モントリオールに着いて3日目。毎晩、ホテルから数ブロックはなれた場所に位置するcafeを訪れる。そのcaféからは、正面に面した通のいたる所に掲げられる虹色の旗を見ることが出来る。それを象徴するかのような男性達が通りには溢れている。ここは、様々な客が夫々の個性を持ち寄り行き来するcrossing point。 座る場所は、決まって窓際。右手に店内を望み、左手にある大きな窓からは通りを見渡すことが出来る。大きな鉢植えからは、鑑賞用に置かれた亜熱帯特有 の赤を含んだ植物が伸びて入る。それを背にし、椅子と机の高さがあっていないその席で数時間を過ごす。椅子は赤で、クッションが少し入っている。テーブルは小さな丸。白を基調 に黒で縁取りされている。コーヒーのシミが所々にうっすらと広がっている。窓の3分の2がメニューの張り紙に占められている為、目前に広がる景色は軒先でたむろする人々の胸より下で繰り広げられる人間模様。遠くにいる人々の全体像は確認できるが、こちらに近づけば近づくほど、メニューで胸の位置まで切り取られてしまう。同時に彼らの持つ胸から上の個性は一瞬で消し飛ばされる。しかし、僕の想像力が胸より上の彼らを再構築する。

張り紙にカラープリントされた人工的な偽パニーニから伸びる手の持ち主の顔とは一体どんなものなのか?視覚、嗅覚、聴覚、勘を頼りに“肉付け”を行なう。火のついたタバコを支える皺くちゃの二本指、その指と同じくらい皺くちゃのスラックス、汚れた袖口、彼の生活の全てが詰まっていると思われるスーパーの袋、かかと部分を踏まれた靴、彼の目が捕らえているであろう相合傘のカップルに連れ添う犬、など挙げればきりがないが、それぞれの情報を視覚から頭に取り込む。その間に、入り口の扉は引かれ、押され、何度も人々の手によって開け閉めされる。その度に音が聞こえる。靴と地面の共鳴、パトカーのサイレン、クラクション、雨の音、フランス語、 英語、犬の鳴き声、自転車、自動車の摩擦音、軒先でたむろするハスラーの話声、男性から発せられたであろう耳につくカン高い声、挙げればキリがない。caféの外からの聞こえる全ての音が雨の日の湿った空気を通し、店内のざわめきに交じり合いながら僕の耳に伝わる。その音に少し遅れ、無臭に近い店内に排気ガス、タバコの匂いが季節の変わり目の少しひんやりした風と共に舞い込んでくる。

目、耳、鼻から得たそれらを基 にしながら、勘を頼りにした肉付けが始まる。年齢は70-70半ば。細身の爺さん。髭をたくわえているに違いない。日ごろの生活の苦しさを滲み出す青い瞳。それを隠すように生えた眉は濃く、当時の中曽根首相を思わせる。指と同じくらい皺くちゃな顔は笑うと愛嬌と切なさを同時に放つ。薄くなった頭を隠すように、使い込んだカーボーイハットを被っている。決して威張らず、誇らず、リラックスしながら町に、タバコの匂いと共に溶け込んでいく。1分をかけず、肉付けは終了する。

くたびれた靴がタバコの火を地面とこすり合わせたかと思うと、顔が露になる。
それは決まって、“肉付け”された顔に似ていない。


うーん。と心の中でうなりオレンジジュースを喉に流し込む。



こんな時間の使い方もありだと思う。
現実から少し距離を置き、想像に時間の舵を取らせてみる。
悪くはない。
大学を卒業し、最後の夏休みが始まった。

日本には2週間もすれば帰る予定だ。
学生として此処に戻ることはしばらくないだろう。
計5年間の留学生活を過ごした北米にもう少しだけ付き合ってもらおう。

one

dice



Throwing ”dice” into the sky...yeah, just like that.....


一月ほど前にインターネットの新聞記事で“グローバル時代の留学のすすめ”と題し、留学の価値について書かれた記事を読んだ。その記事をきっかけに、自身の留学を再考する機会があった。久々の更新ではあるが、今回は、記事の内容及び、読後に考えたことを自身の経験を踏まえながら書いてみよう。



記事は、グローバル化の恩恵の一つである、情報の“氾濫”が若者の内向き思考を促進すると記してあった。私達は、部屋に籠り、キーボードを弾く事で驚くほどの情報量を取得できる。そういった時代において、新たな知識、語学習得といった大義を持つ留学への付加価値が低下してきている。しかし、“留学は、勉学を通して現地社会に入るということである。苦労した上での比較は、若者の視野を広げ、日本社会を相対的に見る視座を身につけることに役立つだろう。と著者は唱える。その相対比較可能な視座こそ、就職活動の場で盛んに謳われる国際的視野であると私は考える。筆者と、私の定義する勉学に多少の差は有るかと思う。(そういった視座の必要性は敢えて書かない。なぜなら、今回のエントリーでは、これまでの留学に焦点を当てたいからだ。)しかし、筆者の現地社会に入り、日本を相対的に見る視座を身につけるという一節に於いて、私はこれまでの留学経験を踏まえながら、ウーンと唸ってしまった。


二ヶ月弱という限られた時間の内に、四年間の留学生活にピリオドを打つことになりそうだ。記事で考えた事を書きながら、これまでを振り返えってみようと思う。



クラスに行き、図書館で教科書と格闘する不愉快で多忙極まりない“平凡な毎日”に嫌気がさした私は、大部分の留学生が定義する“勉学”への時間を放棄した。替わりに、どの様にして大学で知り合いや友達を増やすかを考えてきた。聞こえはいいが、要するに私は、教科書を読まず、行きたくないクラスにいかない、怠け者なのである。これまで勉強に費やしてきた時間を使い、どの様にしてアメリカで過ごす“今”を謳歌するか?適度な緊張感を保ちながら、その問いへの答えを創りだそうとしてきた。最終的に辿り着いたのが、記事にもあった“現地社会に入る”ということだ。私の定義する“入る”は、その場所で生活することのみならず、対象とする社会又は組織の中で自分を認めてもらうということだ。それは、他者である自分の持つ違いに対して、その社会(いる人々)から、何らかのrespectをもぎ取る。結果として、彼らは自分を日本からの部外者としてではなく社会の一員として認めてくれる。


Respect を勝ち取れ!この言葉が、多大なエネルギーを与えてくれた。キャンパスで様々な人種が運営する組織運営に関わることで、多くの人に自分の顔と名前を覚えてもらった。イベント運営の中心人物の一人となり、力を誇示することで、respectを得ようともした。それは、自分のキャラクターやパーソナリティーを他者に押付けるという方法だった。結果として、キャンパスを歩けば、沢山の知り合いが声を掛けてくれる。自分のことをアルバニー大学という社会の一員として認めてくれている満足感を得た。私の大部分と人とは違う留学が、自分を優越感に浸らせた。



順風満帆の学園生活にも飽きが出てきたので、昨年の8月から12月まで、軽い気持ちでドミニカ共和国へ短期留学を決めた。カリブ諸島特有の全てを炙り出すように照り付ける太陽が、自分の弱さを浮き彫りにした。言葉の壁を手始めに差別、貧富の差、異文化の“洗礼”を徹底的に受けた。自分のキャラクターを押付け、知らしめる道具である言語(英語力)が意味を成さなく成ったとき、初めてこれまでの留学生活で得たものはキャンパスでのpopularityであったことに気付いた。そして、それは決して現地社会の一員になることに繋がるとは限らないのである。なぜなら、ドミニカ共和国でも、ある程度のpopularityは得る事は出来た。だが、彼らの一員になったという感覚をえることが最後まで出来なかった。滞在中、意気消沈する度に米国でお世話になった先輩に度々言われた“お前、考えたほうがいいよ。”という言葉が、先輩のヘラヘラ顔と共に嫌というほど脳裏に浮かんだ。(もうこれでもかと頭に浮かびすぎて、12月に半年ぶりに先輩に再会したが、懐かしさの欠片も感じなかった。)



現地社会に入るという自分の定義が変わろうとしていた。ドミニカ共和国で悩みながら、行き着いたところが、相手の話しを聞いてみようということだ。これが難しい!唯でさえ人の話を聞く事が苦手な自分に、聞き取り難いスペイン語を陽気なドミニカ人はハイテンションで浴びせかけてきてくれる。毎日、ゴール手前100メートルを走る駅伝ランナーの様に、疲弊しきった足取りで家まで帰った。聞くしかなかった。話しを聞き、相手を知る可能性を探る事が言語力乏しい自分にとって最低限出来ることだった。それが現地社会に入るきっかけを創ることに繋がるのではないか。そして、互いを知り合うというところに現地社会に“入る”可能性があるのではないかと考え出した。その考えは間違っていないと今も思う。



それでは、どうやって“今”を謳歌するか、再度自分に問うてみる?米国の居心地の良いpopularityの中に戻ってきた今、自分は何をしたいのか?やはり、現地社会に入りたいのである。ただ、popularityを得る、お山の大将ではなく、出来ればlike a familyの様に受け入れて欲しい。“入る”為には、他者の事を知らなければいけない。いや、私は知りたい。そして、互いの“違い”に気付けた結果として、記事にある“社会を相対的に見る視座”が見に付くのであろう。その能力は、使い方によっては、グローバル化が進む企業にとって、海外進出する上で大変役立つ。筆者は、それを意図して記事をかいたのではないかと推測する。精神的にも、物質的にも満足な生活を送るために確かにお金は欲しい。しかし、今、学生である私にとってそんなことは、卒業後に実感することであって、どうでもいいのである。今自分が、実感として残したいのは、人と人の間に生まれるtiebondのような、実感としては感じる事のできないモノだ。だからこそ、終わりがなく、永遠に色々な興味深い話を人から聞くことができる。現に先日、チベットから死にものぐるいで、米国に逃げてきた人の話を聞く機会があった。今では、毎週一回立ち話する仲だ。





長くなってしまったが、この記事をよんでそんな事をぼけーと宿題もせずに考えていた。重い腰を上げて、宿題に取り掛かろうとおもう。でないと、卒業があやうい。。。。。



Throwing ”dice” into the sky...yeah, just like that.....


















Throwing "dice" into the sky...yeah, just like that.....
ただいまー。

日本に戻ってきた。

当初、ドミニカ共和国で感じていた違和感が“日常の一部”になっていたせいか、日本での“日常”に対し少なからず違和感を感じている。真剣な表情で御堂筋を歩く人々。綺麗に整理された道路。停電、断水の無い生活。

あげればきりがない。

話は変わるが、ドミニカ共和国での滞在最終日にIshmaelという本に出会った。まだ4分の1しか読んででないけど、もの凄くインパクトのあるフレーズがあったので記しておこうと思う。

Ishmaelはゴリラ。色んな場所を転々として、人間を常にゴリラの思う客観的な立場でみてきた。人間の無意識な主観性に対して苛立ちを覚えながらも、心では人間の有する思考への可能性に希望を見出している。

主人公は教師。Saving the world(世界を救う)ことを目指している。いやいたのだが、現在は当たり前な日々を過ごすことに精一杯。以下は本から抜粋。


Ishmael thought for a moment. “among the people of your culture, which want to destroy the world?”

“which want to destroy the world?” As far as I know, no one specifically wants to destroy the world.

“and yet you do destroy it, each of you. Each of you contributes daily to the destruction.”

“yes, that’s so.”

“why don’t you stop?”

I shrugged. “Frankly, we don’t know how.”

you are captive- and you have made a civilizational system that more or less compel you to go on destroying the world in order to live.”

“yes that’s so. I just never thought of it that way.”

And you yourself are a captive in a personal way, are you not?”


captiveの言葉の意味はunable to escape。では、どのようにそのsystemから抜け出す?人間自身がそのsystemを創ったのなら、その工程を主観性を出来るだけそぎ落としながら見直していこうってのがIshmael、作者の意見。もっと読み進めていこうとおもう。



最近思う事は、考えと行動を同時に行なうこと。

もっと考えて、人の目に地味に移っても瞬発的に動いていきたい。その思いをもう少し簡単に体に落としこめたらいいのになー。



peace


dice