前回の続きです。



子育てはダンスのようだと言われます。親が足を一歩踏み出すと子供も足を踏み出す。ですから、親が子供たちのために再び愛を捧げるだけでは、まだ半分しか意味がないのです。子供の側も親を再び受け入れるよう準備しなくてはならないのです。

小さい頃、ブラックガールという名の犬を飼っていました。オオカミとレトリバーの混血です。ブラックガールは番犬としての役目を果たさないばかりか、とても臆病で神経質で、大きな音を立てるトラックや、インディアナ州を通過する雷にも怯えていました。
妹のジャネットと私は、ブラックガールをとても可愛がりましたが、前の飼い主によって奪われた信頼感を取り戻すことはついに出来ませんでした。前の飼い主がブラックガールを虐待していたことは知っていましたが何をしたかはよく分かりません。でも何をしていようと、それが原因でブラックガールが健やかな心を失ったのは確かです。今日、多くの子供たちは愛に飢えた子犬のようです。そのような子供たちは親のことを考えようとしません。そのままにしておくと、独立心旺盛な子供に育ちます。親元から離れ、去っていきます。ひどい場合は、親に恨みや怒りを抱き、その結果、親は自分のまいた種で自らの首を絞めることになるでしょう。

このような過ちは今日ここに居る誰にもおかしてほしくありません。ですから、自分が愛されていないと感じても親を許すよう、世界中の子供たちに呼びかけているのです。今日ここに居る人から始めましょう。許してあげてください。もう一度愛する方法を親たちに教えてあげてください。
私にはのんびりとした子供時代がなかったと聞いて、驚く人は居ないでしょう。父と私との間の重圧や緊張は、よく取り上げられます。父は厳しい人で、小さい頃から私たち兄弟が素晴らしいアーティストになるよう強要しました。父は愛情を示すのが苦手で、まともに愛していると言われたことは一度もありませんし、褒められたこともありません。ステージで成功を収めても、まあまあだとしか言ってくれませんでした。

そしてまあまあのステージなら・・・・・父は何も言いませんでした。
その点における父の力は・・・
(ごめんなさい、ティッシュをもらえますか・・・)

(・・・・・すみません・・・。)

その点における父の力は、ずば抜けたものでした。父は何にも増して、私たちが仕事上成功することを望んでいるように思われました。父にはマネージメントの才能があり、そのおかげで、私たち兄弟はプロとして成功しました。芸能人として訓練され、私は父の指導のもと、敷かれたレールから足を踏み外すことは出来ませんでした。

でも私が本当に欲しかったのは、「お父さん」です。自分を愛してくれる父親が欲しかったんです。父は愛情を示してくれたことがありませんでした。目を真っ直ぐ見つめ好きだと言ってくれたことも、一緒にゲームをしてくれたこともありませんでした。肩車をしてくれたことも、まくら投げをして遊んだ事も、水風船をぶつけ合ったこともありません。
でも4歳のころ小さなカーニバルで、父が私を抱き上げポニーに乗せてくれたという記憶があります。それはちょっとした仕草で、おそらく5分後には父は忘れてしまったことでしょう。しかしその瞬間、私の心の特別な場所に、父への思いが焼き付けられました。子供とはそんなもので、ちょっとした出来事がとても大きな意味を持つのです。私にとっても、あの一瞬が全てとなりました。たった一回の経験でしたが、父に対して、そしてこの世の中に対していい思いを抱いたのです。

自分自身が父親となり、ある日私は、わが子プリンスとパリスが大きくなった時、自分がどう思われたいと考えているのか、自問しました。もちろん、自分の行くところにはいつも子供たちを連れて行きたいし、何よりも子供たちを優先していることを分かって欲しいと思います。
しかし、あの子たちの人生に困難が付きまとっているのも事実です。パパラッチに追いかけられるので、公園や映画館にいつも一緒に行けるわけではありません。あの子たちが大きくなって、私を恨んだら?私の選んだ道があの子たちにどんな影響を与えるのでしょう?

どうして僕たちには普通の子供時代が無かったの、と聞くでしょうか。その時、子供たちがいい方向に解釈してくれることを願っています。「あの特殊な状況の中で、父さんは出来るだけのことをしてくれた。父さんは完璧ではなかったけど、温かで、まあまあで、僕たちを愛する努力をしてくれた」とあの子たちが心の中でつぶやいてくれるといいなと思うのです。

あの子たちが、あきらめざるを得なかったこと、私のおかした過ち、子育てを通じてこれからおかすだろう過ちを批判するのではなく、いい面、つまり私があの子たちのために喜んで犠牲を払ったことに、目を向けてくれればいいと思います。私たちはみな人の子で、綿密な計画を立て、努力をしても、常に過ちをおかしてしまうものなのです。それが人間なのです。このことを考えるとき、つまりどんなに私があの子たちに厳しく評価されたくない、至らない面を見逃して欲しいかを考えるとき、私は父のことを思わずにいられません。子どものころ、愛されたという実感は無いけれど、父がわたしを愛してくれていたに違いないと認めざるを得ないのです。父は私を愛し、私にはそれが分かっていた。愛情を示してくれたことはほとんど無かったけれど。


つづく...





マイケルは父親のことを話すとき、必ずと言って良いほど涙を流します。
今回のスピーチでも「そしてまあまあのステージなら・・・」と言ったあと沈黙し、その後咽を詰まらせながらスピーチを続けています。(2:44あたりからです)
声を震わせ、泣いています・・・。

この講演の裏話を聞いたことがあるのですが、実はマイケルは父親について語るこの部分のスピーチについて酷く悩んでいたそうです。
またその事は別の日に書こうと思いますが、こうやって話すだけでも辛い出来事であり、また父親に遠慮して言えない部分もあったことがマイケルをさらに苦しめていたのも確かです。

例え父親や兄弟がどうってことないと感じていたとしても、センシティブなマイケルにとって子供の頃の父親はトラウマになっており、大人になっても心に傷を深く残す結果となったんでしょうね。
それでも、自身が父親になったことをきっかけに、自分の父を理解しようとしています。
決して無くなることはない心の痛みを必死に抑え、乗り越えようとしている姿をこのスピーチから感じました。

また当たり前かもしれませんが、本当にマイケルは父親なんだなぁとも思いました。
当然マイケルの子供というだけで特別視され、“普通ではない生活”が待っていることはマイケル自身一番分かっていたはずです・・・その上でこの道を選んだんですよね。
でもそんな自分のせいで子供たちが辛い思いをするのではないか?
そんな悩みと必死で向き合い、子供たちの将来を心から心配する姿に、スーパースターとしてではなく、いち人間としてのマイケルを改めて知ったような気がしました。


でもマイケルにこれだけは伝えたい・・・

あなたの選んだ道は間違ってなんかないよ。
子供たちはきっと、あなたの子供に生まれてこれたことを何よりも誇りに思ってるから。
彼らなら、この先起こるであろうどんな困難にも立ち向かっていけると思う。
ちゃんと愛されてたことを分かってる子供たちやから大丈夫!!
だからマイケル、あの優しい笑顔で、空からそっと見守っていてあげてね。