オメガマキナ プロローグ | SKILLARTGALLERY

オメガマキナ プロローグ


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◆作者:

登り山 泰至

◆スキルアート

小説


 数時間後に謝肉祭の開催を控え、トラキアヌの裏通りはごった返していた。
 通りを抜けるのは噎せかえるような人いきれや通りをせわしなく往来する蹄鉄の音、街々を渡り歩く楽士隊や吟遊詩人の奏でる楽の音。計算高い鋭い鷹の目のような目つきの旅商人達の談笑であった。
 人々は隣国との先の戦により、命の次に大切な家族、両親、恋人を失ったがための、ほんの束の間の厭世気分の憂さ晴らしに今夜を待ちわびたのかもしれない。この日以来、アヴェイロンの歴史の歯車が僅かに歪み出し、それが修復不可能なまでに大きく軌道を外れようとしていることにも気づかずに。

 少女はその日、十二歳の誕生日を迎えたばかりであった。彼女は今夜の謝肉祭まで獲物を待ちきれずに友人のハンス、リオン、ジェシカとともに付近の森から一頭の獲物を得て無事帰還を果たし、今日二度目の祝福の言葉を友人達から受けたのだった。
「こんなに簡単に獲物が見つかるなんて、今夜の祭りに参加する意味がないんじゃないか」
 嘯くように少年達のリーダー格のハンスがここまで担いできた背中の獲物を横目でちらと見る。
 獲物はベヒーモスの幼獣。これを丸焼きにして食すれば、美味でなおかつ栄養価にも富む。このトラキアヌの街道に軒を連ねる料理店の高級な料理の素材としてメインの皿を飾る珍品である。
 今のハンスの科白には獲物、つまり今晩のメインディッシュを得たことによる満足感が滲んでいたが、
「馬鹿ね、ハンスったら。今夜は『謝肉祭』なのよ。ハンスの言うのは『狩猟祭』……今夜のは日々の生活を支える獲物を与えられた人間が神様に感謝する祭りなの」
 とジェシカは彼の……潜在的な食への欲求が絡んだ科白を解しているかどうかはともかく……その語彙の誤りを咎める。しかし、その指摘に対して、
「でも、どっちも同じ『祝い事』に違いないんだから……」
 
「……だから? だから何? ……そんなの誰でも知ってるような常識よ……そんな事も知らないなんて、ハンス君、恥ずかしいわねえ」
 途中からジェシカは担任の女性教師であるエルトリープの口真似をする。
 
「将来はいいパパとママになれそうだ」
 と冷静を言の端にのせるリオン。その傍らでみんなに遅れて十二歳の仲間入りを果たした少女が小さく笑った。
「あ、雨、降ってきた……」
 突然の雨だった。山間に位置する辺境の天候は往々にして気まぐれを起こすのだ。
 少女の額を小さく濡らした滴は数秒後に、何万もの伴侶を連れて、家々、街道、そして少年達を濡らした。 
「やばい、土砂降りだ……お前ら、『先見の家』まで走るぞ」
『先見の家』とは少年少女達の住む『家』である。
 目的地の孤児院へはこの通りを北に抜けなければならない。そこまでの長い距離に加え、突然の激雨の襲来によって衣服が水気を含んで重みを増した分、追い立てられるように走り出した少年少女は過酷なランナーとなった。
 街道に沿って軒を連ねていた露店をたたみかける露店商や通りを急ぐ男の一人にぶつかりそうになって罵声を背に浴び、通りかかった衛兵にも「この糞ガキども」と罵られ、『先見の家』にようよう辿り着いたのは、スタートから二十分後だった。
 『先見の家』の門まで来て、リオンは少女の姿が見当たらないことをおそるおそるハンスに知らせた。
「やべえ、あいつどっかではぐれたんだ」
 リーダーの蒼白になったのは冷たい雨に体温を奪われたせいばかりではなかった。
  
 ハンス達の姿を最後に見たのは街道の往来を横切ったとき、そう、あの露店商のおじさんに捕まった時だ。あのおじさんはとっても怖い顔をしていて、きっと王宮の大臣のおじさんみたいに、私をお叱りになるんだと思ってたわ。でも、そんなことなかった。私のキンキラの首飾りや腕輪をジロジロ見て、ただニヤニヤしているだけだった。でも私、何だか怖くなってきたの。だから、ニヤニヤして何か言って近づいてくるおじさんの足元を踏んづけてやったわ。それで痛がっているときに必死で逃げたの。脇目もふらずにね。背後では姫君とか宮廷とか聞こえたんだけど、聞こえないフリをして走り続けたわ。あんまり必死に走ったのでどれだけ遠くに来たか分からなくなったの。前に見たことあるようなところなのに何にも憶い出せなかった。大人の人はいるけどみんな知らない人ばかり。私どこまで来ちゃったんだろう。こんなことならハンス達と森になんか行かなければよかった。森に行ったなんて分かったら、大臣のおじさんきっとすごく怒ると思うわ。もうお城の外に出してもらえなくなってハンス達と遊べなくなるかもしれないなんて思っていたら、急に寂しくなって、思わず泣いちゃった。雨は止まないし、知らないところまで来てしまったし、お誕生日なんて、何にもいいことないじゃない……あれ、誰か向こうから来る。真っ黒なお馬さんに乗るのは……私はその人に見覚えがあった。何度か王宮で見たことのある人。全身フード付きの黒マントで、そこからぶつぶつの顔といくつもの輝く宝石のような眼がいくつもあるぶつぶつの手足の……そう、『よげんしゃ』! あの人は確か『よげんしゃ』とそう呼ばれていたわ。だんだん近づいてくるその人……『よげんしゃ』は、どこで知ったのか私の名を呼んだ。
「アシェリ……どの……」
 
「アシェリ殿!」
 呼ばれて振り返った視線に飛び込んできたのは、振り下ろされた剣尖であった。
 それを自ら振り上げた剣で跳ね上げ、手首を翻して放った横薙ぎの一閃は、機械兵の胴を上半身と下半身に分断した。装甲が肉体の役割を担う『彼ら』からは血飛沫は浴びない。
 一瞬の浮遊感めいた感覚の後に、全身が鉛を帯びたような疲労感が襲ってきた。これまで、何十体もの機械兵を剣錆に変えてきたが、ここまできて疲労は極限を迎えた。加えて石畳を打つ槍のような雨も機兵馬ばかりか騎乗する者の体力を奪う一因となった。
「アシェリ殿、ここは一端領地外まで引き下がるのが良き策であろう」
 兜中から金髪を覗かせた若い騎士が言った。
 彼も彼の騎兵馬も戦闘による手傷を負っている。勇壮な騎士としての手腕は帝国で随一。比肩する相手とていない天賦の才に恵まれた逸材である。だが、その若い騎士も息を上げている。それ程、この戦いは過酷ものなのだ。
「ダリウス、あなたの言うとおりかもしれないわ。数では遥かに勝っていた我が軍が、私達を含むわずか六人を残すのみになるまで追いつめられるなんて」
「アシェリ殿、我々はアシュトの神に見放されたのだろうか」 
 虚空を仰いだ視線をアシェリに注ぐダリウスに次なる機械兵が襲いかかった。大剣を上段に振りかぶり、一気に振り下ろした。その全身を庇う剣を叩き折り、あまつさえ機械兵の全身をも両断した。
 しかし、息吐くまもなく次々に機械兵が背後から迫ってきた。横一閃の剣撃を鋼盾でガードし、放った突きは敵の装甲を貫き、断末魔の声を上げさせる。
 アシェリも群がる機械兵達と剣を交え、彼らを次々に剣錆へと変えていく。だが、ここまで鞭を打ってきた全身の疲労も極限に達していたものか、次第に打ち振るう剣の動きや身の俊敏さに鉛のような鈍重さが目立ってきている。
「これでは埒があかないわ。あなたが言うとおり、ここは一端……」
 最後までいい言い切ることは出来なかった。
「どうしました。アシェリ殿」
 氷の彫像のように表情を凍結させるアシェリ。その視線の先を追った若き騎士の全身も彼女と同じ運命を辿った。
「紅眼の……機神兵……」 
 果敢な姫君の口から漏れたのは、絶望そのものであった。
『紅眼の機神兵』……星辰歴二〇一二年、今から二百年前、四度目の世界戦争で混沌の君主の尖兵として、敵対する連合国の機械軍を壊滅へと導いた破滅への使者。『彼ら』の侵攻により、120日間も各国の主要都市群や街々が灰塵に帰し、数多の命が失われた。都市の壊滅後も、生命の活力源がつきるまで主の命令のままに破壊の限りを尽くしたという。
 その存在は実際に戦場で遭遇した者達を除いては、伝説や夢物語の領域を越えるものではない。
 しかし、『それ』が今、眼前に姿を現したのだ。だからアシェリ達の当惑も当然の反応といえるのだ。
「そんなバカな……あの話は単なる絵空事では……」
「じゃあ、『あれ』は一体何だっていうの? サイボハの伝承にある『赤い目の機械人』そのものではないか! それとも……私達、何か悪い夢でも見ているとでもいうのか?」
 故国ノークランドの北部の山岳都市で繁栄を誇ってきたサイボハ族。彼らの口伝はまるで未来を見てきたようにその的中率はほぼ百パーセント。そこに出てくる、『赤い目の機械人』が大いなる地球的変革をもたらす、というくだりに、ノークランドの古文書学者や研究者達は今後の戦乱の危機を感じ取り、同時にその口伝の解読にもおおいに頭を悩ませた。
『大いなる変革』とは一体? 革命? それとも物質の破壊を超越した精神的な改革? いずれにしても、その『変革』を行う行動主体が現実に存在しているのは事実である。
 予測不能の事態の出来に理解が追いつかなかった。手の込んだ大がかりな演出なのだろうか。それとも……。
 恐慌状態のアシェリ達に……
 他の機械兵とは異なる威容を誇る『それ』の一体が水飛沫を跳ね上げ向かってきた。
 漆黒の甲冑。緑青色をした装甲。それを覆う甲冑と同色の外套。その存在は他の機械兵達よりもはるかに威厳、威圧感に満ち、王者のような風格を周囲に漂わせている。
「……貴族の領地を抜けてサウスヘルムへ……ここは私が時間を稼ぐ!」 
 喘鳴のような息をせわしなく肺胞から吐き出しながら決然と睨み据える双つの碧眼が動揺を示して震える。その眼線の先では、漆黒の機械兵が歩み寄ってくる。
 邪魔だとばかりに、その歩みの阻害となったニ体の機械兵どもを冷然と刃の露と変えても、その歩みに何の罪悪感も湧かない。
 未だ逃走の意志のない主君を叱咤するように若騎士が叫ぶ中、
「アシェリ殿! ここは一端引きましょう……ダリウス……アシェリ殿の御命、私が預かろう!」
 アシェリは侍従のリリザに促されるまま、騎兵馬の握りしめた手綱に力を加えた。
「ダリウス!」
 馬上の人となった主君にダリウスは決然とした面持ちで、
「さあ、躊躇は要りませぬ! 急がれよ!」
 と言い放つ。
 馬首を巡らせ、疾走を開始しようとする馬上で振り返り、
「死ぬな……我が帝国最愛の騎士よ」
 それが、どもに幾多の戦場を駆け抜けてきた戦友に送る最後の訣別の言葉であった。
 疾り去る馬上の主君を見遣りながら、
「お褒めの御言葉、ありがたく頂戴する」
(御主君よ、帝国中に響かせた『碧眼の隼』の名に恥じぬよう、この命の灯、霊峰ミネアの雪火のごとく散らせてみせよう……)
 瞑目し、上方に掲げ右後方に降り下ろす大剣に『碧眼の隼』は精神力の全てを注ぎ込んだのと、漆黒の機械兵士も剣を抜き放ったのとほぼ同時であった。
 


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