久しぶりに、ギランバレー闘病blogを執筆します。


きっかけは、多発性硬化症というギランバレーのように脱力が起きる難病患者にも関わらず、

患者の力になりたいとコーチングをしている浅川さんの一通のメールです。

彼は20歳のときに兆候が起こり、26歳で発症。

大学院卒のエリートで、石油関連会社の技術部に勤務していた時に突然倒れ、闘病を続けますが、

会社勤務に心身が耐えられなくなった頃に退社。

第二の人生を模索している時にコーチングの本に出会い、以後、患者のためにセミナーやコーチングセッションを行っています。

私も患者や家族のために、出版したいと奔走していますが、

彼も、難病をバネにして新しい人生を切り開いている。学ぶべきところが大きいです。


浅川さんが私のblogを、自身のblogで紹介してくれました。

http://ameblo.jp/peer-support-coaching/entry-11694116366.html



私がblogで紹介した伊東先生のセッションでお会いする機会があり、

いろいろ話しているうちに、闘病や社会復帰のためには家族が支えになるということに改めて気づかされました。

そんな時に、中村うさぎさんの難病報道が。

彼女を支えてくれたのは、ゲイの夫。ちょっと風変わりなカップルですが、

「生きる希望を与えてくれた」と夫に感謝しています。

私の別のblogで紹介したので、よかったら、読んでください。

http://ameblo.jp/peer-support-coaching/entry-11694116366.html



浅川さんが「今はアメブロで闘病の事は書いていないようですが」とありますが
このblogを中断したのではなく、

ギランバレー闘病の後半を出版したいと、プレゼンしまくっていたのです。

後半の部分は

「医療関係者との関係こそ、回復の決め手」

「リハビリ成功の要」


リハビリは、日刊現代や夕刊フジで連載したので、

しっかり書きたい、個別に一冊で。


ところが、リハビリの本の出版も難しいという壁にぶち当たっています。

リハビリの大家である太田先生(茨城県健康プラザ館長、リハビリの先駆的なドクター)に

出版社紹介をお願いしたのですが、

「出版不景気で、自分の本の企画も通らなくなった」とのこと。

一時は絶望的な日々を送っていました。



出版プレゼンがことごとく失敗した頃、

ふと

患者のために自分ができることを何でもいいから、したいと思うようになりました。

blogを再開するというのも一つの方法ですが、

書くだけでなく、動きたいのです。



闘病のテーマは、病気の種類に限らず、様々な問題があります。

中村うさぎさんが提示した「家族」。

自分を必要としてくれる人がそばにいるだけで、免疫力がアップする。

必要としてくれる人から愛をもらう。

疾患する、しないに関わらず、愛は人を救いますから。


でも、支えてくれる人がいなければ、どうなるか。

死に匹敵するような深い孤独に陥るかもしれない。

まさに、私がそうでした。



ギランバレーを奇跡的に克服できましたが、

その後、私は母親や妹から、援助も協力もなく

しかも契約を結んだコスメ会社から制作の仕事を打ち切られて2007年暮れに突然解雇。



2007年の4月に発症、7月に慶応大学病院を退院し、

河北リハ病院に転院するものの、拝金主義の病院医療のため症状が悪化、

病院を飛び出て、母親がかつて勤務していた会社が経営するビジネスホテルに滞在して

(入院中にアパートを引き上げたため帰る家がなかった)

横浜の昭和大学藤が丘病院に通院して、リハビリも成功。

新しいアパートを見つけて、社会復帰を遂げるも、

コスメ会社からの一方的な解雇い、

さらに母親からの意味不明な帰省拒否。

2007年は、まさに地獄と天国の繰り返しでした。


ギランバレーを克服しても、社会復帰に向けて、私の日々は辛く苦しいものでしたが、

そんな中、私を救ってくれたのが、病気こそ違うけど、患者たち。


私の母は、イマドキの「鬼母、毒母」かもしれません。

最近の言動から、精神を病んでいるとしか思えませんが、母親や妹には近づけない。

2007年に克服してから、一度も帰省していません。


親兄弟からの手厳しい放置状態が続く中、

2008年に、取材したある患者の書斎を、偶然見てしまう機会があったのですが、

書棚には、ある宗教団体の本で埋め尽くされていました。

その方は、40代である病気を患たことがきっかけで離婚、家族を失ってから患者の会に入り、

今では幹部。

数年前に結婚した同じ病気の妻を亡くし、今では一人。

家族のいないその患者の支えが「宗教」でした。


私は人を支えるのが宗教でも何でもいいと思っています。

きっとその人にとって、宗教の本に、生きることや、愛に関する言葉が溢れていることでしょう。

特別な宗教を持たない私は

何を支えに生きていくのか。

克服してからの大きなテーマでした。