場から見る世界。
そこからずっと語って来たわけですが、
こんな時代にこう言う視点が、
役立って、少しでも何かが出来ないか、
それがテーマです。
危機を迎えていることは確かで、
不穏な空気が続きます。
時代はそんなサイクルに入ってしまっていて、
個人レベルで出来ることは限られます。
それでも僕が見て来た場と言うのは、
修羅場の連続、みんな土壇場でこそ、
場を必要として、場にやって来る。
ギリギリのところで何が出来るのか、
何も出来ない時に、
それでもどう構えたら良いのか。
僕が1番使う言葉は、おそらく、
大丈夫だよ、といいよ、だと思う。
それも適当に言っているのではない。
全身全霊で、命を賭けて、
大丈夫だからね、いいよいいよ、と言う。
その気配で何かが伝わらなければならない。
そんな訳でここで出来ることは、
大丈夫、を言うことだけです。
でも本当に大変だけど、
ボロボロの状況だけど、
それでも大丈夫だから。
もう一つだけお伝えします。
覚えておけばどこかでヒントになるかも。
大丈夫の根拠がどこにあるか、と言うと、
とても深いところまで行かないと見えて来ない。
それは最も大切なことで何時も書くように、
全てには意味があり、繋がりと連鎖があり、
終わりから見つめるなら、
美として完結した輝きがある、
と言うことです。
ただ、これだけではピンと来ないしょう。
実際、それを実感してもらうために、
場の中ではもうありとあらゆる方法で、
挑んでいるわけですから。
それに大変な状況にある時は、
もっと概念としても強いもの、
イメージしやすいものが必要です。
そこで、表と裏と言う見方を説明しましょう。
ただその前に一つ。
人間も世界も、極めて危うい、
微妙極まりない存在であることを、
深く認識することが大事です。
ギリギリ立っている、
ほんのちょっとの違いで、
或いは位置や場所の違いだけで、
生きも死にもする存在です。
それぐらいスレスレなところに、
みんな居る、と言うこと。
表と裏。
これを認識して、自覚していれば、
構え方も振る舞いも変わって来て、
実際の動きも変わります。
紙でも何でも良い。
物には表と裏がある。
分かりやすくする為にコインとしましょう。
表を向けて置けば、当然裏は見えない。
表を見ているとすら思わない。
見ているものが全てに見える。
これが一つ。
そして裏を向けると、
そこには全く関係のない絵が描かれている。
コインとしては一つの同じものだけど、
裏と表とでは全く違う世界が描かれている。
この2つの世界は正反対であって、
何の関わりもないけど、
実はそれが一枚のコインなのです。
希望と絶望にしても、何にしても。
幸いなことに、僕が入る場を、
奇跡だと言ってくれる人がいる。
毎回何故あんな風になるのか、と。
例えば深く悲しんだり、
絶望したり、
何も信じなくなってしまった人が、
場に来るとして、
高々1、2時間で何が出来るでしょうか。
でも、
世界も人も一瞬でひっくり返る可能性が、
秘められている。
そんなちょっとした事で、
人は生きられたり、生きられなかったりする。
更に言えば、
生きられることだけが良いとは言えないけど。
いずれにせよ、
この世は1発大逆転の世界。
表と裏では全く違う世界があるのだから。
こう言う風に見てみる、と言うのも、
コインを反対にしてみる、と言うこと。
何も変わらないのに、
見え方が変わっただけで、
世界が違うものになってしまうこともある。
とんでもないことが起きる世界。
いつどうなるかわからない。
だからこそ、素晴らしい奇跡もあるのです。
今どんな状況にあっても、
そのコインの裏には違う絵が描かれている。
良いとか悪いでは無く、
どちら側を見ているのか、
コインはどっちを向いているのか、
と言うことです。
辛くてもしんどくても、大丈夫。
確かに簡単にひっくり返すことは難しい。
出来ないかも知れない。
でもその可能性はいつでもある、
と言うことなのです。
もう駄目だ、と言う時でも、
次の可能性を見ていることは出来る。
少なくともそう言う視点を持つ時、
この世界はもっと変わって行きます。