生い立ち(2009年バージョン)(再訂正版) | シャイニング

シャイニング

リストカット、瀉血(血抜き)&拒食・過食症、適応障害、解離性同一性障害(多重人格)、アスペルガー症候群、メンタル系日記です。

私は5歳の頃から自殺願望があり、母に怒られるとすぐに「飛び降りて死んでやる!」と言っていました。

5歳で過酷ないじめにあい、人前で喋ることが出来なくなりました。小学1年のとき、酷いいじめで小学2年の時に担任の先生にいじめられ、自分の髪の毛を抜くようになり、はげてしまいました。その後もいじめは続き、先生からは勉強が出来ないから特殊学級へ行くようにと言われ、勉強は本当に出来ないので特殊学級に通い続けた。

小学4年で「逃げたい」という理由で山村留学したが、一緒に暮らす子に叩かれたり、蹴られたりと、いじめは酷くなるばかり。そんな時「死にたい」と思うようになりました。

小学5年で更に酷いいじめや無視をされるようになり、完全に人前で喋れなくなり、対人恐怖になりました。

仲良くしていた友達にも裏切られ、人を信用することが出来なくなりました。

そんなとき、「神経科クリニックこどもの園」というデイケアなどをやっている所に出会いました。

小学6年で「アスペルガー症候群」という発達障害だと診断されました。

そのまま小学校の特殊学級を卒業し、中学校の特殊学級へ進学した。

自傷をするようになり、壁に頭を打ち付けたり、ハンガーで自分の手を叩いたりもした。

中学2年の時に環境が変わり、そのストレスでリストカットや自分の首を絞めるようになりました。

入水自殺未遂もした。髪の毛をまた抜きはじめ、ハゲました。

そして精神科の開放病棟に入院したりしました。拒食ぎみになり、「このままだと鼻チューブになるよ」と脅されました。主治医の先生には「境界性人格障害」かもしれないと言われたが、次の診察の時に「そんなこと言ってません」と忘れられました。カミソリはガードなしの鋭い物を使い、南条あやさんの「卒業式まで死にません」という本で知った使い捨てメスを使用。出掛ける時も持ち運びもした。そして主治医から今度は「解離性同一性障害(多重人格)かもしれないとも言われた。除光液を飲んで血液検査したら「ものすごい栄養不足と貧血ですね。」と先生に言われた。

最初は軽いリストカットが不登校になっているうちに段々と重度になり、初めて注射器で自殺未遂をして救急車で運ばれました。その後もメスで自分の腕を刺して動脈から大量出血を起こし病院で手当てと点滴をうけました。

貧血が酷くなり、倒れたりした。友達の前で幻覚を見て可笑しなことを言ったりして、その友達に引かれました。手首も縫うほどの自傷になりました。ここで別の病院に通院を始め、主治医が代わり、「発達障害と適応障害、病的やせ」と診断された。「栄養剤のエンシュアを処方します」と言われました。体重が34キロになり、「また痩せたね。もう少し太れば病的やせではなくなるよ。」と言われた。この頃からプチOD(ほとんど少量の薬の大量服薬)を何度も続けて視線が虚ろになり、眠気と戦って、友達の家でもプチODして寝ていました。体力がなくて肺炎にもなり、点滴していました。

やがて思春期閉鎖病棟に入院し、8ヶ月くらい治療をうけました。保護室に30回は入れられ、筋肉注射や拘束もされました。暴れることも多かった。効き目が早いというリスパダールの液の薬も処方されました。

退院して養護学校の高等部に入学した。しかしすぐにOD(大量服薬自殺未遂)をして救命救急センターに入院して、また思春期病棟に任意入院した。その年に今度はサンポール(酸性洗剤)を飲んで、観察室という所に入院しました。

高校2年になりまたODという自殺未遂をして意識不明のまま病院に運ばれ、拘束されそれから間もなくしてまた薬を大量に飲み、意識不明で救急車で病院に運ばれ、ICU(集中治療室)に数日間入院して2日間意識が朦朧としていました。また、学校のトイレで手首を切り、何十針か縫いました。このときの縫い傷は丁寧でした。

今年になり、最近は精神不安定で寝る前の薬がかなり増えた。被害妄想も酷くなり、悪口を言われたような気分になることが多いです。今は過食ぎみです。取得した療育手帳(知的障害者手帳)を映画やバスの割引に使うようになりました。今は精神障害者手帳を申請中です

友達が自殺してしまい、今でも信じられません。でもこの間、その友達のお墓参りに行ってきました。

更に親友のMちゃんともお互いの病気の会話が出来るようになりました。今は夜中に自殺する夢をみて、行動しそうになるので睡眠薬を増やしています。眠れないのは辛かったです。今でもたまに眠れないです。