【ガソリン暫定税率】撤廃反対
高値を維持すれば排気ガスが減り、環境に優しい。
価格高騰、調達が困難になる食糧飼料原料のバイオエタノールではなく、違う手法の模索が始まり好転する。
ただし、30年もさりげなく続けてきた【暫定】税率にもそれをすべて道路特定財源にあてることも、そもそも新規に造る道路の為だけの予算組で修繕・補修予算がずさんなことにも道路特定財源の無駄遣いにも納得はいかない。
この点は即刻改善する必要がある。政治は与野党の政権奪取競争と化し、これという政党があるわけではない。持つ者の意識レベルで持たざる者の気持ちがわからない人種による政策上の歪みもでてくるだろう。それ以前に利権がらみの私腹を肥やす体質や民間企業のように追い立てられることもそれほどの目標もなく、ある程度ならどう過ごそうが毎月決まった収入をもらえる環境はよりよい方向に行くのだろうか?民間の学力・人脈中心の見せかけの実力主義も課題は多い。それにしてもずさんさが目立つ公的機関。借金を増やし続ける国。
人口が減り、労働人口が減っていくことが目前になって慌てだす。人口を維持していくだけの家計を安定させるような政策がなかったということだろう。
前回書いた【18歳成人議論】
経済に参加する人口を増やしたいという安易な案。
さらに【キレやすい子供や成人の増加】これに伴い【凄惨な犯罪の増加】につながっている。
運動・食事・睡眠・休養(お風呂にゆっくり浸かる習慣含む)が必要だ。
どれも欠如するとイライラが募り、キレやすくなる。体が冷えきっている(自覚症状があってもなくても)とやはりキレやすくなる。
【生活習慣病予防】
これは生活習慣病予防にもなる。成人病から生活習慣病と名を変えてからも一向に減らない病。ちょっとした生活習慣改善が予防になるのに。他人事のように聞き流す人が多いから減らない。真剣に考えて実行してみる価値はあると思うんだけど。自分の為にも家族の為にも。
【世代交代が生む弊害】
自分たちが味わったような辛い、苦い思いは子どもにはさせたくないと良かれと思って行ってきたわが子への躾や教育、マナーを伝える習慣が薄れている。特に核家族化が進んだ結果、古き良き時代を含め良くも悪くも歴史が語り継がれない上、世代を超えた家族が同居していない為、お互いに接し方がわからなくなっている。歳をとるとはどういう事か、どんな事が身の回りに起きるのかを実体験を持っていないことが、マナー、思いやり、気づき、愛情の根付かない環境をつくってしまっている。
身内でそういう環境がないとまして他人への思いやり、気づき、愛情は生まれにくい。こうした世代が他人が集まる社会にでた時にこれまで以上の歪みや弊害が生まれる。
こうした世代を温かく見守ることができる世代も定年を迎え去っていく。温かく見守ろうにもマナーや思いやり、気づきや愛情のない世代を温かく見守るのは想像以上に難しいことだ。そこにまたひずみが生まれる。
コスト削減→人員削減(リストラの一部分の要素だけを捉えて「リストラ=人員削減」と認識させたこともよろしくない)→労働力の安い国へ依存→労働力の安い国の経済的台頭→さらに安い労働市場を求める・・・。とても建設的な考え方とは思えない。
この流れが変わらないのは長い目でみれば浮き沈みはあっても、産業構造の変化はあっても人類の知力がある限り「経済は右肩上がり」という妄想の上に成り立っているから。
貿易面でも労働市場でもグローバル社会になり、潤った事実もありながら、サブプライムのように世界に打撃を与える状況も起こりうる。
ただ、サブプライム問題はその根底そのものが無理のある返す見込みも宛てもない低所得者層の収入を業者がごまかしてまで融資し住宅を購入させる仕組みで尚且つ、それを投資対象として様々な証券や債権化を図り、表向き全く無関係と思われる証券でさえ、サブプライム絡みだったりする。各国の年金基金や保険、銀行、ファンドなどが多額に投資していたため世界に打撃を与えているが、こうしたことが予測できなかったのかといえばそれはありえない。
保険機構や年金制度が危機的状況にあり、もっと以前からアメリカ経済は綱渡り状態であって無理やり市場を作った為、起きた出来事の代表格がサブプライムと言っていいだろう。
国の在り方をアメリカ経済に習ってきた日本も同じような道を歩んでいる。社会保険も民間保険も年金も。
もともと経済の潤滑油になっているお金も証券や株券と同じでお金という紙自体に価値はない(コインが金貨や銀貨や銅貨なら多少の価値はある)、資源や生産物や加工物やサービスなど需要があるから提供があり、その時に共通の価値基準としてお金がある。
でも、資源には限りがあり、経済状態や人口だけとってもこれによって大きく左右される。単純に資源やサービスがなくなればお金には紙としての価値だけが残り、それ以上の何物でもない。白紙に比べ、色を塗って印刷してある分、紙としての価値も低いともいえる。再利用するにもその手間がかかるからだ。
でも考えてみれば、そんな単純である意味とても脆弱な「え!?そんな事で。。。」と思える状況の中に経済がある。証券、ファンド、株券、商品先物取引など今現実に資源がなくても実物が移動しなくても取引が行われお金が回っている。とすれば、本来ある価値以上のまやかしの経済がそこにある事になる。
ただ、これは資本主義経済で生きる上においては一種の【暗黙の了解】として公然と当り前のように行われている。
こうした人類の活動が、環境を汚染し、最近聞かなくなったオゾン層破壊や地球温暖化これに伴う気候変動と海面水位上昇、生態系の劇的な変化(悪化)を生んでいる。
人類はこの局面においても地球環境保護すらもビジネスに置き換えようとしている。そして排出権ビジネスなるものも実際に取引されている。経済で成り立ってきた人類が歩むべき道は、やはり経済にしかないのか。。。
マクロでみるとこうした現象も人をクローズアップして超ミクロでみると、一人の人とそれを取り囲む家族。キレやすい人が大人にも子供にも多く、家族間での凄惨な事件も多い中、人口が減り、労働人口が減り、割合として大きな労働人口が社会に還元すべきリターンの負担が増大する中、グローバル経済に揺れる中、所得格差が一層広がる中、この家族が崩壊しては、資本主義も自由経済も民主主義も成り立たない。
家族は、それ相応の笑顔あふれる家庭であれば、「気づき」や「思いやり」、「愛情」も芽生えるかもしれない。
そしてこの家族という単位が生活していく周辺環境の不自然な自然でなく、本来の自然が豊かでなくては種の繁栄や子孫繁栄はないことを宇宙が地球が動植物が人類に教えてくれている。
そんな「気づき」があれば、そこから「思いやり」や「愛情」も芽生えるかもしれない。