『風の中のささやき』誕生秘話 | 交心空間

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◇ 希有な脚本家の創作模様 ◇

 かなり昔のことです。二十年か、もっと前かもしれません。NHK-FMで
『魅惑のラブサウンズ』という音楽と語りの番組がありました。松坂慶子さん
の語りで優しく包み込む感じです。「癒しの先駆」といってもいいでしょう。
次のような語りで始まります。


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  SE 風。駈けてくる馬のひづめの音


語り「今、幻のように駈け抜けていったのは白い馬に乗る少女」


  音楽 始まる


語り「雪の森です。白い馬に乗って少女は駈ける。ひたすら誰も知らない明日
 に向かって。白い森の白い少女。瞳に輝く空色の意志をしっかり受け止めて
 くれる何かを求めて」


  SE 駈ける馬のひづめの音
  音楽 高まって、薄く続く


語り「行け、白い馬。ただひたすら未知の無限に向かって。走れ、ああ、暁の
 光はもう近い」


  SE 駈けていく馬のひづめの音
  音楽 終わる
                          (注)SE:効果音
                  【「魅惑のラブサウンズ」の冒頭より】
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 そのイメージがずっとこびりついていたのでしょう。ショートストーリー集
『魅惑のスケッチ』で締めくくりとする作品は、それまでの作品を彩った出来
事たちを受けた始まりにしたい、魅惑のラブサウンズのような冒頭を」と考え
ました。コンセプトは「日々起こる出来事をふと振り返ったとき、思いのほか
心に沁みる場面だった」です。「自分を見つめる時をもってほしい」との願い
を込めました。


 ──人は一瞬で変われます。


 大事なのは、そのタイミングに気づくかどうかです。最終話『風の中のささ
やき』は冒頭で「振り返り」を呼びかけ、本編で「気づきの瞬間」を表現して
います。抽象的な作品です。特に冒頭は。本編も具体性を抑えて「どんな出来
事か」ではなく、「起こってしまったことへの自分の気持ち。本心との葛藤」
にスポットをあてました。風の中に聞こえる声をもうひとりの自分に設定した
自問自答の世界です……。


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 ひとつひとつ刻まれていく時の中で、今あなたの頬をかすめて行ったのは、
あなた自身の幻影です。楽しかったことや哀しかったこと、叫びたいくらいの
悔しさや手を叩いて飛び跳ねた喜び……様々な出来事を時空という名のカンバ
スに描き残してきた今日一日、まだ乾き切らない思い出色した絵の具の香りが
時の風に運ばれて、今一度あなたに会いに来たのです。


 《 本編は省略します 》


 ここではないどこかで、今ではないいつの日か、あなたにも訪れるほんのさ
さいな出来事が、とても大事な瞬間に変わっていくかも知れません。だからこ
そ、いつでもどこでも、自分にだけは真っ直ぐな気持ちでいたいですね。


               【魅惑のスケッチ「風の中のささやき」より】
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