裏すなふきん放浪記 -2ページ目

裏すなふきん放浪記

ふだんはにこやかにふるまう

女子の裏側をお楽しみ下さい。

「どんどん、短くなりますねー^^」



うん、おまかせします、とは言ってるけど、

・・・君が切ってるんだよね?



かわいくしてくれるけど、毎回どっと疲れる。

が、その疲れがたまらん。

というのが売りの散髪屋なのかもしれん←今、ココ

彼とは順調に仲良くしている。

こういうのは二人の時だけ、といいつつ、

ちょーっとだけ、上司と部下を超えたところで、

恋愛関係には発展していない範囲にとどまっている。



とほほ・・・。



のんびりやで、穏やかな人だと思っていたが、

最近は、意外とやり手なのかも、

と、見る目が変わってきている。


まず、地雷を踏まないように、

ものすごく気を付けていることがわかる。

私といるときも、もちろんそうだけど、

まわりに、女の子がうようよいる中で、

もめごとを起こさずにやってきたということは、

そういうことだ。



あと、私のことはけっこう好きだ。



それはものすごくわかりやすくわかる。

二人きりになると、はしゃいじゃってるし。

なにそれ、かわいいんですけど。

もともとまわりに気を使う人だから、

ごはんに連れて行ってくれたり、お茶に付き合ってくれたり、

私にも気を使って、時間をとってくれているのかと思っていたけれど、

たんに、あの人が楽しいようで安心した。


私と夜ごはんを食べた後、仕事をしに社に戻るのを見送って、

悪いことしちゃったなぁ、というのと、

仕事を後回しにして私との時間を取ってくれたんだ、

っていうのがちょっとうれしかったり。


軽口をたたき、くだらないことで笑っている様子は、

見ていてちょっとほっとする。


彼にとっては、新幹線や車の移動中、

会社の人間がいないところで私と二人の時、

およそ部下らしくない口調で、ぞんざいに扱われて、

仕事以外の話をしているのは、

いつもずっしりと肩にのっている荷物を、

忘れられる時間なんだろうな・・・。


でも、その重荷、私には関係ないからー!


このままでは上司の気分転換につきあう部下として、

私の恋心を、擦り切れるまで使われてしまう。

こちとら仕事じゃないんだから、早く口説いてこいよ~!


と、じりじりしているんだけれど、

もしかして、こんなことは彼はおみとおしなような気がする。

と、いうのが目下の近況です。

仕事の本、数学の本、宇宙の本、がっつり読みたい本、

以外に私が手に取るのは、

だいたいが、しょーもない本だ。

もちろん、BOOKOFFで108円購入。


しょーもない、というのは、単なる形容詞であって、

決してけなしているわけではない。


ふんふん、なるほどねー、ってそんなわけあるかい!

みないな感じで、お茶を飲み飲み、

小一時間ほどで読めてしまう気軽さを、

ものすごく愛しているジャンルでもある。


しかし、今回のこの本は108円購入ではない。


立ち読みしたところ、

自分の体形が気になりだした男性に、

①エグゼクティヴはこぞって体を鍛えていますよ、的な煽り文句

②職業として体形を造っている人との若干飛躍した実例

③そしていつやるの?いまでしょ!的な即物感


完全にしょーもなジャンルに入ってくるのだが、

著者のテンションがおもしろい。


著者は、陸上競技で学んだ肉体改造のノウハウを生かし、

トレーナーとしてエグザイルを担当したりもしている方。


以前、テレビでエグザイルに密着みたいなテレビを見たのだが、

彼らはトレーニングを日常としている。

そのトレーニングはハードではあるが、

どこか淡々としたものだった。

私たちが9-17を仕事をするのとなんら変わらない。

鍛えるというより、こなしている、という感じだった。

確かに、少し似通ったところがある。


恋愛といい、お金といい、職業的な成功といい、

努力して、手に入らないものはいくらでもある中で、

ダイエットは、唯一、努力を裏切らない分野なのだという。

たしかに、継続できない、というのは、

まったく自分のせいである。

逆に言うと、継続さえできれば、ダイエットは成功するし、

一歩進んでトレーニングまでやれば、肉体改造もできるのだ。


ダイエットは継続が困難だ、

でも、やり続ければ間違いなく結果が出るのに、なぜやらないのか?

というパラダイムシフトから、話は始まっていく。


肉体改造を考えたとき、

まず思い浮かぶのはトレーニングと食事制限だ。


トレーニングは、やる、やらない、が、

意志の力にかなり左右される上、即効性がないので、

とりあえず却下。


では、食事はどうか?

食べない、のではなく、

食事の内容を変えてみましょう、と著者は提案する。

食事制限=忍耐、我慢ではなく、

ノルマとして食事をこなす、という概念の提示だ。


量を減らすといった、やみくもな我慢は絶対に継続できない。


しかし、例えば2週間、食事回数にすると42食を、

決められたものを食べてすごしてみましょう、

という、マスを塗りつぶすがごとき、明確なノルマを設定する。


自分で食事を作っている人なら、

この概念を呑み込んでしまえば、

かなり実行しやすいダイエットだと思う。


食事内容に即してないものは、買わない、作らない。

内容を即したものを、作って、食べる。

段取り8割、実行2割、ってまさにそうだ。

実行する、しないは別として、

概念の提示として、おもしろかった。


何かを達成するためには、努力以外のところで、

パラダイムシフトが必要なときもある。

ということが学べた本だった。


いや、ダイエットをだね・・・。


彼のどこが好き?


という話を、友達としたことがある人は、結構いると思う。

でも、私の場合、そういう話になると、

口下手なせいもあって、

好きという気持ちに、言葉が追い付いていないのもあって、

ものすごく月並みに、ぶっきらぼうに、

おもしろいところ、などと、答えてしまう。


言葉で表現すると、彼のことは好きかどうかわからない。

煙のように、香りがあるわけでもなく、

湯気のように、温度があるわけでもなく、

いざ、言葉にしようとすると、

ドライアイスの煙のように、

好きという気持ちが、もやもやと立ち消えてしまって、

自分自身がきつねにつままれたようだ。


でも、私はあの人が好きなんだ、ということが、

理解できた瞬間があった。


彼は社外から戻ってくると、

脱いだジャケットを、無造作に自分の机の上に置くのだけれど、

人と会う機会が多い彼の、

ジャケットの型崩れやしわが気になって、

そちらについ目をやってしまうことがよくあった。


押しつけがましいし、これみよがしだし、

今でもしようとも思わないが、

自分が、彼の上着をハンガーにかけてあげる、

なんてことは欠片も思えず、

「あー、もー、気になってしょうがない!かけて!ハンガーに!」

なんて、ちょっといらいらしていたぐらいだった。


ところが、ある日、彼が帰社した後、

いつものように彼の席に目をやると、

その日は時間があったのか、

ジャケットは、きちんとハンガーにかけられていた。

その時、私は、

「あれ、どんな匂いがするんだろう?」

と、思ったのだ。


ジャケットが気になっていたと思っていたけれど、

その心配がなくなってみると、

私がほんとうに興味を持っているのは、

ジャケットではなかったことが露呈した。

しかも、上司や人間として、ではなく、

とても生々しい部分で。

と、まぁ、にぶい私はそうやって気づかされたのだ。

彼への気持ちを。


彼に「俺のどこが好き?」と、聞かれるようなことがあったら、

きっとその通りには言えないな。

好きっていう気持ちは、うまく説明できないけれど、

やっぱり、彼のことは好きなんだと思う。

うーん、気持ちが追い付いてしまうまでに、

なんとかしてしまわないとまずいな。

本は、ネットで買うことが多くなったのだが、
書店に行くのは、
購入する、という以外の楽しみがある。

家に帰れば、
自分好みのコーヒーや紅茶が、
まちがいなく味わえるのにもかかわらず、
カフェについつい立ち寄ってしまうように。

先日、とても好きな作家さんが、
新しい本を出したので、購入することにした。
好きな作家さんの本は、
ネットではなく本屋さんで、
しかも、新刊の内にハードカバーで手元に置きたい、
という、思いがある。
電子書籍でも、文庫本でもなく。
いや、ハードカバーと、文庫本とを、
両方を持っている本は、何冊かあるのだ。
ハードカバーは持ち歩くには重いので、だからこそ。

と、いうわけで、
ネットで調べると、なんとサイン会があるらしい!
運良く、なかなかの最寄の書店であったので、
予約をしにいった。

結果を言うと、その書店では、
予約を受け付けてもらえなかった。


仕事の帰りに立ち寄ることになるので、
「お金は今、お支払しますが、商品を受けとるのは当日でお願いしたい」
と、いう申し出が断られたのだ。
責任者らしい女性の指示で私に告げた、
アルバイトの女の子が、
「電話での予約も受け付けてますから」
と、こっそり教えてくれた。
彼女は上司の指示に、
「お金は今、お支払します、とおっしゃってますが」
と、口添えもしてくれたのだ。
ありがとう、あとで電話しますと笑って、
書店を出たが、もうその店で買う気はなくなってしまった。

そこで、出張先の書店に電話をした。
そこでも、1日違いでサイン会があったのだ。


結果を言うと、仕事が終わらず、
サイン会には行けなかった。

翌日、電話をかけ、
当日に行けなかったことを詫び、
改めて本を受け取りに行くことを伝えた。
次の出張は3週間後だ。

で、先日、受け取りに行ってきた。
その本は作家さんのサインが入っていた。
サインが目当てではなかったが、
その心遣いがうれしかった。

一生、ついていくぜ!K書店!

決算が良かったら、温泉でも行こうか~、と彼。

そうですねーとにっこり私。


二人で、とは言わないし、

二人で?、とは聞かない。


思わせぶりな二人。

私のプチ贅沢シリーズに、

「牛乳に砂糖を入れる」

と、いうのがある。


しかし、スピードワゴン並みにすると、

あっというまにデブってしまうので、

キレ気味の日以外は、

あくまでほんのり甘い、

ぐらいにとどめておかなくてはいけない。


さて、私のプチ贅沢。


夏は冷たい牛乳にさっととけるように、

ガムシロップを手作り。

冬はちょっと、いや、

かなり贅沢に黒砂糖をいれている。


これは私の中で鉄板なのだが、

牛乳にインスタントコーヒーを入れた、

いわゆるコーヒー牛乳に合う甘味料は、

絶対に黒砂糖なのだ。


お高いはちみつなら違うのかもしれないが、

家にあるはちみつは、

暖かい牛乳と合わせると少しクセが出る。

黒砂糖は上白糖よりクセがあるのだが、

コーヒー牛乳には、黒砂糖のクセがベストマッチなのだ。


と、えらそうに黒砂糖について語っているけども、

実は私の祖父が、昔から黒砂糖好きで、

いろいろなものを取り寄せている。

祖父の黒砂糖のこだわりは半端なく、

好みに合わないものは口にしない。

祖母が料理に使うからいいものの、

あんた、貴族か!と突っ込みたくなる。

が、祖父の薦める黒砂糖はほんとうにおいしい。

祖父はそのまま、飴のように食べてしまうので、

クセのないものが好みのようだ。


祖父のお薦めは、喜界島の黒砂糖だ。

はじめて自分で取り寄せてみた。


250グラムで、送料を入れると800円ほどだ。

上白糖のことを思うと、なんとも贅沢。

煮物とかに使うとコクが出るらしいけど、

分不相応なことはするまい。

贅沢とプチ贅沢の壁は、案外高いのだ。

日本人の心遣いには、素晴らしいものがある。

誰もが、ひとつやふたつぐらいは、

他人の親切に感激したエピソードを持っているだろう。


滝川クリステルさんが、

日本の良いところとして、

OMOTENASHIの心をプッシュしたのは、

とてもいい判断だと思う。


日本は平和で、

日本人はホスピタリティにあふれていて、

旅行者の方、安心して来てください。

と、私も言いたい。


でも、OMOTENASHIを声高にいう人ほど、

劣悪な労働環境や、設備の不備を、

労働者の忍耐でフォローさせようとしている、といった

いわゆる、ブラックなにおいを感じる。


例えば、段差の解消されていない場所で。


海外からの、車椅子の旅行者が困っていたとしよう。

たぶん、親切な日本人ならば、

誰かがすぐに助けにいくだろう。

しかし、それが公共の場であり、

車椅子の方が来訪するのが想定されているならば、

段差をなくす工事がなされているだろう。

そもそも、そこは、

OMOTENASHIの精神を発揮する場ではないはずだ。


それと同じようなことが、企業の倫理として、

いびつな形でまかり通っている気がする。

例えば、ファミレスの店員さんに、

一流ホテルのサービスを求めるのは、

もう、なにもかもが間違っている。

内面のホスピタリティはともかく、

ファミレスの店員さんは高校生のアルバイトの可能性もあるが、

一流ホテルの人は、それなりの訓練を受け、

サービスのプロとして給料をもらっているのだから、

そもそも比較の土俵に上がることがおかしいのだ。


安い賃金で労働者をこき使うのがブラック企業なら、

安い対価で最上のサービスを求めるのはブラック消費者というべきだろう。


対価の価値が客の価値であることには目をつぶり、

OMOTENASHIを拡大解釈して、

サービスを受けるべき自分の価値を、

過大に見誤っているように思う。


昨日、100円ショップで買い物が終わると、

「ありがとうございました」と、

両手を前で揃え、深々とお辞儀をされた。

おそらく、そうしろと指導されているのだろう。


私はそれを全然ありがたいとは思わないし、

してほしいとも思わない。

ホテルのフロントのような応対は、

どんなに洗練されたしぐさでも、

100円ショップには不似合に感じる。

100円の買い物でこれだとすると、

100万円の「ありがとうございました」は、

どう表現すればいいのだろう?

それこそ土下座でもしないと、

消費者様の気持ちはおさまらないんじゃないだろうか?


でも、それはきっと、

サービスをさせる経営者が馬鹿なのではなく、

消費者が馬鹿なのだ。

デフレの原因は、

消費者が安いものを求めすぎて、

物のほんとうの価値を見失っているからだ。

日本人は謙虚で慎み深いというが、

消費者としての日本人は、

果てしなく貪欲で傲慢だと、私は思う。

歌姫と持ち上げられる人は数多いけれど、

その称号を得るために必要なのは、

歌唱力よりも、なによりも売上だと思う。


売れた曲がいい曲、という乱暴な意見はともかく、

時代を代表する彼女たちには、

あの時代にはあの歌が流れていたな・・・、

という、世間の意見の一致が必要だと思うのだ。

そのためには、いい曲かどうかではなく、

誰もがその曲を耳にしたことがある、

というのが必要十分条件だ。


さて、某・歌姫。

彼女の飛び抜けたファッションセンスや、

かわいくもかっこよくもなる華やかな容姿、

その分野での絶対王者のごとく君臨しながら、

女の子の崇拝の対象ではなく、

手の届かない憧れではある、でもがんばれば彼女に近づけるかもしれない、

と、いう絶妙なポジションも兼ね備えている。



彼女の存在は、完ぺきだったと思う。



ところが、最近、彼女の歌声を久々に聞いた。

いや、彼女の歌は相変わらず流れているのだろうけど、

私が久しぶりに聞いたという意味だ。


久しぶりの彼女の声は、あいかわらずだった。

ただ、もう古びていた。


劣化という意味や、彼女云々ではなく、

時代に合わなくなっている、という感じが強烈にした。

彼女の魅力である、

いい意味でチープでどこか軽い歌声、

テンポではなく速度のエッジ、

今という時代に全然合っていない。


「それ、昭和っぽいわ~」と揶揄するあの感覚だ。


時代に乗った歌姫は、時代に合わなくなると、

売れなくなるのだろう。


彼女の人気が凋落したのではなく、

彼女の持つ魅力が、時代に合わなくなったのだ。


彼女はそれに気づいているんだろうか?


ビジネスで歌っている人間なら、

おそらく気づいているだろう。

でも、歌が好き、という思いで、歌っているとしたら、

なんと残酷なことだろう。


彼女は少しも悪くないのに。


こういうのは誰も悪くないし、誰にも止められない。

ただ、世間にさらされ、評価されるだけだ。


たくさんの歌姫たち、どうか消耗品にならずに。


彼女たちの存在や歌声が、

下世話な世間に食い尽くされているのも事実。

彼女たちの歌に救われている人がいるのも事実。

件の上司に、今後について話したが、

「考えさせてください」と、返事して1週間。


久々に時間ができたらしく、

かまってやろう、と思ったらしい。



まぁ、仕事なので淡々と返事をしていたつもりだったが、

そこはかとなく冷たく感じたのだろう。


「それはお前の仕事。

私をサポートしてください。

いや、サポートしろ。」


一瞬、びっくりして彼の顔を見たが、

仕事なので、はい、わかりました、と答え続行。



家に戻って、

あれって、ちょっと口説かれてるみたいで、

びっくりしたなぁ、よく考えると。

と、思いながらコーヒーのつまみにした。


ひゃー。豪華なつまみだ。