第02話-1 Vampire House | SJペンピクは過去の話…現在、育児中

第02話-1 Vampire House

ゴン!



いつの間にか寝てしまったようだ。ジョンスは突然の大きな音にぱっと目を開いた。とにかく家の中が暗くて時間がどれくらい経ったのかわからなかった。携帯電話で時間を確認するともうすっかり夜中だった。こんなに長い間寝ていたんだろうか?びっくりしたジョンスは凝った肩を片手で揉みほぐして体を起こした。そしてまだ荷物を整理しないまま部屋の端っこに置きっぱなしになっているスーツケースに向かった。蝋燭はすでに燃え尽きてからかなり時間がたっていた。暗闇に目が慣れるとやっと物の区別がつくようになった。とはいえ不便だった。いいように考えれば蛍光灯のない生活も面白いだろうと考えたがジョンスも他ならぬ現代人だった。結局は耐えられずヒチョルに懐中電灯でも借りようと一階に下りて行った。




 暗い階段はジョンスの存在など無視するように蝋燭が全て消されていた。壁づたいにゆっくり気をつけて下りていくと足音すらしなかった。暗闇の中で見る絵はたいしてきれいなものではなかった。薄暗い中で強烈な色彩を放つ風景画はわびしいこと極まりなかった。うっかりぶつかってしまった肖像画の女性は目から光を発してジョンスを脅かしているかのようだった。ぞっとして体をブルブル震わせて一階にたどり着こうとした時、玄関の扉を開けて入ってくる黒い物体が目に入った。あれは何だ?びっくりしてその物体を見ても全くなんだかわからなかった。ジョンスは急に恐怖に襲われてその場から動けなくなってしまった。そのまま頭が真っ白になって立ち尽くすとその物体も動きを止めて音がする方に振り返った。するとジョンスは暗闇の中でもはっきりと認識することができた。ギョロギョロ動く目が二つ。



「………!!


 

 声をあげる前にその物体はすっと近寄ってきて片手でジョンスの首をわし掴みにした。とんでもない握力だった。首を絞められて悲鳴すら上げられず、そいつの顔をはっきり見ようとしたが、視界の隅にわずかに開いた玄関の扉から外が見えるだけだった。家の中にかすかに差しこむ蒼い月の光。その月の光に照らされてやっと自分を攻撃する物体が何なのか確認できた。それはがっしりした男だった。頭のてっぺんからつま先まで全部真っ黒な図体のでかい男。ショックと同時に息が詰まって苦しくなり、ジョンスは息を吐くことも吸うこともできないまま指だけプルプルと振るわせた。男が手に少しでも力を加えたらそのまま首の骨がぽきっと折れて頭が床に落ちてしまいそうだった。



 ジョンスは顔で苦痛を訴えた。酸素不足でしびれて真っ赤から真っ青に変わっていた。今しが

たの騒音も泥棒が壁をよじ登っているときの音だったようだ。都会を恐怖に陥れた連続殺人事件の犯人がここにもやってきたのだろうか。主人のヒチョルもきっと寝ているだろう。自分のように無駄死にするかもしれない。いや、もしかしたらもう殺されているかもしれない。


「ニャオーン…」



 ジョンスが身動きできず彼の手で殺められようとしている時、どこからか飛び出してきた灰色の猫が毛を逆立てて長く鳴いた。ヒチョルの飼っている猫だった。すると男は焦って急に手を離した。ジョンスは床にばたっと倒れこみ、やっとのことで呼吸をすると全身がブルブルと震えてきた。男は息の荒いジョンスを上からじっと見下ろすだけだった。ジョンスが震えていたのは息が苦しかったせいでも恐怖のせいでもあった。



「た…助けてください…お願いします…」



 しかし男は何もせずジョンスはぱったりと床に倒れこんで苦しそうに呻き声をあげた。それからゆっくりと顔を上げた。男の顔は扉の隙間から月光が差し込んでいるのに天井のシャンデリアの影が絶妙に顔を隠してよく見えなかった。野生動物のように暗闇の中で目だけギラギラ光っているのだが、それが更に身の毛をよだたせた。ほどなくジョンスは男が肩にとても長い剣の鞘をぶら下げているのに気がついた。そして彼の片手に握られた剣…ジョンスは視線を鞘から剣の先に移した。鋭利な刃の先にぽたぽたと滴り落ちる血…月の光を受けて輝く刃の上をつたって赤黒い血のしずくが床にポタッと落ちた。殺人鬼。不吉な予感が当たった。



「泥棒だ!!!!!!


 ジョンスはもうどうにでもなれと大声で叫んだ。



 そして意識を失ってしまった。



「気がつきましたか。」



 火花のように眩しい光に目がちかちかした。また目を閉じて何回か瞬きをすると疲れた瞳の上に丸いライトが見えた。そしてジョンスはさっき聞こえた声がヒチョルだと気がついた。ヒチョルがにゅっと顔を出してジョンスを見下ろした。濃い灰色の瞳に青白い唇。蜜蝋のような白い肌。まるで歌舞伎人形のような顔を見てジョンスは助かったんだと実感してえんえん泣き始めた。



「う…うえーん…」



 寝たままだったので涙が耳の穴に入った。ひとしきり大泣きするとベッドから起きあがった。起きてみると目に映ったのは自分の部屋だった。白いシーツはうなされている間に握ったせいでぐしゃぐしゃにしわが寄っていた。ところがライトが明るく照っていた。




「ライト…」

「電灯をつけときました。こいつが昨日つけたっていうから…今日になってやったんだな」



 ヒチョルが指差した方を見ると、ジョンスはB級ホラー映画の主人公みたいにまたもや悲鳴をあげてベッドから跳ね上がった。暗闇で光っていた瞳。ジョンスの首を絞めた男だ。



「ヒ、ヒチョルさん。あの人!!」


「もう、落ち着いて!悪い人じゃないから!」



 男はロッキングチェアに座って壁をじっと見つめていた。イスの横にやや斜めに立てかけられた彼の剣をみてジョンスはさっきの状況を思い返してブルブル震えた。



「紹介します。こちらはカンイン。僕の友人」


 ヒチョルはぎっしりと指輪がはめられた指でカンインという名前の男を指差した。ジョンスは半分上の空で少し緊張が解けたのか素直にヒチョルの話を聞いた。



「それと、こちらは今日からうちの家に下宿することになったパク・ジョンス」



 カンインは納得いかないという表情で仕方なくジョンスの方を向いた。冷たい視線を全身に浴びてジョンスはヒックとをしゃっくりをしてしまった。磨かれていない原石のように、どこも矯正されていない野獣のような男だった。その印象は新鮮というよりも、とても厳しく鋭いとしかいいようがなかった。彼が家の中に足を踏み入れた時の鋭敏な身のこなしから感じた野獣のイメージ。それがまさにカンインに一番ぴったりくる表現だった。ジョンスは今まで生きてきてこんな威圧的な存在に遭遇したことはなかった。彼は大きな体の割には俊敏で生まれながらの戦士というようだった。しかも目から狂っているかのように殺気があふれ出んばかりだった。ずっとジョンスは驚いてしゃっくりをしていた。肩を動かす度にカンインが自分を直視して監視されているようだった。よく見ると彼の瞳もやはりヒチョルと同じ灰色をしていた。もしかしたらこの家の人達はみんな目の病気にかかっているのではないか。そんなどうでもよい想像をしながらも言葉にできない恐怖に襲われていた。


 

「ヒ、ヒチョルさん…あの剣ですが…」

「大丈夫だってば」



 ヒチョルはカンインの横に立てかけてある剣を抜いてジョンスの目の前で見せてやった。鋭利な刃の先についている真っ赤な物体から嫌な臭いがした。目の前に差し出された剣にびっくりしてまた飛び上がった。



「ほら、ただのペンキだよ。それとこれは剣じゃなくて小道具だから」



 まさに彼の言う通り、それは鞘と柄だけ本物で誰かを切り刻むには刃が鈍かった。よく見ると光を反射するものの殺傷する力は備えていないものだった。だとしたらなんでそんなものを持って帰ってきたのだろうか、ジョンスはなんだか腑に落ちない気持ちを隠すことができなかった。



「カンインは映画専門のスタントマンです。撮影を終えて夜遅く帰ってきたんだけど…ジョンスさんがちょうど下りてきた時に出くわして泥棒だって驚いて…彼も彼なりに知らない人が家にいるから反射的につかみかかったみたいだね。もう大丈夫でしょ?」


ヒチョルが付け加えた。


 彼の説明に納得できない点はなかった。なんてこった、スタントマンだなんて!泥棒に見間違われたカンインは怒ってヒチョルとジョンスをじろっと睨んだ。ヒチョルはわざとすっとぼけていて、ジョンスは何か言わなきゃと慌てた。



「誤解してすみませんでした」



 と、謝った。しかし、返ってくる言葉はなかった。ただ、彼は固く閉ざされた窓の向こうに何かが見えるようにただぼんやりと窓枠を見つめていた。ジョンスはシーツを握ったり離したりしてまた目をキョロキョロさせてカンインを上から下まで観察した。彼は鼻筋が通っていて真一文字に固く口を閉じていた。鋭い目つきは全てを燃やし尽くそうというように力強く一点を見つめていた。顔つきは堅実な社長というタイプではなく波乱万丈で起伏のある人生を求めて生きてきたヤクザのように見えた。彼もやはりヒチョルと同じく黒い服を着ていたがコスプレ風の派手な衣装ではなく、なんてことないただの黒い安っぽいTシャツを着ていた。柔和なタイプのヒチョルの友人とは信じがたいほど無愛想な男だった。



「あの人がもしかして家族ですか...?」


 ジョンスはやや恐縮してヒチョルに言った。



 ヒチョルは何も言わず頷いた。そうともしらず泥棒扱いをしたなんて。自分の見間違いだ。ジョンスは何もしないうちから家の主人に恨みをかったということだ。今からでもイメージアップを図ろうとカンインに作り笑いを向けてみた。どうせ何のリアクションもないだろうと思っていたが。



「ガリガリで気持ち悪いな」


「はい?」



 彼はジョンスを上から下までなめるように観察してぼそっと一言発した。それがカンインがジョンスに言った最初の一言だった。するとヒチョルが舌打ちをして口を開いた。



「そうだな。もうちょっと丈夫なのが来ると思ってたんだけどな」


 下宿する人間の身体条件について不満を言う二人。なんでだろう。疑問に思う前にだしぬけにカンインがヒチョルに言った。



「返品しちゃえよ」

「なに?」

「へ?」



 ヒチョルとジョンスが同時にカンインの方を向いて目を大きく見開いた。しかしカンインは彼らの言葉をさえぎった。彼はすっと近寄ってまた首を絞めようかと威嚇するような声でジョンスに囁いた。



「すぐにこの家から出てけ」

「あ、あの」



 ジョンスではなくヒチョルが怒り出した。



「急になんでだよ。全部さっき説明したじゃんか、どうしようもなかったんだってば!」

「俺を裏切ろうってのか」

「おい、裏切るわけじゃないって…下宿をとろうっていうだけでおまえが嫌がりそうだから言わなかったんだよ」


「バカじゃないんだから、普通は外の人間を家にいれるなんてことしないだろ」


 ということは家族の同意なしに自分勝手に下宿をとったということか?ジョンスが口を開くとヒチョルがジョンスの視線を避けてカンインに詰め寄った。



「そう言わず人の話も聞けよ。おまえもわかってると思うけどうちは今とんでもないことになってるじゃないか。下宿を一人とったくらいで何も変わらないじゃないか。どうせお前は家にたいしていないし、一緒に何かするようなこともないじゃないか」


「いつからそんなに警戒しなくなったんだ?」


「大丈夫だってば。ヤバイ人間だったらカルミラが前もってそう言っただろうし」



「いつかお前のその浅はかな考えのせいで全員大変な目に遭うぜ」

「俺をバカにしてるのか?」

「うるせぇ!早く追い出すなりなんなりしろ」

「嫌だね!もう金も全部受け取ったんだ!」


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