ひろ☆の自由、気まぐれブログ♪
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性別、年代、国籍を問わず、近年もカバーされ続けている、

敬愛する久保田早紀さんの異邦人”。

 

未来永劫、歌い継がれて欲しい、心に沁みる名曲。

 

まだまだガキ(餓鬼?)の頃、TVCMから流れてきた、異邦人のサビの「ちょっと振り向いてみただけの異邦人~♪」の歌詞に衝撃を覚え、どんな女性が歌っているのか?興味を抱いたのが最初のキッカケでした。

 

 

当時は、歌番組が花ざかり♪ 

 

うろ覚えですが、ザ・ベストテン、夜のヒットスタジオ、全日本歌謡選抜(選手権)、ビックベストテン、ベストヒットスタジオ・・・などなど。 

放送が多かったように記憶しています。

 

 

恐らく、👇の動画の夜のヒットスタジオで、最初に観たのが初めてで、観た瞬間に心奪われました。

 

 

独特の雰囲気、楽曲、歌声など。 正に!一目惚れかな。。。

 

姉のような、母の若かりし頃のような.......。

そんな妙な感覚。

 

その頃は、年上女性に憧れる年頃でしたから…ね。

 

テレビ出演がひと段落した頃、渋谷や新宿等のライブハウスで

頻繁にライブが開催されていました。

 

当時、観客は大学生や浪人生、社会人が殆どで、ワンドリンク付きのライブが多かったのですが、私は未成年だったので何時もコーラかジュースを注文。 

 

 

めてで聴く、哀愁漂う素敵な歌声にぐに魅了されました。

 

 

異邦人のヒットも落ち着いたある時、近所のFM放送局のサテライトスタジオに生出演されるのを知り、エピソードを添えて、リクエストの葉書きを送りました。 

 

後にも先にも、この時が最初で最後。

 

運良く? 番組内でエピソードと共に紹介されました。

それが👇です。 

(何年経っても、熱心に書いた物は、不思議と覚えているものですね。)

 

久保田さんがピアノで旋律を奏でる中、司会の方が読み上げてくれました。

 

「あれは確か●年前、◎◎◎理由で家庭内がゴタゴタしていました。 そして、心の中で鬱積したものを取り除く為、年末◎◎☆☆をしていました。 〇〇放送局から比較的近い●●4丁目付近なんです。 雨の日も風の日も、ガムシャラになって▲◎しました。

 

そんなある時、◎●◎公園裏の教会から流れてきた”異邦人”

に、今現在、自分自身が置かれている状況と重なり合って、立ち直らなければならないと思いました。

 

そんな私も、今では〇〇な●◎●となり、

 

”異邦人 ”を耳にする度に、当時を想い出します。」

 

 

 

異邦人 -シルクロードのテーマ-

 

 

 

♪子供たちが 空に向かい両手をひろげ
鳥や雲や夢までもつかもうとしている

 

その姿は きのうまでの何も知らない私
あなたに この指が届くと信じていた
空と大地が ふれあう彼方(かなた)
過去からの旅人を呼んでる道

 

あなたにとって私 ただの通りすがり
ちょっと ふり向いてみただけの

異邦人

市場へ行く 人の波に身体(からだ)を預け
石だたみの 街角をゆらゆらと さまよう
祈りの声 ひづめの音 歌うようなざわめき
私を置き去りに過ぎてゆく 白い朝
時間旅行が 心の傷を
なぜかしら 埋めてゆく
不思議な道

 

サヨナラだけの手紙迷い続けて書き
あとは哀しみを 持て余す

異邦人♪

 

 

 

2ndシングル25時

 

 

 

 

3rdシングル”九月の色

 

 

 

 

 

九月の色、異邦人の次に好きな曲。

 

自分の経験とオーバーラップする所が歌詞にあり、想い出深い楽曲。

横顔のジャケ写もイイ感じ。

 

 

 

♪雨の歌は 恋の歌
恋の歌は 別れの歌
口ずさめば おさえた涙が
待ちきれずに リズムをとりだした

ガラスのドア 開けたとたん
呼び出したわけが わかったわ
サヨナラを言うには お似合いね
街は小雨模様の午後

 

あやまることなんか ないわ
どうしたの? あなたらしくない
季節が変われば 人も変わる
お願いよ 黙って行って


雨の歌は 恋の歌
恋の歌は 別れの歌
無駄になった あなたの大好きな
イアリングに 九月色のしずく


一度も見せたことのない
その背中 とても広かった
ばかね 追いかければもしかして
引きとめられた愛なのに

 

水彩画のように 淡く
美しい日々が くずれてく
あなたの香りが 流れるまで
髪を濡らして歩くだけ

 

雨の歌は 恋の歌
恋の歌は 別れの歌
口ずさめば おさえた涙が
待ちきれずに リズムをとりだした

 

雨の歌は 恋の歌
恋の歌は 別れの歌
口ずさめば おさえた涙が
待ちきれずに リズムをとりだした♪

 

 

 

公開放送前に・・・♪

 

池袋のスタジオにて。

 

この後、一緒に行った友人に頼んで、

色紙にサインをして頂きました。

 

👆の写真、本当は正面でツーショットで撮影したかったけど、勇気が無くて、斜め45度からの撮影。

 

この時は、内向的な性格が災いして、

緊張して、握手もお話しも出来なかった・・・。

 

 

 

 

★☆~~回想~~☆★

 

 

スマホも無く、パソコンもまだまだ一般的では無い時代。。。

 

事前に手紙で勝手にアポ取って、ご自宅まで行きました。

 

 

訪問する以前に、何度も手紙を書いて、事務所などに送っていたとは言え、今思えば本当に迷惑な奴ですね。

 

予備情報も余り無かったけど、勘を頼りに、お約束の時間(AM10時)前には到着。

 

「ピンポーン♪」とチャイムを鳴らすとお母様が応対。

「シャワーを浴びてますので、お待ちくださいと。。。」

 

待つこと10分程度。 ゆっく~りと私の所まで、、、。

 

 

久保田「ここで良いですか?」

私「ハイ♪」と一言。

 

私。。。本当は、近くの公園で撮影したかったんだけど、当然、そんなことも言えずでした。

 

 

ご自宅前で友人に借りた一眼レフカメラでの画像。

何パターンか撮影しましたが、極度の緊張で手足が震えて仕方なかったのを、今も鮮明に覚えています。

 

 

すっぴんにサングラス、そしてラフなスタイル♪

 

画面越しに観る煌びやかな姿よりも、身近に感じられて、

素の久保田さんを感じれた時間でした。

 

 

貴重な時が、ゆっく~りと過ぎて行きました。

 

 

一方的に押しかけた?にもかかわらず、親切丁寧な

対応をして頂き、とても有難かったです。

 

👆の画像の、右手の人差し指と親指で

OKマーク♪

後に、その意味を理解しました。

 

 

その後も色々と相談の手紙や年賀状、暑中お見舞いの葉書き等を送りましたが、その返信の中で、

 

○◎君、人生には辛いことばかりでは無いと信じて頑張って下さいね.......」と、、、 

 

 

多忙な時期に、ちゃんと手紙に目を通してくれていたのは感激しました。

 

その後の人生に於いて、とても励みとなり、どんな苦難が起ころうとも、当時を思い起こせば、乗り越えられると思いました。

 

 

しかし.....

”十代、初恋、初デート、一途に愛す♥”の女性とお付き合いする事となりますが、その後~~の方が、比べ物にならない程の◎○が起こるとは、この時期には思いもよりませんでした

(´;ω;`)ウゥゥ  深い悲しみの渦に飲み込まれ・・・

 

 

 

紆余曲折ありますが、どんな状況の中でも、何時も◎◎や★☆★に護られている感覚を日々実感しています。

 

 

 

 

私にとって、久保田早紀さんの存在は、大きな心の支えとなり、人生に影響を及ぼした女性です。 今も変わらずに感謝の気持ちで一杯です。

 

567が終息したら、額に入れて、渡しそびれた写真をお渡ししたいと考えています。 (B4サイズに引き伸ばして、額に入れて飾っていた物)←3.11で額が破損。

 

 

異邦人は、当時の記憶と共に、心に沁みる一曲です。

 

 

 

   ♥《追記》♥

 

 

 

 

2019年の某日、東京新宿での自伝「ふたりの異邦人」出版記念ライブに出掛けました。

 

ライブハウスでの生演奏は本当に久し振りでした。  

 

ライブ当日は、何時ものように時間に余裕をもって新宿に到着。 ルノアールで時間調整しましたが、それでも一番乗りでした。

 

最前列で立ってライブを鑑賞しましたが、前後左右、かなりキツキツ。 

567の最中だったら、絶対に中止になっていたでしょう。

 

舞台との距離も1メートルない程で、舞台の高さもほぼフラット。

臨場感たっぷり! ライブは、この臨場感がタマリマセン。

 

年齢層も20歳位~久保田(久米)さんと同年代の方など幅広く・・・。 恐らく、教会繋がりであろう方々もチラホラ。

 

芸能活動(久保田早紀時代)の曲は異邦人だけでしたが、とても懐かしく感じました。

 

 

私の中では、音楽宣教師の久米小百合さんよりも、芸能活動をされていた頃の久保田早紀さんのイメージが大きいですからね。

 

 

ライブ終了後に、購入した本にサインをして頂き、少しお話ししたかったけど、一階まで長蛇の列だったので、またいつか、ゆっく~りとお話しできたら良いなと思いつつ、新宿を後にしました。

 

 

笑顔・感謝・絆。

 

 

心より感謝いたします。

 

 

 

ありがとうございました。