それも日本の坊さんが( ̄▽ ̄)
中庸って、仏教の言葉じゃないんすけどね。
本来は儒教の言葉なんで。
まあ、日本の仏教は本来の仏教からかなり逸脱して、儒教も飲み込んでしまってますしね。
だから「これは儒教の言葉ですが」って、頭につけてから中庸って言うならお坊さんも構わないかなぁと。
たまにそれすら知らずにブッダが中庸って言いましたって言っちゃってる人がいるからものすごくビックリしますけど。
あんた出家して何勉強してるの?って( ̄▽ ̄)
ブッダは中道とは言いましたけど、中庸とは言ってないっすからね( ̄▽ ̄)
中庸って、バランス良くとか、どちらにも偏らずにって意味っすな。
でも簡単に真ん中ではないって意味。
ここらへんぼやかしてるから解釈が難しくなりますが( ̄▽ ̄)
例えば、ネコがものすごく好きな人と犬がものすごく好きな人がいて、どっちがかわいいかケンカしてるとしますな。
そんな時に中庸を持ち出して、「好きすぎるから争いになる、どちらもほどほどに好きになりなさい」と言ったとします。
無理でしょ( ̄▽ ̄)(笑)
悟りを求めてる人ならともかく、普通の人はサラッサラ悟り求めてないんだから。
ほどほどに好きになれなくて、欲しくて欲しくてたまらないから戦争するんでしょ、あの国は( ̄▽ ̄)(笑)
そんな連中に中庸説いても無理でしょう。
ブッダは中道と言いました。
これは簡単に言うと視点を変えて見なさいと。
より高い視点、抽象度を上げて見なさいと。
ネコがものすごく好きな人、犬がものすごく好きな人に対して、ネコと犬を抽象度を上げて見た時に、どちらも同じ動物でしょうと。
同じく「生きているもの」を愛している同士なら種族にこだわらず仲良くしましょう、どちらが良いかで争う必要はないでしょう、愛していると言う気持ちを持つもの同士それは素晴らしい事でしょうと。
ここで心が矮小な人間なら、色々ツッコンでくるかと思いますから先に言っておきます(笑)
中庸の視点は物事に対して同じ世界で、同じ抽象度で物事を解決しようとします。
これは非常に難しいっすね。
今の世界で争ってる人達のほとんどがこれですな。
よっぽど天才でないと、同じ抽象度の世界でうまい答えは出しにくいですね。
中道は物事に対して、より高い視点から客観的に観る事によって冷静に判断しましょうと。
治療の時も同じっすね、中道の視点で観てると、全ての治療法と言われるものに「共通してる」ものに気づく。
それに気づいたからこそ、スキンドライブシステムは生まれたっす( ̄▽ ̄)
そして、身体の痛みもそう。
膝の痛み、肩の痛み、内臓、精神、普通はそれぞれ別なやり方で治療しようとしますけど、中道の視点で観ると、「共通点」が分かる。
その際にかなり抽象度高くないといけないです。
医療だけでなく、武術、科学、アートなどすら巻き込みさらに高い視点から観る必要が。
そーするとシンプルなやり方でも良い結果が出せるようになる。
シンプルだからって勉強してない訳じゃない。
むしろ死ぬほどいろんな分野を勉強するからこそ、シンプルなやり方に到達するんだと。
だから治療家なら死ぬほど勉強しろと( ̄▽ ̄)
技術「だけ」、知識「だけ」、感覚「だけ」でやってるといつか行き詰まる。
それ「だけ」出来ればで良いと思ってる奴は治療家として進化しなくなるっすな。