生田神社
■祭神:稚日女尊(わかひるめのみこと)
■兵庫県神戸市中央区下山手通1-2-1
稚日女尊は「稚く瑞々しい日の女神」を意味し、天照大神の幼名とも妹とも和魂(神の優しく平和的な内面)とも言われています。
201年に神功皇后の三韓外征の帰途、神戸港で船が進まなくなったため神占を行ったところ、稚日女尊が現れ生田に祀ってほしいとの神託があったと日本書紀に伝えられています。当初は現在の新神戸駅の奥の布引山に鎮座していましたが、山崩れにより生田の森に遷されました。
現在の神戸市中央区一帯が社領であったことから神戸(かんべ)が転じて神戸(こうべ)になったと言われています。
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JR三ノ宮駅から徒歩5分ほどの場所にあります。周辺は商店街などあり賑やかです。
朱色の鮮やかな楼門をくぐって中に入ります。
まず拝殿からお参りします。
次いで脇から本殿に向かってお参りします。
樹齢五百年の年輪はすごいですね。
本殿の奥には緑豊かな生田の森が広がっています。枕草子に「森は大あらきの森、信太の森、生田の森」として登場し、源平合戦の際には1184年に平知盛を大将とする平家軍が陣を構え、一の谷から生田の森へかけて一帯が戦場となりました。
当社には「水みくじ」というものがあり、生田の森の中の池に浸すと文字が浮かび上がってきます。
社務所の前の現代アート風なつくばいです。
社務所で御朱印を頂きました。
#生田神社御朱印
こちらは神戸七福神の「弁財天」の御朱印です。
#生田神社御朱印(神戸七福神)
■祭神:稚日女尊(わかひるめのみこと)
■兵庫県神戸市中央区下山手通1-2-1
稚日女尊は「稚く瑞々しい日の女神」を意味し、天照大神の幼名とも妹とも和魂(神の優しく平和的な内面)とも言われています。
201年に神功皇后の三韓外征の帰途、神戸港で船が進まなくなったため神占を行ったところ、稚日女尊が現れ生田に祀ってほしいとの神託があったと日本書紀に伝えられています。当初は現在の新神戸駅の奥の布引山に鎮座していましたが、山崩れにより生田の森に遷されました。
現在の神戸市中央区一帯が社領であったことから神戸(かんべ)が転じて神戸(こうべ)になったと言われています。
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JR三ノ宮駅から徒歩5分ほどの場所にあります。周辺は商店街などあり賑やかです。
朱色の鮮やかな楼門をくぐって中に入ります。
まず拝殿からお参りします。
次いで脇から本殿に向かってお参りします。
樹齢五百年の年輪はすごいですね。
本殿の奥には緑豊かな生田の森が広がっています。枕草子に「森は大あらきの森、信太の森、生田の森」として登場し、源平合戦の際には1184年に平知盛を大将とする平家軍が陣を構え、一の谷から生田の森へかけて一帯が戦場となりました。
当社には「水みくじ」というものがあり、生田の森の中の池に浸すと文字が浮かび上がってきます。
社務所の前の現代アート風なつくばいです。
社務所で御朱印を頂きました。
#生田神社御朱印
こちらは神戸七福神の「弁財天」の御朱印です。
#生田神社御朱印(神戸七福神)