突然肺ガン(扁平上皮ガンステージⅣ)になったパパと明るく支えるママを、頼りなく支える娘のブログ -2ページ目

ドセタキセル1日目 異常なし

7月13日木曜日

朝起きてメール。
「パパの生命力を信じてます。」

父は朝食をほとんど食べた、と返事が来た。

点滴は13時から。
その後、呑気に競艇を楽しんでいた。

2時間かけてドセタキセル。
母が立ち会うつもりだったが、父が遠慮して断り、母が行かなかったと言うので、「行くと言ったのに…」と少し腹が立った。

五時前に息子をスイミングに送り、そのまま病院へ。
今の所、何ともないとのことで、少し安心。

「競艇買おうとしたら先生が点滴の針をうちに来たので、1分待ってもらった」などと、とんでもないことを言う…

18時頃息子を迎えに行き、また病院へ。
夕飯は母持参の鰻をもりもりたくさん食べた。
何故か鰻がとても食べやすいらしい。

19時半頃まで競艇をやって、帰宅。

本人の気分は良さそう。
今晩、肺炎にならないことを願う。

ドセタキセル1クールのため入院


7月12日水曜日
治療のため10時に入院。
窓際の明るいお部屋で気持ちがいい。
前回の肺炎になり、その時の入院から約ひと月振り。

看護師さんが父を見て、
「不良!」
「イケイケで誰かと思った」
などと迎えてもらう。
喜ばしくない入院だが、気分が明るくなる。

この病棟の看護師さんは、とても優秀だと先生が言っていた。
病院で知り合った方に聞くと、よそのフロアの看護師さんは、ひどいらしい。
嫌な治療だが、不幸中の幸いだ。

お昼を食べ、車椅子でレントゲン、採血、検尿、心電図を済ませ、先生と面談。

ドセタキセルの説明。
副作用は、骨髄抑制、脱毛など。
色々調べて小耳に挟んだ「アイスグローブ」はしないのかと聞くと、しなくても大丈夫です(=^▽^=)との事。

父には悪いが、私はどんなキツい副作用より、薬剤性の肺炎が怖い。
オプジーボで、間質性肺炎になり、一週間熱が下がらず、とても体力が落ち、治療が遅れてしまった。
あまりの高熱に、命を落とすかもしれないと思った。

父は「かけだから。でも二回の肺炎を乗り越えたから大丈夫だよ!」と呑気に言う。

もちろん父は治療に積極的だ。
肺炎の怖さから、治療も怖かった私だが、病院で知り合ったKさんの奥さんから、「本人が治療したいと言ってるうちは、応援してあげて。」と背中を押されて、ほんとに応援しようと決意できた。

父は「がんが大きくなるのを黙って見てられない。やっつけてやるんだ!」ととてもポジティブ。

それから、先生から、終末期を病院か自宅か、どちらで過ごしたいか、という質問を、上手く振った。
これは前から先生が父に話したいと言っていた事だった。
三つ目の薬をやる時に全員と話している、と前置きした。

父に最期を意識させたくない想いから、先延ばしにしてもらっていた。
しかし先生と話し合って、今回話すことに。

父の病院は緩和ケア病棟があるので、もしもの時は予約しておくと、そちらに入れる。
でも、知り合いのKさんの奥さんは、「あそこは静かでいいけど、寂しいから、死んでしまいそう」と聞いて、私は消極的だ。

父は、「最期まで先生に見てもらいたい」と言いつつ、「まだ、実感わかないなー🎵」と…
まだまだ長生きするつもりなのだな。

四時ころ帰宅。
父は検査、説明が終わり、ベッドで9時まで競艇三昧。
今までに無いほどの連続的中を出し、ノリノリでメールが来た。
当たり過ぎ。
喜んでるから、私も嬉しいが、ここで運を使ってどうする?明日が怖い、と、不安になる私だった。

神様どうか、肺炎にならないよう、見守ってください。

熱の原因


6月29日木曜日
熱は午前中に37.5位まで上がり、カロナールを飲む一旦下がる。

心配なので、先生に電話。
すると、「カロナールを飲んでみて。下がれば腫瘍熱だと思う。下がらなければ感染の熱の可能性あり。」との事。

「多分腫瘍熱だと思われる。明日になってもさらに熱が上がる、いつもと違う症状がある、など、気になったらいつでも来てください」
「入院まで日にちがあるので、こんな感じでまたいつでも電話下さいね」
と言ってもらった。

30日、仕事の後、病院へ行き、ナイキサン、カロナールを追加でもらう。

ナイキサンは朝晩飲んでいたが、腎臓に負担がかかり、父は肺炎以降、腎臓の数値がなかなか上がって来ないので、やめてみることにしたが、熱が出ると、病状に対する不安のせいか、やや不機嫌になるので、熱が出ないようにした方がいいと思い、朝だけナイキサンを飲むことにした。

ナイキサンを飲んでいても、疲れたりすると、微熱が出る。
カロナールを飲むと解熱する。

癌の勢いが凄いのだろう。