから、結果的に床上浸水、床下浸水の被害が出るんだよね?
もちろん木々があって、緑があって、地面が土でも、ぐっちゃぐちゃにはなるとは思うけど。
ただこれも想定外の雨量だったという事であって処理施設の技術的問題というわけではないけど、そもそもそれ以前の問題だよね?
通貨、つまりお金によって物やサービスがスムーズに流動化していて、逆にそのお金がないと何もできない世の中だから、お金の為に働いて、お金をより多く持っていると物質社会で出来る事の多くを享受できるから、今より多く、人より多くのお金を求めて、より多くのお金を求める為に、より多くお金(給料)をくれる会社に入る為に、起業する為に、素養としてより高い教育やより高い技術を求めて大学院、大学を追い求めて、その為に実現可能性の高い高校を求めて、その為に実現可能性の高い中学を求めて・・・その為に実現可能性を高めるために胎児教育に力を入れて・・・
社会はこれを受け入れる為にも、さらに市場を拡大して、技術力を高めて、商品・サービスを次々に生み出して、消費者に消費してもらって、シェアを拡大して、国内だけじゃ物足りないから世界を視野に入れて、その国の産業をも食い荒らして・・・
そろそろそのスピードで食い尽すところも限られて、限界が見えてきたけど、今度は宇宙?
経済社会が悪だとは言わないし、その恩恵は私も受けて生きてきているわけだけど、このスピード超過した成長と、それを支える為の教育対象の低年齢化は、ゆっくり走っている場合に対してパイの先食いをしたに過ぎない。
でもスピードアップしないと他の国に負けるから、追い抜かれるから、という競争社会の強迫観念の中でおのずとスピード超過したんだけど。
でもさ、これって、このやり方っていつまでも続くもんじゃないよね?
というか、どう見ても近い将来、行き詰まるよね?
軍備もさ、他国に攻め込まれたら、これは歴史が物語ってるから、人は必ず争うから、集団になると危ないから、必ず戦争は起きるっていう前提で軍事費つぎ込んでるよね?
でも、ホントにそうなのかな?
というか、人間の「欲」の最終形が「戦争」なんじゃないかな?
でも、人間って「欲」だけじゃなくて「理性」っていうものも「優しい心」っていうものも「思いやり」「慈しみ」や「愛」っていうものも持ってるよね?
あまり意味はなさないけど数だけで言えば、「欲」より多いよね?
「理性」「愛」「思いやり」「慈しみ」「優しい心」からは戦争は起きないよね?
「愛する人を守るため」とかいうのは、この場合、後付けの大義名分であって、「欲」が原因で争い、それが最悪の形で戦争を招いてきたんだよね?
これって自然発生的に偶発的に起こるように見えるけど、「欲」を貫き通す為の現状打開の策として敢えて戦争を起こす輩がいたし、今もその危険分子がいるって事だよね?
でもその対処方法として、「軍備強化」って安易で短絡的で幼稚だよね?
喧嘩に負けそうだからって、ナイフとか拳銃を持っていくって卑怯で卑劣だよね?
最初はそんなつもりはなかったけど相手がナイフやけん銃持ってきたからって、じゃあ自分もって持ってきたら、正当防衛?
日本なら持ってる時点で銃刀法違反だし、おそらくどっちが生き残っても情状酌量の余地って限りなく小さいよね?
喧嘩にしろ、戦争にしろ、後で制裁を加えるとしても、起きる事、それ自体は法律で完全に止める事はできない、だから戦争も起こることありきで考える、それが危機管理意識だ!
っていう理屈なのかな?
それこそ、人間の脳みその、人間の心の、豊な発想や豊かな感性、愛や慈しみ、優しさ、思いやりを育む時期を邪魔したり、誘導したりするのは、人類の一番小さな形である人の人心形成に対する危機管理意識が欠如しているってことなんじゃないかな?
すべてにおいて「張りぼて」で「つぎはぎだらけ」の「矛盾」した「嘆かわしく」「寂しい」現状を改善すべく、結果的に金銭的な豊かさが全てといわんばかりの現状を改善すべく、心豊かな温もりある人間関係、地域、社会、国、世界を築く事に注力すべきなんじゃないかな。
それが人間に与えられた使命なんじゃないかな。
そう考えると地球を壊し、食い尽す事で満たしてしまっている現状から地震や台風、竜巻、ハリケーン、津波...etc.の天変地異により被るはずのなかった被害増大や身勝手な凄惨な犯罪は、全てが起こるべくして起きていて、人類の自業自得じゃないの?って思える。
だから、現実の多くの事が本末転倒に見える、というか明らかに本末転倒だ。
そうならないように工夫するのが人間に与えられた使命なんじゃないかな。
欲をかなぐり捨てて、欲を捨てたという感覚すら持たずに満足をもたらす平穏を求めて。
『心にある「欲」』を『心ある「良く」』にする事が。
季節を問わず17度程度の一定温度を保つと言われる地中。
これを利用して暑い季節(夏)は、暖気を地中に送り、地中熱で冷やし、冷気を戻す。
逆に寒い季節(冬)は、冷気を地中に送り、地中熱で暖め、暖気を戻す。
という仕組みでエアコンの室外機のように熱風が吹きだす事がなく、地中熱交換機の室外機に相当するものも25℃前後の熱を持つ程度で済み、CO2を排出しない、ヒートアイランド対策ともなるエコシステムという触れ込みだ。
欧州、米国などの欧米各国では地中熱利用が浸透しているらしい。
でも、年間を通して17度前後という一定温度を保つ地中の平均温度が上昇・低下する、または地中温度が不安定になるといった懸念はないのかな?
先日、東京渋谷の渋谷駅周辺の再開発に伴って東横線?の駅がリニューアルしたけど、熱がこもらないように熱交換を効率よく、コストパフォーマンスを向上させる策として広範囲にわたり地上に熱を逃がす空洞を造ったそうだ。
これ自体も無理のない熱交換に見えるけど、本来なかった余分な熱を地中に発生させると同時に本来なかった熱を地上に放出することになることからヒートアイランドの原因になっているのでは?と思われる。
これまでつくられた地下鉄に比べればマシかもしれないけど。
どこだったか忘れたけど(別記事で触れている)都内の一般道環状線で一部地下を通し、内部の熱を逃がす為に排熱塔を数キロ間隔で設置しているらしいんだけど、これも似たようなものかと。
地下開発がそんなにも必要なのかについては他記事で書いたけど、上下水道、電線、通信線、豪雨に備える貯水施設、トンネル、地下鉄等々、地上だけでは飽きたらず、地中までも人為的に手を入れ、さらに地球のメカニズムを壊そうとしている。
リサイクル技術も向上してきた日本においてもリサイクル率100%とはいかないので、リサイクルできない屑は地中に埋め、公園にしたり、ゴルフ場にしたり、見た目自然に見える環境にしたりしている。
ゴミも処理しきれないものはご承知の通り東京湾など海に埋め、無理矢理陸地にしている。
そんな埋立地であり、ガス会社が元あり、地中に有害物質が多量に含まれる豊洲某所に新鮮な魚介類を扱う築地市場を移す計画があったりする。
どうしてそういうむちゃくちゃな発想が生まれるのか。
経済の考え方の中には、企業や商品の栄枯盛衰があり、これらには統計的に一定のライフサイクルがあり、企業90年説(現在はもっと短いという説が多い)といえば、最初の30年が成長期、次の30年が安定期、残りの30年が衰退期であるとされ、似たように商品・製品にもプロダクトライフサイクル(PLC)があるとされる。
それぞれの期間で市場戦略は変化する、市場戦略を変化させる、その一方で新商品や新サービスを打ち出し、次の柱に据える。
市場戦略上は、簡単にいうと顧客については世界各国、日本各地の地域、年代、性別、趣味嗜好等々による顧客のセグメント(層)化、競合については、その立ち位置からリーダー、ニッチャー、フォロワーなどに分けられるとされ、リーダーは当該商品・サービス周辺において他をリードする存在、代表企業であり、フォロワーはリーダー企業と同じような特徴のない商品を扱い、ニッチャーはセグメントを絞り込み、他に負けない付加価値を持ってニッチ(隙間)市場で力を発揮する企業を指すとされる。
逆に常に競争を強いられ、自ずと栄枯盛衰の道をたどる事になる。
その過程で自ずと雇用も調整される事になる。
景気が右肩上がりの際には、各企業や各商品・サービスにこれらの栄枯盛衰があったとしても衰退する企業に比べ新規起業や新規参入、成長企業の方が多いので雇用も結果的に増員の方向に向かうけど、不景気になれば、逆になる。
企業や商品・サービスはこうした状況、環境にも当然左右される。
この状況や環境に大きく影響を受けた代表例が、今回の衆院選の結果にも表れているんじゃないかな。
これによって路頭に迷いそうな自民党議員秘書も数百人はいるだろうとの事。
でも、たとえ何もやらない私利私欲に走っていた自民党といえど、世界同時不況が起きなければ、今回の大敗はなかったかもしれない。
それは、不満以上に社会的に満足している状態にある人が多い状態(好景気)、不満が上回る人が多い状態(不景気)で実生活における栄枯盛衰を実感するからに他ならない。
良い時は、いろいろあるけど、まいっか、悪い時は、いろいろあるのは許せない!なんとかしてくれ!っていう感情が自ずと働くから。
だからオバマじゃないけどChangeが必要と考える人が増え、多くの人々が不満がたまった状態になり(今までもあったはずの)許せない部分が自分の中で大勢を占めた結果、長年政権を維持し続けた自民党ではない政党に向かわせたのだろうから。
政治の場合は、経済の競争原理とはほぼ無関係だから別として、客観的に見えれば経済社会のライフサイクル上、不満が多い人が増える状態(不景気)は、当然、起こり得る事象であるともいえる。
景気がよく、満足している人が多い状態が好景気だと言っても、好景気の時でも、ピラミッドによって成り立つ経済社会では、誰かの犠牲のもとに誰かが潤い、何か(地球)の犠牲のもとに社会が発展していくという冷静に客観的にみると惨(むご)い状態であるともいえる。
結局自分さえよければいいのか?という状態を否応なしに作り出してしまう。
競争が激化すればするほど、経済的な豊かさが幸せだと考える事がベースとなる経済は、いい会社、いい団体に入る為にいい大学院、いい大学、いい高校、いい中学、いい小学校、いい幼稚園、いい幼児教育、いい胎内・胎児教育と生まれながら、生まれる前から競争にさらされる事になる。
これらは幼少期、成長期に培われるはずの、学校教育によって勉学以外に培われるはずの協調性や思いやりや感謝の気持ち等々といった優しい心が育ちにくい環境を造り出している。
相変わらず廃止されない裁判員制度だけど、今審理中の裁判で婦女暴行犯の一件があるけど、女性を殴ったり、蹴ったり、叩いたりしちゃいけないと教えられたから、強姦したという意味不明な恐ろしい供述をしているという。
一方、最近書類送検された事件で、14歳の男子中学生が当時13歳の女子中学生を買春したというものがあった。
異性に興味があり、お年玉や小遣いを10数万溜めており、お金があったからやったと供述しているという。
その年ごろで異性に興味を持つ事は健康的だけど、買春に至るその思考回路は病気だ。
陰湿なイジメの横行も、凄惨な事件の短絡的かつ身勝手な動機も、こうした事件を起こす犯罪者の年代が幅広い事も、小中学生の自殺の多発も、犯罪の低年齢化も、高学歴の有名大学生を含む大麻や覚せい剤などの栽培、売買、所持、これに伴う恐喝など行動自体は、悲しく理解に苦しむ事が多いけど、そうなる原因は、確実に社会にある。
政治、経済、地域、学校、家庭の中に、そして子ども大人問わず教育の中に確実に原因がある。
特に幼い頃は、心の成長の為にあるのであって詰め込み教育を行うためにあるのではない。
10歳くらいまでが一番知識を吸収しやすいと言われ、確かにそこの頃からピアノなどの楽器やスポーツで若くして才能が開化する人もいるし、モーツァルトも6歳にして大人を驚愕させる能力を発揮したと言われている。
でも、先天的に、もしくは、自ら興味を持って始めるものと、親であっても他者が強制するものは全く違う。
後者でも子どもがそれに順応する事もあるけど、それは順応性が高い、つまり純真無垢だからであって、自発的行動ではないし、動物の調教に近いものすら感じてしまう。
その幼少期から過度なストレスを与え続ける事は健康的とは言えない。
脳に限界がなかったとしても、心に限界がなかったとしても、個人差はあるにせよ一生の間に顕在意識として表れ、現れるものには限界があると思う。
心を養うべき最適な時期に、他の、特に親のエゴから来る外部要因を植え込むのは、洗脳にも近いとさえ思ってしまう。
その親のエゴが、社会の仕組みによって生まれているとなれば、尚更、問題だ。
その人の一生が、愛でられ、愛され続け、不都合な側面を見られることなく遂げれば別だけど。
もちろん充実した人生を送れるように、成功する人生を歩む事ができるように、勝ち組になれるように、こうした考え方が親心として芽生える人も多いだろうし、それはそれでそう思う人がいてもおかしくはない。
でも、それが社会から実質強制されているのなら、まともに育つはずだった人でさえ人の道を踏み外していく、思考が極端に偏ってしまう、相手を思いやることができない、優しくない人が大人になるケースは増加の一途をたどるんじゃないかな?というか実際に増えているんじゃないかな?
これは今、そうやって生きてきた全ての人々がそうだと言っているわけではなく、私はそうではないけどといいたいわけでもなく、子孫繁栄の過程で、代々受け継がれるに従って、浸透してはいけない考え方が増幅し、それが前提となって物事を考えるようになると、先人が目を覆いたくなるほど、耳をふさぎたくなるほど、涙が止まらないほど理解に苦しむ自分勝手な解釈で行動を起こしてしまう人が増えている、増える一方になると思うんだよね。
もちろん、それはおかしいと思える子孫もいるだろうけど、心の基礎が育つべきとき、心の成長がはぐくまれるときに、それを阻害する余分な教育や環境は、おかしいと思う心とそれに伴う行動も理解不能になる可能性すらある気がする。
更に核家族化も社会の流れによって、都心一極集中によって、経済地盤の一極集中によって形成されていったわけだけど、それによって世帯に占める人数が減り、世帯数が増えたわけだけど、人にも栄枯盛衰があり、歳老いていく、それが今の高齢化社会の中でも独居老人を増やす結果にもなっている。
代々、同じ土地に、同じ家に住み続ける事によって3世代、4世代、場合によっては5世代?にわたってその時、生きている家族との普段の生活がなければ、お年寄りをいたわる心、お年寄りが、孫やひ孫を甘やかすばかりではない関係を、そして持ちつ持たれつ生きてきた人との永遠の別れを知らずに育つ事になる。
2世帯住宅とかではなく世代を超えたひとつ屋根の下に暮らすことによって形成される心は大切だと思う。
その過程で養われた心は何物にも代えがたい世代を超えた互いに対する優しさを互いに身につける事ができるし、子どもからすれば親とおじいちゃん、おばあちゃんへの接し方が、自分と親の接し方の模範、または反面教師になる点も大事な過程だと思う。
でも、社会の方向性は、こうした家庭を阻害する要因となっている。
それでも同居しようという人もいて経済的に豊かでかつそうした気持ちを持てる人は2世帯住宅や3世帯住宅に住まうけど、決して多いとは言えない。
経済は、結果的に家庭を崩壊させているともいえる。
でも、その家庭を形成する家族の多くも経済を迎合している。
経済社会、過度な市場原理主義という屈折したメガネをかけた人類が進む道は、メガネをかけずに自分の目で裸眼で見ればどれも本末転倒に映る。
経済社会を迎合したいから、自然を壊したあと、街路樹や公園の木々のように自然を大切にしてますという矛盾した行動をする。
道路があると便利だからと山を削って、土をアスファルトで埋めて道を造って、アスファルトで囲ったささやかな場所に街路樹を植え、地下も使うと便利だからと道を造って、だけど熱がこもるからそこに溜まる熱を地上に放出し、暑さ寒さをしのぐためにエアコンを作って、しばらく経ってみたらフロンガスは温暖化につながるからフロン全廃の過程で代替フロンにして、CO2もかなり出てヒートアイランド現象の一要因にもなってるから年中一定温度の地中熱を利用して、結果的に一定である事で保たれている地球の地中温度を変化させてしまう。
家々が木造が当たり前だった時代に樹齢数百年、数十年の木々を伐採して、全く異質の成長の早いスギやヒノキを植樹して人工林を造り、そこにあった食物連鎖を含む生態系を壊し、酸素と二酸化炭素の循環量を変え、適度な土壌を築き、雨風しのぐ役割を低下させ、伐採を繰り返す。
山を削り、木々を伐採し、トンネルを掘り、自然界の強度を低下させるだけ低下させて道路を造り、アスファルトで埋め、車を走らせ、街を形成し、本来被害があるはずのなかった地域で台風や暴風雨による土砂災害など甚大な被害を引き起こす。
それでも尚且つ、地域活性化の為になどのもっともらしい理由から、こうした人災を省みない開発を続ける。
一方で、地下もどんどん掘って、いろんなものを埋め込んで、ほら便利でしょう?という。
この地下施設のおかげでちょっとやそっとの豪雨なら吸収・処理できるんですという。
昨今のゲリラ豪雨には耐えられないけど。
木々を切り倒し、緑を激減させ、街をアスファルトで埋め尽くして、水を吸収できずに処理施設をつくるはめになってるんだよね?
人間の納得いく整備して人が集中して居住したから、結果的に床上浸水、床下浸水の被害が出るんだよね?
もちろん木々があって、緑があって、地面が土でも、ぐっちゃぐちゃにはなるとは思うけど。
ただこれも想定外の雨量だったという事であって処理施設の技術的問題というわけではないけど、そもそもそれ以前の問題だよね?
通貨、つまりお金によって物やサービスがスムーズに流動化していて、逆にそのお金がないと何もできない世の中だから、お金の為に働いて、お金をより多く持っていると物質社会で出来る事の多くを享受できるから、今より多く、人より多くのお金を求めて、より多くのお金を求める為に、より多くお金(給料)をくれる会社に入る為に、起業する為に、素養としてより高い教育やより高い技術を求めて大学院、大学を追い求めて、その為に実現可能性の高い高校を求めて、その為に実現可能性の高い中学を求めて・・・その為に実現可能性を高めるために胎児教育に力を入れて・・・
社会はこれを受け入れる為にも、さらに市場を拡大して、技術力を高めて、商品・サービスを次々に生み出して、消費者に消費してもらって、シェアを拡大して、国内だけじゃ物足りないから世界を視野に入れて、その国の産業をも食い荒らして・・・
そろそろそのスピードで食い尽すところも限られて、限界が見えてきたけど、今度は宇宙?
経済社会が悪だとは言わないし、その恩恵は私も受けて生きてきているわけだけど、このスピード超過した成長と、それを支える為の教育対象の低年齢化は、ゆっくり走っている場合に対してパイの先食いをしたに過ぎない。
でもスピードアップしないと他の国に負けるから、追い抜かれるから、という競争社会の強迫観念の中でおのずとスピード超過したんだけど。
でもさ、これって、このやり方っていつまでも続くもんじゃないよね?
というか、どう見ても近い将来、行き詰まるよね?
軍備もさ、他国に攻め込まれたら、これは歴史が物語ってるから、人は必ず争うから、集団になると危ないから、必ず戦争は起きるっていう前提で軍事費つぎ込んでるよね?
でも、ホントにそうなのかな?
というか、人間の「欲」の最終形が「戦争」なんじゃないかな?
でも、人間って「欲」だけじゃなくて「理性」っていうものも「優しい心」っていうものも「思いやり」「慈しみ」や「愛」っていうものも持ってるよね?
あまり意味はなさないけど数だけで言えば、「欲」より多いよね?
「理性」「愛」「思いやり」「慈しみ」「優しい心」からは戦争は起きないよね?
「愛する人を守るため」とかいうのは、この場合、後付けの大義名分であって、「欲」が原因で争い、それが最悪の形で戦争を招いてきたんだよね?
これって自然発生的に偶発的に起こるように見えるけど、「欲」を貫き通す為の現状打開の策として敢えて戦争を起こす輩がいたし、今もその危険分子がいるって事だよね?
でもその対処方法として、「軍備強化」って安易で短絡的で幼稚だよね?
喧嘩に負けそうだからって、ナイフとか拳銃を持っていくって卑怯で卑劣だよね?
最初はそんなつもりはなかったけど相手がナイフやけん銃持ってきたからって、じゃあ自分もって持ってきたら、正当防衛?
日本なら持ってる時点で銃刀法違反だし、おそらくどっちが生き残っても情状酌量の余地って限りなく小さいよね?
喧嘩にしろ、戦争にしろ、後で制裁を加えるとしても、起きる事、それ自体は法律で完全に止める事はできない、だから戦争も起こることありきで考える、それが危機管理意識だ!
っていう理屈なのかな?
それこそ、人間の脳みその、人間の心の、豊な発想や豊かな感性、愛や慈しみ、優しさ、思いやりを育む時期を邪魔したり、誘導したりするのは、人類の一番小さな形である人の人心形成に対する危機管理意識が欠如しているってことなんじゃないかな?
すべてにおいて「張りぼて」で「つぎはぎだらけ」の「矛盾」した「嘆かわしく」「寂しい」現状を改善すべく、結果的に金銭的な豊かさが全てといわんばかりの現状を改善すべく、心豊かな温もりある人間関係、地域、社会、国、世界を築く事に注力すべきなんじゃないかな。
それが人間に与えられた使命なんじゃないかな。
そう考えると地球を壊し、食い尽す事で満たしてしまっている現状から地震や台風、竜巻、ハリケーン、津波...etc.の天変地異により被るはずのなかった被害増大や身勝手な凄惨な犯罪は、全てが起こるべくして起きていて、人類の自業自得じゃないの?って思える。
だから、現実の多くの事が本末転倒に見える、というか明らかに本末転倒だ。
そうならないように工夫するのが人間に与えられた使命なんじゃないかな。
欲をかなぐり捨てて、欲を捨てたという感覚すら持たずに満足をもたらす平穏を求めて。
『心にある「欲」』を『心ある「良く」』にする事が。