平然と行われていた超有名企業を含む業界全体の再生紙使用率偽装。


法改正に実態が追いつかなかった為、「やむなく」偽装をしたという。


古紙のリサイクルはコスト高を吸収できず古紙に至っては中国などから輸入しているという。


また日本で出たゴミを輸出してそのゴミから輸入元では生活必需品になるものもあるのだという。


衣料品のリサイクルもコストが割高で需給バランスが整わずにいる。


ペットボトルは需給バランスどころか再生することにより二酸化炭素や余計な不純物を吐き出している。


食料のリサイクルも盛んになってきているようだ。


でも、食品添加物などが含まれる人が食べる食材を動物の飼料にしたら動物が生活習慣病になっちゃうんじゃないの?血行も悪くなると思うよ?今やペットも生活習慣病にかかるわけのわからない時代なんだから。


まず、


◎十分に水が得られない地域で土壌を肥やすのに異常な費用のかかる土地で農業をする前に水確保のための知恵や研究を本質を見極め導入してからはじめる。

◎廃棄しなくて済む適正量の生産

◎見た目や粒そろいにこだわらない出荷(値段の格差をつけるべきでもない)

◎見た目をよくするための食品添加物を一切使わない

◎動物にドーピング検査でひっかかりそうな薬物注射などによって肥えさせない

◎飼料にも添加物を使わない

◎糞尿こそリサイクルする

◎保存料を使わないことで鮮度を維持できない地域から輸入しない

◎鮮度に関わらずとも莫大な輸送費とそれに伴う二酸化炭素排出を伴う輸入をしない。

◎輸入量減少の対策として食料自給率を上げる努力をする


などすぐにやること、やれることは多いはずだ。


有害金属や人為的ともいえる不純物が混じるものを新規につくらなければ、リサイクル時に余計なコストを使わずに済む。


それをやらないから後付で何をしても一向に変わるどころか悪化していく。


今は二酸化炭素を排出しているもの同士の取引でしかないCO2排出権取引。


環境に優しいと大手スーパーがレジ袋有料化に踏み切った極々最近、続々とエコバックが市場に大量投入されている。


レジ袋は少なくとももう十数年前から問題視されていたのに経済の潮流に乗って大量投入されているのだ。


でも大量すぎてエコバック自体がエコじゃなくなっている気がする。


本質はエコバックが必要というわけではないのだから。自然環境へ意識を向けるきっかけに過ぎないのに。


こうした本末転倒を生み出してしまうのが経済の悪い点だ。そしてこぞってそこに利益を求めようとする、エコに力を入れている企業ですよとアピールする。


それじゃ自然には優しくないレジ袋だけどそれに代わるきっかけのエコバックはそれと同じ広告目的じゃないか。。しかも必要以上に各社がこぞって作ってどうするんだ。。。


しかもスーパーだけでなく、バッグなどを扱うファッションブランドやはたまたノベルティ会社まで・・・


素材は環境に優しいかもしれないけど多すぎるんだよ!参入しすぎ!


ファッションブランドならエコバックもいいけど、自社でつくるバックは自然に還らないものは一切使わない。例えば金具すら使わない総革張りとか、コットン100%などの天然素材のみにするとかそういう活動が必要なんじゃないんだろか。


靴もそう。服もそう。服飾雑貨もそう。家もそう。


食料もそう。



大量生産、大量消費、大量廃棄から減産、再生、再利用へ移行する過程で経済社会という壁を迂回する策ばかりを講じるために生じる弊害。


大きく舵取りを間違える対策。


元を断たなければ解決策にならないのに。


大量生産、大量消費、大量廃棄から減産、再生、再利用へ移行するために現状維持ではなく、水準を下げなければ実現できないことは明白なのに。


経済水準は下げないという矛盾の中で無駄な努力をしている。


ますます、事態を悪化させている。


生活水準含め、経済社会の前提で幸せと感じている意識の変革が求められているのに。


変革なんて大それたものではなく、元々大昔から生命体が生きていく上で生かされている上で幸せと感じる状態に戻るだけなのに。


その本来の状態を忌み嫌い、醜くゆがんだ社会や人の心を生み出す主要因となってしまった経済を溺愛し、自分を、祖先を、先祖を、他の生命体を、地球を、宇宙を考える上で重要な本質から目を背ける姿勢が変わらず根付いている。


そんな脆弱な信用という、現代では心ない社会や人を生み、より困難になっている信用という脆く儚い基盤の上に成り立っているように見える経済社会に埋もれ、井の中の蛙となった多くの人類。


他の生命体や地球を壊し続けることで自らの首を絞める結果になっていることから目を背け、首が絞まるその時になって後悔するつもりなのだろうか。


騙すより騙される方がいいとか、人を傷つけるなら傷つけられる方がいいとかいう言葉がある。


でも、私たち先進国と呼ばれる地域に暮らす人々の必要だと言っている生活水準を維持するための経済社会が既に他生命体や他国の特に今日を生きることさえ厳しい地域の人々へ悪影響を与えているという現実から目を背けている人が、今、まさに目の前で起きている出来事でないから他人事、無関心、無感情な人がそういっているとしたら偽善以外の何者でもない。


行動を起こさずとも目をそらしてはいけない現実。


その現実は本質だ。そこに触れ心動かない人がいるとすれば残念ながら心荒んでいる。


今、自分にできること。本質を見極め、できることならなんでもいい。


間違った方向へ進んでいる社会の渦に誤魔化されることなく、世の中で普通一般にやっていることだから常識なんだと見誤ることなく、真実に目を向け進んでいきたい、進んで生きたい。