映画感想―上映会に向けて
今のところ候補としては「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」「フォレスト・ガンプ」「チョコレートドーナッツ」などがあがっています。もちろんどれもダイバーシティあふれる作品です(簡単な内容紹介は前回の更新を参照してください)。
*「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」について。主人公の少年は「アスペルガー?」ということになっているわりに「フツー」に見えたんだけど、どう?
*彼の言動、たたずまいは見る人が見れば一目で「アスペルガー」特有のそれらしい。ただ一定の知識がないとピンとこないかも。ネット上のレビューにもそういう指摘はしばしば。
*でも例えば彼が教室にいたら?作品中では学校での孤立が示唆されていた。たくさんある「苦手なモノ」、どこか過剰な反応、そしてなんといっても「パニック回避用タンバリン」は印象的。(これについては見てもらいたいと思います)
*美しい映像と物語、音楽という点については文句なしだと思う。
この作品についてのネット上のレビューを紹介しておきしょう。いずれもヤフーの映画レビューです。
評判もよかったし、泣けるかなと思うい見たが、ちょっとダメでした。
テーマは深いけど、一方の視点でしか描けていないし、主人公の行動も理解しなきゃと思いながら見たけど、自分なら絶対付き合い切れない。
子供だから、親をあの事件で失ったから、ちょっと普通じゃないか…
それが免罪符になっちゃってて、やっぱり最後まで感情移入できなかった。(2014年8月10日 16時30分)
この映画は「自閉症スペクトラム症」の知識があるとないとで大きく見方が変わってきます。
主人公の少年の行動が細部にわたり、ぬかりなく描写されている上に、それをとりまく(特に母親)家族の心理や言動行動や距離感全てが「ホンモノを知る人」が作っている感じがしました。リアルです。
そして、その家族の愛情とオスカーくんの苦悩や生きづらさ。是非「発達障害」関係者は見て欲しい作品だと思いました。(2014年12月31日 1時51分)
*「チョコレートドーナッツ」について。ネットを見ると、こっちの方が広く受け入れられているような印象。でも、敵と味方がはっきりしすぎてるような。あまり考える余地がないと、押し付けになってしまうのでは。でも、理不尽に対する憤りみたいなものは確実に共有できると思う。この点はスゴく貴重。
*「フォレスト・ガンプ」は、とても有名な作品。スゴくおもしろい。ダイバーシティな場面もつぎつぎと目の前に。もともと知的障害を持つフォレストについてはもちろんだけど、人生を重ねるなかでマイノリティになっていったそのまわりの人たちに目を向けるとダイバーシティな議論に深みが出そう。フォレストが彼らの人生に再び希望をちりばめていく感じ。
「ものすごく…」については、「父親の死」は「911」じゃなくて例えば交通事故じゃダメなのか、という声もあります。でも、ダイバーシティ的にはそれではダメだと思うのです。なぜか、という前にちょっとヤフーのレビューにあったこんな書き込みを。
・・・これを言ってはもともこもないが、父親の死は、911でなくとも良かったのではないか。もっとも鍵を探索する見ず知らずの少年を自宅に招き入れるには、ny中が共有する悲劇として必要なだったのかもしれないが。(ヤフー映画レビュー2014年10月12日 3時22分)
この発想は、もう少し深めることができそうです。あの少年はたんに「見ず知らずの少年」であるだけでなく、「見ず知らずのアスペルガーっぽい少年」であることに想像力をめぐらせるということです。
評者が言うように、「911」という舞台設定がなければ、あの少年が受け入れられることはなかったと思います。それが可能になったのは、人々が911被害者を悼むための準備を十分に整えていたからであって、つまり「見ず知らずのアスペルガーっぽい少年」があんなふうに受け入れられるためには「911」クラスの特別な舞台装置が必要ということでもあるのではないでしょうか。
また、彼が「フツー」に見えるのは彼が「フツー」だからではなく、そう見えるのは、「フツー」の人のように受け入れられていたからだともいえるかもしれません。とすると、彼と接する人びと彼のやり取りのひとつひとつが、とても大きな意味を持つことになります。彼の大好きな彼の父親は彼に対してどう振る舞っていたか?―彼自身は「パパは対等に扱ってくれた」と振り返っています。母親は?おじいちゃんは?おばあちゃんは?クラスメイトは?エレベーターのとこにいる人は?そして「ブラック」たちひとりひとりは?―とここまで考えて、あらためて思うのですが、そもそも「フツー」にこだわることないよね?
彼がもっとも魅力的だったのはどんな場面だろうと振り返ると、そんな場面のひとつは、彼が叩きつけるように、そして能力全開という感じで喋り倒すいくつかのシーンではなかったでしょうか。そのときのたたずまいが全然「フツー」ではなかったとしても、です。そして、もっとも美しい場面のひとつは、「フツー」を目指すことの限界を告げる彼に対して母親が「フツーでないこと」をしっかりと肯定するシーンだと思うのです。
では、また。
