この世の中には『専門家』と呼ばれる人々がたくさんいる。
ある物事について深く極めた方を専門家と呼ぶ事が多いと思うけど、ある物事を追求し、究明している人々の成果は当然ながら素晴らしい。
でも、ある物事に執着するが故、ズームアウトして見渡したとき、ズームアウトすればするほど周囲から見た視点に欠ける事が多いと感じる。
そのために必要になるのが、それを判断できる人材だ。
ところがこの判断できる人材がほとんどいないと強く感じる。
その研究や成果から得られる効果とリスクを見る人はまぁまぁいる。
しかし弊害を真摯に受け止め、その研究や成果の採用を見送るという人が少ない。
ズームアウトすればするほどだ。
自然環境の破壊が予見される場合でも見誤っている技術は多い。
この時、天秤にかけ、優先されてきたのが経済だ。
この地球自然環境の破壊は、予見されたはずであるばかりではなく、そのリスクは甚大で実現可能性という見地から明らかに進められるべきでないものが多すぎる。
「実現可能性」という言葉がよく使われるようになってきたが、この言葉の一側面しか捉えられていない現実が潜んでいる。
地球自然に甚大な被害をもたらすリスクを無視してその研究が技術となり採用されるに至るのは正にこれにあたる。
弊害はともかく、「研究成果自体は実現可能性が高く、実現できる」という安易な見方だ。
これまでことごとく一事が万事、そうであったために過去日本が四日市や川崎の公害による喘息やイタイイタイ病や水俣病などそうした弊害自体は目には見えなくなったけど、水や空気には今も尚、有害金属や不純物が含まれ、酸性雨なども生み、オゾン層も破壊され、浄水してもアメリカであったように医薬品成分が水道水に溶け込んでいる現実が、地球温暖化による北極、南極の氷解や生態系の変化による異様な生物の進化、海面温度の上昇と潮流の変化に伴う海の生命体の生態系崩壊、経済の為に地上の山林などを人類の勝手で伐採し、適当になんでもいいから植えてしまえ的な緑化によって地上生物の生態系もぐちゃぐちゃだ。
そして元々苦しい途上国の人々はこれまでになかった病などに冒され、生命をつなぐ水や空気さえ汚染され、まともに生きることすらできない時代を作り上げた。
これらだけを見ても根本解決に至っていない事を明確に現わしている。
市場の信頼関係によって成り立つ市場経済、証券や外為は、その足元は信頼関係という実態のない、貧弱な前提の下に成り立っているけど、今回のアメリカのように実体経済の低迷を隠す為に、回収不能なリスクだけが異常に高いサブプライムを生み出し、証券化したことが世界に打撃を与えているようにこの貧弱な足元の上に成り立つこれらの仕組みは正に実体のない泡つまりバブルであり、そのバブルは、ウソにウソを重ねた悪行であり、信じられないほど儚くもろい。
これまでそれぞれの様々な専門家たち(経済ならマルクスやケインズなどなど)が言ってきたことの中で都合のいい部分だけを取り出して鵜呑みにしてやってきたことは、地球への感謝ではなく冒涜だ。
考え方も重要だが、それを運用する側が偏向することなく理解していないと真意を外れた運用となり、そもそもの考え方自体が無意味になる。
これらの弊害は、無視してよかった弊害なのだろうか?
グローバル経済に身を投じ、輸出入という貿易面で旨みを得て、海外の不動産投資など散々やってきた日本がM&Aで買収されそうだとなると防衛策に走り、外資なら尚更、是が非でも買収はさせないと息巻く。機関投資家が経営に真剣かどうかなど関係ない。
グローバル経済の中でそうしたリスクがある事はわかりきったことなのだから旨みを取りに行くなら当然のリスクだ。知らなかった、そう感じていなかった、その為の経営戦略は立てていなかったというならそれこそ経営怠慢だろう。外資の機関投資家をとやかく言う筋合いではない。
それがグローバル経済の仕組みなのだから。自分たちが食い尽くすのは楽しいけど、やられるのは絶対嫌。ってガキ大将じゃないんだから。
美味しいとこ取りじゃ世界から置いてけぼりになるよね、そりゃ。
一人一人を見れば、まともな人も多いはずだけど、ズームアウトしてみるとどこからどう見てもまともじゃないのが傲慢な人類だ。
世界というグローバル経済という環境に対するアンテナの張り方が甘い、周囲に気配りができない、猪突猛進では協調性は生まれない。
自国で発動された京都議定書も今年から目標年の初年度に入ったが、議長国である日本が減らすどころか増えていてEUの方が進んでいるなんて恥ずかしい限りだ。洞爺湖サミットでまた議長国となる日本が自らの失態をさて置いてそれでも理解ある大人の姿勢を保つEUに対して、これから同調してこざるを得ないアメリカや中国他の国々に何を言うのか、何を言える立場なのか苦しい立場に立たされることになる。
でもこれも危機意識が高ければ、もっと実現可能性を持って経済界の重鎮たちに惑わされずに真摯に真剣に取り組んでいれば、こんな恥ずかしい思いをすることすらなく、堂々たる意気揚々とした気持ちで望めたはずの洞爺湖サミット議長国日本。
危機管理能力の欠片もない。これは政界だけでなく経済界も同様。
そんな優等生なEUですら、目標値は達成できそうだけど、それでも実は間に合わないという危機感が世界にないから刻一刻と世界各地で地球温暖化に伴う弊害が動植物や土壌や海水や地下資源や人類に目に見えて脅威が迫っている。
どんなにどうあがいてもここまで来てしまった地球や自然環境を回復に向かわせる為には経済的に縮小してしまうとか、生活レベルが下がってしまうとか言ってる場合じゃなくて地球自然環境回復を最優先して進めていかなくちゃダメなんだって。
本気でそう思ってたならなんで政治家や官僚は、税金をだまってれば沸いてくるものだと思って無駄遣いしてきたのさ。本気で考えてないからのほほんとやってきたんでしょ?
そういえば、なんだか前々政権から始まった規制でODA投資できないんだって?そんなのこそすぐ改正して投資しなよ。無駄金遣わないで真摯にやればそんなのすぐ出てくるでしょ。
ほんとに呆れるよ。
それでもまだ、それができないなら二の足踏むなら人類の未来はない。未来を生きるべきあなた方のかわいい子供や孫、子孫は生きる場所を失い、誕生することすら許されない事態になることを覚悟する必要がある。
仕方ないねなんて馬鹿げたこという人は誰一人いないだろう。
だから迷っている暇はない。
専門家による専門知識が専門の極々身近な周囲にしか目配り、気配りができないために至るところの専門分野が一人歩きしている。
政府の縦割り行政のごとく、縦割りで併用したり、協力したりして相乗効果を生むような研究や技術はわんさとあるんじゃないだろうか。
これまでの視点ではなく、もっとズームアウトしてみれば。
ひょっとすると自然保護とは全く無関係と思われるような研究、技術でさえ。
そのためには、ズームアウトワンプッシュごとに全体を見渡せる人材がそれぞれの分野に必要だ。
さらにズームアウトして分野を超えて見渡せる人も。
そしてさらにズームアウトして・・・見渡せる人も。
そしてそれぞれに裁量が与えられ分野や立場を超えて見渡せる人がさらに決断ができる仕組み。
もちろん利権など私利私欲に走る人は論外だ。
こんなに人口増えたのにそんな人いないわけ?
多くの人の中から適任者を見つけられる「専門家」はいないわけ?
適任者を見つけられる能力は、適任者が持つ適正自体に関する分野や視野を広くもち、知っている人で且つ、そうした人材発掘能力も併せ持つ人じゃないとダメだからいないのか。
それじゃ仕方ないね。
・・・・・・・・・・ってホントにそれでいいわけ?