一月ほど前にインターネットの新聞記事で“グローバル時代の留学のすすめ”と題し、留学の価値について書かれた記事を読んだ。その記事をきっかけに、自身の留学を再考する機会があった。久々の更新ではあるが、今回は、記事の内容及び、読後に考えたことを自身の経験を踏まえながら書いてみよう。
記事は、グローバル化の恩恵の一つである、情報の“氾濫”が若者の内向き思考を促進すると記してあった。私達は、部屋に籠り、キーボードを弾く事で驚くほどの情報量を取得できる。そういった時代において、新たな知識、語学習得といった大義を持つ留学への付加価値が低下してきている。しかし、“留学は、勉学を通して現地社会に入るということである。苦労した上での比較は、若者の視野を広げ、日本社会を相対的に見る視座を身につけることに役立つだろう。” と著者は唱える。その相対比較可能な視座こそ、就職活動の場で盛んに謳われる国際的視野であると私は考える。筆者と、私の定義する勉学に多少の差は有るかと思う。(そういった視座の必要性は敢えて書かない。なぜなら、今回のエントリーでは、これまでの留学に焦点を当てたいからだ。)しかし、筆者の現地社会に入り、日本を相対的に見る視座を身につけるという一節に於いて、私はこれまでの留学経験を踏まえながら、ウーンと唸ってしまった。
二ヶ月弱という限られた時間の内に、四年間の留学生活にピリオドを打つことになりそうだ。記事で考えた事を書きながら、これまでを振り返えってみようと思う。
クラスに行き、図書館で教科書と格闘する不愉快で多忙極まりない“平凡な毎日”に嫌気がさした私は、大部分の留学生が定義する“勉学”への時間を放棄した。替わりに、どの様にして大学で知り合いや友達を増やすかを考えてきた。聞こえはいいが、要するに私は、教科書を読まず、行きたくないクラスにいかない、怠け者なのである。これまで勉強に費やしてきた時間を使い、どの様にしてアメリカで過ごす“今”を謳歌するか?適度な緊張感を保ちながら、その問いへの答えを創りだそうとしてきた。最終的に辿り着いたのが、記事にもあった“現地社会に入る”ということだ。私の定義する“入る”は、その場所で生活することのみならず、対象とする社会又は組織の中で自分を認めてもらうということだ。それは、他者である自分の持つ違いに対して、その社会(いる人々)から、何らかの respect をもぎ取る。結果として、彼らは自分を日本からの部外者としてではなく社会の一員として認めてくれる。
Respect を勝ち取れ!この言葉が、多大なエネルギーを与えてくれた。キャンパスで様々な人種が運営する組織運営に関わることで、多くの人に自分の顔と名前を覚えてもらった。イベント運営の中心人物の一人となり、力を誇示することで、 respect を得ようともした。それは、自分のキャラクターやパーソナリティーを他者に押付けるという方法だった。結果として、キャンパスを歩けば、沢山の知り合いが声を掛けてくれる。自分のことをアルバニー大学という社会の一員として認めてくれている満足感を得た。私の大部分と人とは違う留学が、自分を優越感に浸らせた。
順風満帆の学園生活にも飽きが出てきたので、昨年の8月から12月まで、軽い気持ちでドミニカ共和国へ短期留学を決めた。カリブ諸島特有の全てを炙り出すように照り付ける太陽が、自分の弱さを浮き彫りにした。言葉の壁を手始めに差別、貧富の差、異文化の“洗礼”を徹底的に受けた。自分のキャラクターを押付け、知らしめる道具である言語(英語力)が意味を成さなく成ったとき、初めてこれまでの留学生活で得たものはキャンパスでの popularity であったことに気付いた。そして、それは決して現地社会の一員になることに繋がるとは限らないのである。なぜなら、ドミニカ共和国でも、ある程度の popularity は得る事は出来た。だが、彼らの一員になったという感覚をえることが最後まで出来なかった。滞在中、意気消沈する度に米国でお世話になった先輩に度々言われた“お前、考えたほうがいいよ。”という言葉が、先輩のヘラヘラ顔と共に嫌というほど脳裏に浮かんだ。(もうこれでもかと頭に浮かびすぎて、12月に半年ぶりに先輩に再会したが、懐かしさの欠片も感じなかった。)
現地社会に入るという自分の定義が変わろうとしていた。ドミニカ共和国で悩みながら、行き着いたところが、相手の話しを聞いてみようということだ。これが難しい!唯でさえ人の話を聞く事が苦手な自分に、聞き取り難いスペイン語を陽気なドミニカ人はハイテンションで浴びせかけてきてくれる。毎日、ゴール手前100メートルを走る駅伝ランナーの様に、疲弊しきった足取りで家まで帰った。聞くしかなかった。話しを聞き、相手を知る可能性を探る事が言語力乏しい自分にとって最低限出来ることだった。それが現地社会に入るきっかけを創ることに繋がるのではないか。そして、互いを知り合うというところに現地社会に“入る”可能性があるのではないかと考え出した。その考えは間違っていないと今も思う。
それでは、どうやって“今”を謳歌するか、再度自分に問うてみる?米国の居心地の良い popularity の中に戻ってきた今、自分は何をしたいのか?やはり、現地社会に入りたいのである。ただ、 popularity を得る、お山の大将ではなく、出来れば like a family の様に受け入れて欲しい。“入る”為には、他者の事を知らなければいけない。いや、私は知りたい。そして、互いの“違い”に気付けた結果として、記事にある“社会を相対的に見る視座”が見に付くのであろう。その能力は、使い方によっては、グローバル化が進む企業にとって、海外進出する上で大変役立つ。筆者は、それを意図して記事をかいたのではないかと推測する。精神的にも、物質的にも満足な生活を送るために確かにお金は欲しい。しかし、今、学生である私にとってそんなことは、卒業後に実感することであって、どうでもいいのである。今自分が、実感として残したいのは、人と人の間に生まれる tie や bond のような、実感としては感じる事のできないモノだ。だからこそ、終わりがなく、永遠に色々な興味深い話を人から聞くことができる。現に先日、チベットから死にものぐるいで、米国に逃げてきた人の話を聞く機会があった。今では、毎週一回立ち話する仲だ。
長くなってしまったが、この記事をよんでそんな事をぼけーと宿題もせずに考えていた。重い腰を上げて、宿題に取り掛かろうとおもう。でないと、卒業があやうい。。。。。