ご無沙汰しています。
前回からあっという間に1年以上が過ぎていてビックリゲッソリ
実はアメブロを開くのも同じく1年以上振りで
それでも多くの方に見て頂いているようで恐縮です・・・

相変わらず通院&投薬は同じで
CD4も700-900をウロウロしております。

さて、今日はタイトル通り
【親になって気がついたこと】です。
気がついたというより、思い知らされた?って感じ。
子供が生まれて、大人が言っていることが理解できるようになって、話せるようになって、自分の意見を言うようになって・・・
つくづく思ったのは、自分の価値観って周囲の大人から勝手に譲り受けたものだということ。

目が大きから可愛い
一重は可愛そう
お菓子食べるとデブになる
勉強しないと馬鹿になる
そう言った類いの発言。
私は大人になるまで、その考えは普通というか
なんの疑問にも思わなかった。
細い方が綺麗とか
女の子はニコニコしてなきゃとか。

可愛さや格好良さの基準って人それぞれで
目が大きいからとか
顔が小さいからとか
そういうのって好みの問題。

子供って偏見なしの真っさらな状態で生まれてきて
誰一人として外見の判断基準なんて持ってない。
優しいから好きとか
意地悪だから嫌いとかは
感情の問題だから自然に発生するけどね。

いかに「思い込み」をさせられて成長してきたかよくわかった。
ほんのちょっとのことでも、外見のことを言うべきではないなと。
思わず言っちゃいたくなるよね。
目が大きくてかわいい!まつ毛長い!って。
でも目が小さい子は「目が大きくないと可愛くないんだ」っていつか思ってしまう。
褒めることは悪いことではないけど、内面を褒める文化にしてほしい。日本も。

前に海外に住んでいる方の記事で
日本は褒めるのに必ず、○○だから可愛いって言い方すると。
可愛いに理由が必要。
ただ、可愛いねとか笑顔が素敵だねとかは言わないって。
あ〜確かに!と思った。
本当に本当に気をつけていこうと思うし、もし自分の子供がそういう外見判断なこと言い始めたら家族会議。笑

あと、仕方がないのかもしれないけど
男の子と女の子を分けすぎ。
幼稚園のときからキッパリ男女分け、色分けしすぎ。
まるで2種類しかいないみたい。
なんだかな〜ってすごく思う。

Youtubeとかで世界中のアニメとか見れて、うちも見るけど
肌の色や髪型もさまざまな子供がでてくるし
男の子同士で手をつないでたり
なんか、そういうのって日本ないなぁと。
壮大な話になってきちゃうけど
大人同士で差別を無くそう!っていう活動ばかりじゃなくて
もっと子供にもそういう教育していくべきだよね。
みんな違くてそれでいいっていう。
そうすれば、その子達が大人になったとき自然と差別なんてなくなるはず。

ついでもって、ずっと違和感あって変だと思っていたこと。
「カミングアウト」って言葉。
特に性別的なことで。
特別に公表しなければいけないってことは、それが「特別」なこととみんな思っているからでしょう?
別に突然変異でなるわけでもないし、生まれ持ったもの。
必ず男と女がペアって先入観があるから、男同士、女同士に驚いてしまう。
でもそういう組み合わせも普通だし、なんなら性に興味がない人も普通だしって学んでいれば
思春期に男同士で
「オマエ誰好きなの?」
「俺は○○君」
って会話も普通にできるんじゃないかな。

なんか話がズレてきたけど。
どんな見た目でも考え方でも「みんな普通で特別」って教えていきたいと思います。

ここ数年「イクメン」って言葉に対して
お母さんサイドからは反感買うことか多くなってきたよね。

私も嫌いな言葉。

親の世代はたぶん旦那がオムツ取り替えただけで
拍手喝采だったんだろうけどね。

子供に関することは「やって当たり前」のことで
「手伝って」
「やってくれた」
「ありがとう」
って言葉は旦那に使うのはおかしい。

りゅうちぇる&ぺこに子供が産まれたとき
私はりゅうちぇるって本当にイイオトコだと思ったよ。
メディア上の情報しか知らないけど
仕事の間の少しの時間に家に帰って
自分が子供みててぺこに休んでもらおうという姿勢
母乳をあげる以外は自分も全部できることだと思っていること
なによりそれって「当たり前」のことでイクメンではないと自覚してること。
 
もうね、どんな育て方したらこんな良い子に育つんだろうって思ったね。笑

しかもさ、あんな若いんだよ。

私の旦那は色々やってくれるし
私がしんどいのも理解してるつもりだけど
なんか、ゲスト参加って感じがあったのよね。
そういうお父さんがほとんどじゃないかな?
まぁ、お父さんサイドからしてみたら
週末しか触れることしかなくて
最初なんて5日ぶりのオムツ替えで
どうやるんだっけ?って思い出しながらだし
粉ミルクどんくらいだっけ?とかだし
月曜ー金曜で世話してるお母さんからしてみたら
仕事の覚えが悪い従業員だわ。笑

今なら笑って話せるけど
当時はほぼ寝てない、傷は痛い、貧血回復してない、精神的に休む時間がない状態で
週末が来るたび同じこと教えるツラさ。
なぜ脳内で予習をしてこないのか・・・

週末は対等に面倒を「みれなきゃいけない」はずなのに
旦那は子供の面倒をみる場面を選ぶのよね。
でもさ、こちとら24時間体制で選択肢はないのよ。
眠くても、お腹空いてても、1本だけLINEの返事打ちたくても
最優先は赤ちゃんの世話。
なぜ向こうには選択肢があるのだろう?
なんかおかしくないか?
なぜベースに「妻の仕事」っていう雰囲気があるのか?

なんかすごい危機感を感じたのよ。

このままゲスト参加風だと、もちろん完全にママっ子になって
何でもかんでもママママで、私の負荷が重くなると・・・(一般的なイメージ)
実際、2-3ヶ月くらいのころは泣いてるときに旦那が抱っこすると火に油を注いだように泣くようになって
私が抱っこすると一瞬で泣き止むようになった。
接してる時間が違うから当たり前っちゃ当たり前だけど
この「当たり前」を無視しちゃいけない。

子供と父親の距離が開き、夫と妻の距離が開く第一歩だ。

ほぼ寝てないけど、超しんどいけど
寝る時間削ってよく話し合ったよ。

話し合ったというか、一方的に伝えたよ。
毎回号泣しながら。笑
(疲労とホルモンバランスのせいで制御不可能)

とはいえ、急には変わらないからスパルタでいくことにした。
例えば、日中に私は別室でお昼寝。
そのとき赤ちゃんが号泣しても無視した。
明らかに旦那がパニクってる感じがしてても助け舟なし。
命に関わる時以外に私を呼ぶなって伝えて爆睡。
ひどいように聞こえるけど
産後の平日、私は家で一人でそうやって乗り越えてきた。
だから大丈夫。

その繰り返し。
その結果、旦那ゲッソリ。笑
自分がいかにゲスト参加で「手伝ってた」だけだってわかったって。

よく言葉で伝えて
よく体感させて
ようやく足並みが揃ったのが1歳過ぎた辺り。
すごくしんどかった。
でも諦めなかったおかげで目に見えて父子の関係が良くなったから本当によかった。
むしろパパっ子。週末は私、透明人間なんじゃないかと思うくらい。(メッチャ楽だわぁ)

大人2人きりだと、多少足並みが揃ってなくても気にならないし
違うのも面白いって感じることもあるけど
子供いるとガッツリ同じ方向見てないとあっという間に関係がダメになるように思った。
実際、妻が旦那に対して「諦めた」ときにみんな離婚してる。

ワンオペ育児って本当辛いと思う。
辛いとかの言葉じゃ足りないほど。
昔はニュースで、育児ノイローゼで虐待とか見て
ヒドイ親だなぁ〜産まなきゃよかったじゃんって思ってたけど
そんな簡単な話じゃなかったんだなって。
対・子供でも確かにストレスだけど
対・旦那との関係が1番なんじゃないのかなって。
話し合える関係性っていうか。
「俺だって疲れてる」って言葉が育児初心者ママにどれだけダメージを与えるか。

旦那だけが悪い風になっちゃったけど
お互いにいつでも、ありがとうって気持ちを伝えるのは本当に大切だとつくづく思ったのでした。

大人2人きりの自由気ままな生活から一転
小さな怪獣に翻弄していく中で
私がずーっと思ってたことを書いていこうと思います。

「育児は大変」だと思ってる人は多いと思う。
でも実際、よほどイレギュラーじゃないかぎり
育児が大変なんじゃなくて、育児に対する夫婦の在り方というか
夫婦の関係が大変なんじゃないかぁと心底思った。

ほとんどの人が未経験である子育てという仕事の中で
夫婦がどう足並み揃えていけるかがポイントで
それができないパートナーならいないほうが楽なのが現実。

離婚経験のある人や
ほぼ家庭内別居の人や
旦那はATMって思ってる人など
話を聞けば聞くほどみんな同じような旦那だなと思うわけなの。

きっと日本人のほとんどが
女が産休とったり専業主婦だったりで子育てに専念する期間があるわけ。

私が実際感じたことね、
確かに9ヶ月お腹の中にいて
その間準備や勉強もチョロっとしたけど
まぁ母性なんてでないわな。(私がドライなのかもしれないけど)
実感がないっていうのもあるし
想像できないってのもある。

手術前日の夜、
この中に入っている人間が明日には横にいて
このお腹も小さくなるんだと思うと
なんとも不思議な気分だったけど
本やネットで読むような
「なんか離れるような寂しい気持ち」なんてファンシーな気持ちは微塵もでてこず
むしろようやく1人の体になる!フリーダム!って思った。(ホント重くてしんどかった)

で、実際産まれて
感動もしたし、健康そうで安心もしたけど
「ようやく会えたね♡」なんて思うこともなく
こ・・・これが腹の中に・・・って、そんな感情。
入院期間中、沐浴やオムツ替えもしたけど
母性なんてまだでてこず、むしろ自分の体がしんどすぎて本当に普通になる日がくるのか怖かった。

で、退院日。
帰る用意して旦那が車で病院に来るの待ちだったんだけど
なんか、いきなり「はい、あとはガンバッテー」って大海原に投げ出される感覚。
入院中はもちろんプロのサポートがあり
いつも気にかけてくれてたけど
家に帰ったらそれがないわけで・・・

ワタシ、ダイジョウブ?(オナカもイタイよ?)

って感じ。
みんなそれが当たり前だし、出来てるから出来るんだろうけど
「今から9ヶ月後に飛行機操縦させるから説明書読んでおいて」って言われて
「じゃあ、今から実際操縦してくださーい!」
って言われてるようなもんよ。
脳内シュミレーションと実物は違うわけで。
乱気流に入ったときとか、エンジントラブルとか
色々あるでしょ。笑
毎日毎日ビクビク操縦して
24時間操縦し続けて眠いわストレスだわ
それでも操縦しないといけなくて・・・
もう、正しいとかどうでもよくて
とにかく墜落しないように神経張り詰めて操縦し続けて
数ヶ月経って、ようやく赤ちゃんが笑ってくれたりなんだかんだで
自分が母親なんだって自覚して母性がでてくるのよ。(私はね)

「手探り」ってまさにこのことだわ。笑

多分、ほとんどのお母さんが共感してくれると思うな。うん。

で、そんな中
「夫」という生き物は
自分のペースで超ゆっくりと「父親」になっていくんだと思う。

スタートラインは同じなのに温度差がすごい。
ここでどうしていくのかが運命のわかれ道なんだとピン!ときた。

つづく。


正直、母子感染の心配は全くしていなかった。

元々自分が知っているデータとして
全く予防処置をしないまま普通に出産すると
母子感染の確率は25%で
きちんと予防処置をして帝王切開での出産だと2%以下であること
(数年前のデータだから多少は変わってるかも)

確率でしかないけど
こんな数字ならまず母子感染はない自信があった。

じゃあ何が心配って?

何か障がいを持って生まれてくるんじゃないかということ。

妊娠中は頭痛薬や風邪薬にも気を使うじゃん?
それなのに・・・ねぇ。笑
私ずっと薬飲み続けるでしょ。
イメージだけど、風邪薬や頭痛薬より強そうなやつ。

昔、担当の先生に聞いたことがあって
妊娠中に薬飲んでて影響はないの?って。
先生の答えは「わからない」ということ。
胎児に影響の少ない薬には変更するんだけど
もし何か障がいを持って生まれてきたとしても
それが薬のせいなのか、飲んでいなくてもそうなったのかデータが少なすぎてわからないんだって。
まぁ、そらそうだ。

薬を飲んでいることと
医学的には高齢出産の部類に入ってしまうこともあって
最初から覚悟してたよ。
むしろそのつもりでいた。
先生がエコーを見るたびに
いつか何か言われるんじゃないかって思ってたし。

コンスタントにネットでも検索してた。
そもそも、妊娠後に検査でHIVが発覚したってブログに書いてる方は何人かいたんだけど
母子感染してませんでしたって情報のみで
詳細を書いてる方が誰もいない。(当時ね)

私がブログを始めたきっかけが
異性愛者の女性ブログが存在していなかったから。
スタートしたら想像以上に女性の陽性者からメッセージ頂いたりで
誰かの役に立ててよかったなって思ったの。
だから出産のこともいつか絶対書こうと思ったのよ。
タイムリーだと色々都合悪いから
数年過ぎたらって決めてた。

ちょっと話それちゃったけど
結論から言うと
母子感染もなく、薬の影響もなく
すこぶる元気な子に成長してます。
これはたった1人だけのデータだから全てではないし
何事もなくて本当に良かったと思ってる。

自分が陽性ってわかって
これからの人生に絶望感を持っている人も
妊娠がきっかけで陽性だってわかった妊婦さんも
陽性だからって妊娠を諦めかけてる人も

簡単な問題じゃないけど
前向きに考えてもいいと思う。
これから色々書いていくけど
病院側も一丸となってサポートしてくれたし
病気を理由に諦めることなんて全く必要ない。

たぶんそれはどんな病気の人でも同じだと思う。
遺伝してしまうものだったり
自分の命を左右してしまうこともあるかもしれない。
推奨する気なんてサラサラないけど
(だって普通に育てるのだって大変だもん)
考えて考えて出した答えなら何でもいいと思う。


色々話を聞いていくうちに

あまり『普通』と大差がないということがわかった。

 

投薬は元々していたし

CD4の数値も元々高めだし

何が違うかっていうと

出産当日は薬を飲まないので

点滴での投薬?母子感染予防?(なんだっけ?笑)

になって、翌日だか翌々日から普通に薬飲む感じ。

 

その点滴はどこでもあるわけではないから

なんかかどっかの病院から取り寄せるために

『必要です』っていう書類にサインしたっけな。

 

自分自身は本当このくらい。

もちろん病院サイドはきっといつも以上に気を付けるようにとか言われてるかもしれないけど・・・

 

あとは、帝王切開になるから

あらかじめ『なぜ帝王切開か』というネタを考えて

産科の先生に不自然じゃないか確認して。笑

だって、エコーの写真見たら逆子じゃないのはわかるだろうし

前々から帝王切開ですってわかってるのは何か理由がないと。

かなりの人数に言ったけど、誰も疑うこともなく(まぁデリケートな話だしね)

当日まで問題なかったです。

 

あとは、母乳問題。

母子感染を防ぐために完全ミルクなんだけど

まぁみんな聞いてくるよね。笑

そんな母乳・ミルクについてツッこまれるなんて思ってもなかったから(私なら「へ〜」で終わる話題)

もっとリサーチしておくべきだったなと。

ちょっと受け答えに戸惑った。


1番精神的にキツかったのが

赤ちゃんに薬を飲ませなければいけなかったこと。

1日1回を6週間だったっけな?

シロップの薬とメモリのついてるスポイトをもらって、

本当にチョビッとの量だから

スポイトのメモリに合わせてボトルから吸い上げるのも難しいし

哺乳瓶の吸い口のシリコンにシロップいれて

ミルクも横に用意しておいて

先に薬を吸わせて

サッとミルクにチェンジして・・・

ミルクを貰えると思ってる腹ペコ赤ちゃんが

一生懸命吸ったのが薬で泣くのよ。

最初の2-3週間とかはすんなり大丈夫だったんだけど

やはり知恵がついてきて

「これ、違う」って拒否するようになるの。

しかも体重の増加に合わせて薬も増えて

大人からしてみたら数滴レベルだけど

新生児には何回も吸わなきゃいけない量。

最後は吸わせると一口で拒否するからスポイトでそのまま口に流し込むんだけど

最初は勢いでゴックン→泣くって感じだったのが

これまた知恵がついてきて吐き出すようになるの。

もう私も半ベソ。

ごめんね、ごめんねって。


6週間の薬が終わって、もう人生の中の1番辛いことが終わった感じで(私の体調も回復してくる時期だったし)

「もう私何が起こっても大丈夫な気がする」って心底感じたよ。

心も体もズタボロで

なんかの修行か罰ゲームなんじゃないかと思うほど。

ってか、本当に修行だよ。

恐るべし産後1ヶ月・・・

思い出すだけで泣ける。

というか、辛すぎて覚えてない。笑


家で検査して

まず当時の担当医にメールした。

病気が発覚して一番最初に先生と会ったときに

万が一、診察時間外で緊急なことがあったら・・・と

個人的な電話番号とメアドをもらっていて

まさかこんなことでメールするとは。笑

 

そしたら、明日診察時間の最終に来なさいと返事が。

翌日の夕方病院に行って先生と色々話した。

 

先生が当日、産科と小児科に聞いてみてくれたんだけど

拠点病院といえども、当時在中している先生にHIV患者の出産経験がないと意味がなくて

産科はOKだけど、小児科で診れる先生がいないとのこと。

だから転院先探すから!と言われてしまった・・・

 

薬も即変更。

今日もらって帰って、明日から新しいの飲んでって。

書類は後から変更で大丈夫だからと。

 

数日後、先生から電話があって

受け入れ先の病院が決まったから、予約しておいたから行って!と言われて

ドキドキしながら新しい病院へ。

先生と顔合わせして、今後どうしていくかを聞いた。

まずは、書類上の手続きが必要だから

アレ書いて、コレ書いて

役所に行って

病院行って

また役所に行って・・・

 

産科も予約して

今度は母子手帳もらいになんちゃらセンターみたいなとこ行って

2週間くらいの間に全部バタバタ全部やった気がする。

というか、あまりに忙しくて覚えてない。笑

 

そんなこんなで、嬉しいとか、そういう感情に一切浸る余裕なしでした。

ブログにも書いているけど

私は元々子供が好きではないということもあって

病気がわかったとき、結婚するとき

『子供はつくらない』と決めていた。

 

旦那にも言っていたし、納得して結婚したので

私の人生設計は生涯2人きりということしか考えてなかったし

その分自由に旅行行ったり、美味しいもの食べたり・・・って予定だった。

 

でも30歳過ぎて、

本当にこのままでいいんだろうか?

っていう考えが芽生えたのね。

子供が欲しい!って感情でなくて

『つくらない』って決めつけて

『試してみる』って選択肢を排除していいのかと。

自分が母親になる想像は全くできなくても

旦那を“父親”にしてあげるチャンスを奪っていいのか。

 

もやもやしたまま旦那に話した結果

終わりを決めて挑戦してみようってことになった。

それで出来なくてもいいしって感じで。

 

とは言ったものの、

まぁそんな簡単にできるわけないし

チャレンジしたけどダメだったね、予定通り2人でって密かに思っていた。

子供をつくらない勝手な罪悪感を薄めるだけの考えだったのもある。

 

思っていた通り

トントンとうまく事が運ぶこともなく

『やっぱね~ そりゃそうだ』って思いながら

期限がくるのを今か今かと待っていた。

10%ほしい、90%恐怖。

やっと期限キター!と思ったら陽性反応・・・

 

マジか・・・

 

10%喜び、90%恐怖・・・

 

恐怖感は病気の陽性を聞いたときより高かった。

そんな感じで、妊婦生活スタート。

 

※“妊娠”というとてもデリケートな話なので、不快になる方がいたらごめんなさい。

 『望んでないのに妊活・妊娠』ということではなく、

 『心の準備がないまま妊活・妊娠』という表現が私には合ってると思います。

 20代ではないので、心の準備を待っている余裕が体にはないから。

 なので、現実に心が追い付いてなかった当時の心境です。

ブログを更新していこうと決めたのに4ヵ月も空いていました・・・

 

前回のブログで、数年前に転院してました~って書きましたが

今日はその理由を書こうかなと。

何年も前からブログの更新が緩やかになってしまったのもここに理由アリ。

 

実はですね・・・

出産してママやっておりました真顔(今もママやけど・・・)

 

そのため、その話を避けて通ると

ブログに書くようなネタなんて一切ない生活をしております。

タイムリーに書きたい気持ちはあったものの

日本国内で陽性者の出産なんて年にちょっとしかいないだろうから

安全策をとり

何年か後に書こうと決めていました。

 

陽性者としての出産ネタは実はそんな書くことなさそうなので

ただの子育てブログになってしまいそうですが

昔のことを思い出しながら、時間があるときに書いていこうとおもいます。

 

おひさしぶりです!

なんか年イチくらいしか投稿してない感じになってきたので

ちょっとがんばって更新していこうかなぁと思ってます。

 

チョイチョイ相談メールなどを頂くのですが、

ブログの更新がないからメールを躊躇してしまうようで・・・

申し訳ないです。

 

最近のCD4は650でした!

まぁ、可もなく不可もなくで

HIVに関しては本当に書くことがないんですよね。

病院にも、採血して薬もらいに行ってるだけって感じで。

そうそう。

ちょっと訳あって、数年前から病院を変更しました。(そのことはいつか書きます)

発覚当初からずっとお世話になってた先生だったので

引っ越しして少し遠くなっても

数ヶ月に1回しか通院しないから頑張って行ってたのですが・・・

 

わかってはいたけど、超めんどくさかったです!笑

役所と病院を行ったりきたり。

こんなんだったら投薬始める前に病院変更しとけばよかった!

 

新しい先生もホワっとしててイイ感じです。

 

そう遠くない最近、私の友人が闘病の末、他界しました。

 

旦那さんから連絡をもらったときは

大人になってからこんなに泣いたことはないというほど泣いて

思い出しては涙が出て・・・の日々。

 

ただ、闘病生活が続いている間は会っていなかったせいか

落ち着いて考えると、まだ現実味がないというか

本当にこの世にいないの?という不思議な感覚。

 

たぶん、家族なら看病したり病状を把握してるから喪失感はすごいと思う。

特に仲良し家族だったしね。

 

私と彼女は同じ会社で知り合って、

部署も違うしあいさつもしたことなかったけど

お互いに存在は把握してて、

ランチ中にカフェで遭遇して、よかったら一緒に・・・という流れで

『同じ匂いのする人種で気になってた』って互いに思ってて意気投合。

 

それからは、多い時で週3,4回は飲みに行ったりしてたし

会社が別になっても、だいたい金曜日は渋谷飲み→終電というコースだった。

彼女には私の感染も伝えてて、それほど仲良くしていた。

 

私が感染するよりちょっと前から闘病生活が始まっていて

調子がいいときは仕事もしてたし、飲みにも行けてた。

投薬なんか始まると、お酒はダメでもランチとか、おいしい店を探して色々食べに行ったり。

 

そんな感じで、調子が悪くなってもしばらくして元気になったからと連絡がきたり

その繰り返しだったから、今回のときも連絡を待ってたんだよね。

チョイチョイはメールしてたけど返事がないから心配はしてたんだけど

まさか訃報が届くとは全く思ってなかった。

 

後から聞いた話では

痛みを和らげるだけの緩和ケアだったとのこと。

それを聞いてしまって

自分勝手な私は

『なぜ連絡してくれなかったのだろう』とずっとモヤモヤが晴れない。

 

彼女の性格的に理解はできる。とても。

自分が同じ立場だったらどうかわからない。

でも、私はひとことでいいから

今までありがとう

って言いたかった。

メールでも電話でも手紙でもいい。

生きている間に、きちんと伝えたかった。

 

腹がよじれるほど笑わせてくれて

時には私の子供じみた考えを優しく直してくれたり

どんなときでも味方になってくれた。

 

だから、そういう病状だってことを伝えてくれなかったのは悔しいし

『また元気になって会える』と無理矢理にでも連絡をとらなかった自分の馬鹿さに腹がたつ。

 

誰に何を言っても、もう時間は戻らないし会えることはない。

だから答えがなくてモヤモヤが止まらなくて。

 

私の旦那は若い時に親を病気で亡くしていて

若いゆえ、そんなに重い病気だなんて思わなくて

親もあえて隠していたみたいで

あの時、しつこいくらいに会いに行けばよかったってずっと後悔してるから

私の晴れない気持ちを私以上に理解しているのが救い。

 

だから何だって話だけど、

彼女を思い出すだびに

言い残すことはない生き方をしようと思う。

 

自分が病気になって

案外、好き勝手楽しくやってきた人生だから

いつ死んでも思い残すことはないって

『人生』に対して執着はないことがわかったけど

 

彼女が亡くなって

誰にも何も感謝を伝えてないことに気が付いた。

それって、簡単そうで結構難しい。

 

最後にそうやって気付かせてくれたのだと信じ

いつか私がソッチに逝ったときには

連絡をくれなかった文句と

楽しい時間を一緒に過ごせたお礼を言おうと思います。