先日、別の難病患者から「ギランバレーが完治したって、本当ですか」と驚かれたが、

こちらこそ、びっくりした。

その人は私のblogをおそらく全部読み、blogから得たエッセンスを自分の仕事に生かしているものと思われたので、

なぜ誤解が生じたのか。不思議だった。

自分が治っていないから、他の人が治ったという事実を認めなくないのか。

これは決して意地悪な見方でも何でもなく、

病気、しかも難病を患った患者なら、誰でも、思い込んでしまうことかもしれない。


ギランバレー症候群は、決して治らない病気ではない。

私は幸いに後遺症もないが、味覚障害など後遺症を抱えながら、それでも元気に生きている人もいつ。生きていればいいではないかと、思う。

その一方で、完治した元患者として、発信を続けることにした。



病気を完治した私は、

リハビリの継続と、仕事をしながら、徐々に社会復帰を遂げることが目下の目標となった。

ところが、前回で述べたように、親兄弟から援助も協力も閉ざされ、

契約を結んだコスメ会社から一方的に解雇された私の2007年暮れと2008年の正月、再び暗闇に突き落とされたのだ。

貯金も底を突きそうになった頃、絶望感にさいなまれていた私を救ってくれたのが、

世田谷区の福祉課の女性職員だった。


人が人を救うーーー


医療関係者から教えてもらったことを

完治してから別のシーンで思い出すことになる。

「あなたは必ず復帰しなくてはダメ!」と叱咤激励された私は

福祉課の女性職員の勧めもあって、解雇したコスメ会社を相手に調停さらに裁判を起すした。

この決断を下す際に、強く後押しをしてくれたのが、

夕刊フジ連載の「患者が患者を救う」の第一回「高次脳機能障害」の橋本ドクターが開催しているオレンジの会だった。



「オレンジの会」で患者と家族、そして医療関係者とのふれあいを、初めて目の当たりにした。

2008年、私は完治したのもの、親族のバックアップをもらえず、憂いと迷いの最中にいた。

患者を支える家族の姿に打たれたが、

様々な患者の現状を知るうちに、

別の病気とはいえ、それぞれ

これからも生きるために「クリアーしなければならない当面の課題」があり、

決断したことによって、人生が病気を患う前より

明るくなることも知った。



高次脳機能障害という病気は、事故などによって脳の一部が損傷を起し、

文字通り、記憶が失せてしまう病気だ。

簡単すぎるくらい簡単に説明したので、興味のある人は詳しく調べていただきたい。


私が見学をさせてもらった「オレンジの会」では、

フジに登場した元小児科医師がその日の当番だった。

患者の要望のうち一番多かった

「温泉に行きたい!」をかなえるために、どうしたらいいかと、患者や家族、さらに医療者を交えてのディスカッションがなされる。

温泉にに行きたいーーー


患者じゃなくても、秋が深まる時期から、誰でも切望するものだ。

活発な意見を促すように、医療者側が助け、

家族と患者の間で「叶えるための方法」が提案された。



終わった後で

橋本ドクターから、患者たちが抱える様々な問題を聞く。

ある50代の患者は、交通事故によって、高次脳機能障害になり、仕事も家族も失ったという。

リハビリを続けながら、

加害者を相手に、裁判を勝ち抜くことが目下の目標だという。



「その人がクリアーする課題が必ずあるのです。

この方は、次の人生のステップのため、まず、事故の決着をすること。

だから、裁判に立ち向かうためのリハビリを本人の希望で推進していますよ」


私も、この患者と同じだ。

調停や裁判など、物々しいことでも、本人にとって、次の一歩を踏み出すために、大事なことだ。

自分の人生のために、できることをやる。

それこそ、社会復帰のための第一歩。

病院から帰る途中に寄った虎の門駅近くのベローチェで、

私は温かなカフェオレを飲みながら、

友達に携帯メールを打った。


「自分の人生のために生きる。

そのための第一歩なら、闘うつもり」


メールを打ちながら、少しずつ私の体に力がみなぎってくるような気がした。