私に俳句を紹介してくれた「IH」さんはホトトギスの同人だが、詩作もされている。

句会のときに自作を朗読されたので知った。

彼に「俳句は省略にあるとか、季語を信頼して俳句を作るとよい、季語を修飾するような無駄な俳句を作るな」などと、およそ、「詩」とは真反対の「俳句という詩」を教わったものだから、私の中で俳句と詩が両立するのかという疑念や混乱があった。

司法書士の職を娘婿さんに譲り引退後に「詩集」を刊行され私も一冊いただいたが、皮肉なことに彼の教えのおかげでまどろっこしい気がしてまだ読まずにいる。彼の句集は多分ないと思う。

 

会社の営業所の大家さんの奥さんが俳句をやっておられることを30年間も知らなかった。

私も駆け出しですが俳句を始めたのですとちょっとお話したら、早速、近刊の句集を一冊戴いたことがある。津山出身の「西東三鬼」の流れを汲む現代俳句で素晴らしい感性の句集であった。

こちらの句集は、すぐにすっかり目を通し書き出したりしたものだから、えらい違いだと自分でもおかしくなったことだった。

 

誰かが言っていた。

俳句を始めてみると、短歌和歌の五七五の後に付く七七がなんとも冗長で説明的になる。

七七を省略して、読者が想像する余地を与えてあげる俳句、自分はその道を採りたい。

どうやら私もその口であるようだ。

 

震災のような大きな出来事を一句をもってすべてを表すことは到底出来ない。

それでも、少しでも気持ちを表しておきたいという思いに駆られる。




三月の海見晴るかす読経かな(前作)

三月の海見晴るかす祈りかな

三月の海に流るる読経かな



いつか、震災の句を確定したいものだ。