今日は久々の友達3人とスカイプで電話をしました。

一人は日本にいる子、二人は他校に韓国留学中の子たちです。

日本にいるときに仲の良かったこのメンバーで同時に話すのは約1年ぶりでした。

自分自身のことや人生のこと、深い話を約5時間ほどしました。

今まで見えていたはずの「自分」という人物が、実は全体のごく一部であったり、自分が一番自分をよく分かっているはずなのに友達のちょっとした発言によって知らなかった自分を発見したり…5時間という長い時間にそう思うようなことが何度もありました。全部は覚えていないけどすごく刺激を受けました。


私は韓国に留学しに来て何をしているのか―――。

最近はそんなことを悩んでたまに自信を喪失しそうになったりもしていました。フィリピンで英語を勉強していた頃の規則正しい生活もしていないし、自宅にいる時間よりも学校にいる時間の方が長い分周囲の生徒と交流のあった当時に比べると今は毎日2時間の語学堂に週3コマの留学生対象の授業しかとっておらず、全体的に相当生ぬるい生活をしていて。結果的に想像していたほど語学力も上がっていないような気もして。そして帰国ももう目の前に迫っていて。本当に私の韓国留学はこれで良かったのか。そう、一人密かに悩んでいました。

正直、まわりに流されてというか、大学で韓国語を専攻していて、私の大学ではほぼ9割の人が留学をするから留学が当たり前になっていて来てしまったという部分は少なからずある。もちろん韓国語を日本だけでなく韓国でも学び、韓国のことをもっと知りたいという自分自身から沸き起こった動機が強いのだけれども。

でも今日一人の友達がある大きな決断をしようとしていることを聞いて、思った。やはり自分の人生に正解などない。誰かが正解を知っているわけでもない。多数派は存在していてもそれは単なる他人の人生。自分にまっすぐに、素直に生きることでしか「自分」は成り立たない。

留学しに来て何をしているかなんて悩みを持つのは、周りと比較したり「留学の正解」をついつい気にしてしまうからだと思った。他人は他人だし何が正しいかなんてないのだから、そんなの気にする必要はないし、おおざっぱに言ってしまえば自分で良く考え行動するのみだと思う。ここに来ることが人生の目的なのではないんだから。この留学があって、時が経って「自分」が形成されていくんだから。

それでも私は、こうした悩みを持てたこと自体が良かったと今は思える。そしてそれに対する自分なりの答えを見つけられたことも。こんな自分自身に関する曖昧な考え、うまく理解される形で書けないんだけど、それでも書かずにいるよりはまだマシなのかと思って今書いている。


本当に面白いなって思うのは、人と人が同じ問題に対して違う考えを持っていたとき、それは彼らが正反対の考えを持っているからなのではなく、考える基準や着眼点が違うというだけ。何かを決断するとき頭の中で2択だったり3択だったり、人の意見が参考にされたり自分の経験に基づかれたりするわけだけど、その選択肢の種類も違えば経験も違ってて、周囲の人の意見内容も違うしそれをどれだけ受容するかも違ってて。そうなると当然人によってものの見方も変わってくるし。優先順位とかも全然違ってくるし。ほんと、自分ってどうやって成り立ってるんだろう、って不思議で面白い。


悩んだからこそにはより良くなるように行動していこうと思うけど、悩んだことをマイナスに捉えるんじゃなく、そうプラスに働くように捉えていきたい。そして何事も「経験」と捉えていきたい。


とても曖昧なテーマですが!感じたこと。(終)