【ガッラ・プラキディアの霊廟】 | 日記です☆
Mausoleo di Galla Placidia
5世紀

◎ラヴェンナ最古の建造物のひとつ。
天井いっぱいに描かれている、色鮮やかで美しいモザイク。


Mausoleo = 霊廟

テオドシウス1世の娘ガッラ・プラキディアが建てさせた霊廟。
元々霊廟としてつくられたのか、礼拝堂としてつくられたのか定かでない。

中は薄暗く、小さい窓も大理石がはめこまれていて建物に差し込む光はやわらかく淡い。
モザイクは息をのむほど天井全面に描かれ、それこそ人間のために描かれたような感じがしない。
何かわからないけれど、信じるもののためというか、”神様”のためにというか、すべてを見通す力を持ったもののためにつくったような感じがする。

ここで面白いモザイクは、真ん中のクーポラ部分に描かれた一面の星!
星は文様のように数多く所狭しと描かれていて、夜空を描写したものじゃないことがわかる。
星座を並べるでもないし、夜空に見えるような光り方の星でもない。
真ん中には十字架が描かれている。

”星座”の成立より後につくられたものなのに星座が描かれていないのは何故か??
(後のフィレンツェのサン・ロレンツォ聖堂には星座が描かれたクーポラがある)

ガッラ・プラキディアの父、テオドシウス一世について調べるとその手がかりと思えるものが見つかった。
>392年にキリスト教を東ローマ帝国の国教に定め、のちに西ローマ帝国および統一ローマでもキリスト教以外の宗教を排撃した。
>テオドシウスは390年戦勝祈念としてエジプトからヘリオスのオベリスクを運んだ。この白い大理石面に刻まれた皇帝一家の浅彫りは、旧来のローマ・ギリシア的自然主義美術ではなく、キリスト教的抽象的美術に基づいて刻まれている。
ギリシア美術はギリシアの神話が基盤にある世界で使われたものであり、(力を持ち始めた)キリスト教からするとそれは排除すべきものと見なされた。

それともしかしたら、イスラム世界の”夜空の表現”なのかも?
(でもこの霊廟を手がけたモザイク工の流派などはよくわかっていないらしい)