『セッション』感想 | カプチーノを飲みながら

カプチーノを飲みながら

イタリア度95%、正直90%、おもいやり90%設定のブログです。

ジャズ映画『セッション』(原題“Whiplash/ムチ打ち”)。

アカデミー賞3部門受賞(助演男優賞、編集賞、録音賞)もさることながら、日本でも内容の是非を巡って色々と論争を巻き起こしていた話題作でした。

映画『セッション』論争のまとめはこちら1424962600_Whiplash-Movie-Images.jpg

映画として面白かったのは間違いないんですけど、釈然としない部分があったのも事実で

自分の中で感想を上手く文章化できず困りました。

映画評論家が支持する理由も、現役ジャズミュージシャンが否定する理由も、何となく分かる気がしました。 ジャンルは違えど、音楽を志す身として色々と考えさせられた作品でもありました。

 

あらすじ

名門音楽学校へと入学し、世界に通用するジャズドラマーになろうと決意するニーマン(マイルズ・テラー)。そんな彼を待ち受けていたのは、鬼教師として名をはせるフレッチャー(J・K・シモンズ)だった。ひたすら罵声を浴びせ、完璧な演奏を引き出すためには暴力をも辞さない彼におののきながらも、その指導に必死に食らい付いていくニーマン。だが、フレッチャーのレッスンは次第に狂気じみたものへと変化していく。シネマトゥデイより

予告編

 

以下、感想(ネタバレ含む)。

 

面白かったのは

主人公アンドリューも教師フレッチャーも

“徹底的に追い詰めてこそ天才は生まれる”“全てを犠牲にしなければ一流にはなれない” という強迫観念に囚われていることです。

whiplash2.jpg

オスカーも納得のJ.K.シモンズ、主演のマイルズ・テラーも凄く良かった!

似たタイプの二人が出会うからこそ生まれる緊迫感、ドラマ。 アンドリューは、ジャズの為に彼女に別れを告げます。

whiplash-31.jpg

ヒロインのメリッサ・ブノワも今ハリウッドが注目する女優さん

友達少ない上に、せっかくできた彼女もフるとは。。。

 

お前何やってんの!?( ゚Д゚)

 

確かに、過去の偉大なミュージシャンの中には、恋人や家族を犠牲にして音楽に没頭した人もいるでしょう。

それに憧れて、その振る舞いや生き方に影響を受ける気持ちはよく分かります。

でも、アンドリューはそれをただ真似ているだけというか。

“全てを犠牲にしてジャズをやっている俺カッコイイ”的な

自己陶酔してる面が見えました(結果、やっぱり未練があって彼女に連絡する)

 

序盤のアンドリューは、自分のドラム演奏に酔っている節があるし(その何気ない表情の演技がとても上手い!)

間に挟まれる親子や親戚との関係とか、ジャズに向かう動機の部分も含めて非常に人間臭いキャラでした。

 

考えさせられたこと

“天才を生み出すためには、生徒を追い込む暴力的な指導をしても良いのか”

J・Kシモンズ演じる鬼教師フレッチャー。

真っ先に頭に浮かんだのは『フルメタル・ジャケット』に登場したハートマン軍曹です。 SGT-Hartman-2.jpg

「分かったか、ウジ虫どもッ!」

ハートマン軍曹も罵詈雑言で兵士達を徹底的に追い込みます。 ウジ虫扱いすることで人間性を奪い、心を持たない“鉛の鉄鋼弾”(フルメタル・ジャケット)に変えるのです。

狂気の戦場では、人間性こそが即、命取りになるからです。

つまり、兵士たちが戦場から生還する為に必要なことを叩きこんでいるともいえます。

兵士たちにとって脅威の存在である軍曹ですが、個人的感情で罵倒することはなく、全員を「平等に価値がない!」と言い切ります。

実は、厳しい訓練の為に鬼軍曹を演じているということが分かります。

 

一方、フレッチャーはどうか。 tumblr_inline_nn0jsnfmVd1s5rgfg_540.jpg

迫力では、軍曹にも引けを取らない 指導者というよりモチベーターという印象

彼の指導は一流のジャズドラマーになる為に果たして必要なことだろうか?

彼のスパルタは深い愛情からくるものなのか、それともただのエゴなのか、終盤まではっきりしません。

グレーなのです。だから、映画の緊張感が持続しているのですが。

ただ、ハートマン軍曹と比べると、明らかに個人的感情で動いているのでより悪質な感じ。

 

僕個人としては”天才を生む為にパワハラ的指導が必要だった”というのは肯定できないです。 自殺者も出しているわけだし。

僕は、アンドリューはフレッチャーと似たタイプだからこそ輝いたと思っていて、フレッチャーと違うタイプが故に輝けなかった(輝かせられなかった)ダイヤの原石も数多くあったと思います。

映画のラスト9分は 驚きと屈辱、そして主人公の強烈な逆襲によって、カタルシスが生まれる展開です。 (とはいえ、ここでのフレッチャーの行動は、矛盾というかツッコミどころが多過ぎる)

Whiplash.jpg

この作品は、一種のスポ根映画で

「辛く厳しい指導を乗り越えてこそ、天才が生まれる」というプロットだと思います。

日本はそういうスポ根物のジャンルが昔からありました。だから多くの人が、主人公がガツーン!と逆襲する場面で溜飲を下げるのではないかと思います。

ただ、あとになって考えると それは“映画的カタルシス”であって“音楽的カタルシス”とはちょっと違うんじゃないかと。

 

最後、ジャズを奏でることが目的ではなく

“ドラムでフレッチャーをねじ伏せること”が目的になっちゃっているんじゃないかと。

(これに関しては、監督のデミアン・チャゼル自身がかつてジャズドラマーを目指していて、映画と似たような経験をして挫折したことが、この作品の元になっていると。だから、自身を投影した主人公が困難を乗り越えることで、かつての自分が果たせなかった夢を叶えているわけですね。見方によっては、映画で復讐を果たしたともいえる。そして、否定派の人には、ジャズ愛ではなく“復讐”が目的になっているように見えるのだと思います。)

 

昔、レッスンで師匠から言われた言葉があります。

「歌に生活が出ているな」

それは例えば、仕事だったり勉強のことだったり、友人、恋人との人間関係の悩みだったり、いわゆる楽曲とは関係のないプライベートな事象に心が支配されていて、それが歌に表出されているということです。

そういう部分から離れて、曲・音楽に正面から向き合うことこそが大事だと。

だから 僕の中では、様々な思惑が見え隠れするラスト9分よりも、冒頭アンドリューが一人で黙々とドラムに向かっているシーンの方が好きなのです。 20150220184206.jpg

仲直りしました

それにしても この作品を撮った時、デミアン・チャゼル監督はわずか28歳! これからの活躍がとても楽しみです。 それから僕はジャズには詳しくないので、ジャズに詳しい方の感想も聞いてみたいなと思いました。