今年も残すところあと僅かですね。
今年は文字通りの大変な一年でした。
自分がと言うよりは日本中が、と言った趣ですが。
新婚生活も軌道に乗り始めたかと思った頃に訪れた大震災。
今もたまに鮮明な記憶と共にあの日のことを思い出します。
当日は仕事の後にホテルを予約して楽しみにしていました。
当然ながら宿泊は叶わず、妻を迎えに大渋滞の中をさまようことに。
そして深夜、家に辿りついた自分の目に飛び込んできたのは、
地元、気仙沼市が津波に加え火の海にまで呑み込まれていく映像でした。
思考回路が追いつかずただ唖然とTVを眺めていたのを覚えています。
その後親族と連絡がつくまでの約1週間はホントにしんどかった・・
仕事自体が相当混乱していたのですが、それどころではなかったですね。
あまりにも大きい災害、被害、人災。
その後はひたすらに自問自答の日々でした。
その中で葛藤を繰り返しながら少しずつ、少しずつ歩みました。
同じようにできる事を探していたRe:us気仙沼との出会い。
GW、漸く地元に帰って感じたあの衝撃、ボランティア、避難所ライブ。
そこから繋がり繋がって出会った気仙沼バンド、フライキ。
フライキでの活動を通じて出会った気仙沼ミュージシャン。
正直、地元にあんなにミュージシャンがいたなんて全く知りませんでした。
いないもんだと勝手に思い込んでました。あまりに狭かったですね。
震災がなければ一生出逢えなかった可能性も高いと思います。
縁が縁を繋いだ不思議な出逢いでした。
今年できた人との繋がり。それだけは本当に感謝しています。
ただ正直なところ今ここに至っても、どこか胸に何かつっかえたような感覚が消えておらず、それも致し方ないのかなと思っております。
街も人も、まだまだあの日の傷痕が消えはしないでしょう。
・・まぁ俺なんぞが言えた話ではないんですが。
ただ、俺などのように被害が小さい人々にも精神的な部分とかで心労が蓄積され、結果多大な負担から徐々に身体などへ影響が出てきています。
先日、自分の母親も原因不明の猛烈な頭痛に突如襲われ倒れたそうで、
病院で調べても原因は解らなかったそうです。
命には別状なかったそうで何よりでした。
周りにそういった心境、環境に身を置く人がいらっしゃる場合はこまめに気を配ってあげて頂ければと思います。
そんな辛い現状が続く中でも、今年出逢った人達との触れ合いはとても心の支えとなりました。
特にフライキを通じての活動は貴重な経験でした。
同じ気仙沼を愛するメンバーとの繋がりがあるせいなのか、
俺にしては非常に珍しく、すっとバンドに溶け込む事ができました。
色々なイベントにも出させて頂き、いつのまにかベースからアコギになっていたりと、練習が少ない割りにはバンド自体も色んな成長や変化が目に見え楽しい限りです。
今年ラストとなった先日の気仙沼での茶色い小瓶という喫茶店でのライブでは、
まったくライブの環境の整っていない中での手作り感溢れるものとなり、
結果として文字通りアットホームなライブが出来ました。
当日の模様はこんな感じでした
http://www.youtube.com/watch?v=S5NCvtrx-oc&feature=player_embedded
お客さんの手拍子がとても有難く心地好かったです。
個人的に演奏とコーラスが気持ち好かった『空へ』
http://www.youtube.com/watch?v=CvsxOSbuCoE&feature=related
こんなウーアーコーラスが何の気なしに出来るのが小さな夢だったんです
どちらも前半は自分、中盤は加藤プロのギターソロって感じで分かれております。
魂はどこどこまでも音へと篭り伝わる
自分もそんな影響力のあるアーティストで在りたいものです。
長くなりましたが、ずっと俺は元気です。
ちっちゃなことにすぐ凹んだりするけど、何があっても潰れるって事はないと思うから、最終的にそう思ってます。
だからこれからもやれることを探して少しずつ前に進んでいきたいと思います。
せめてちっぽけでも自分の周りくらい守れるように。
皆さんもどうかお元気で。
どうかよいお年を^^
今年は文字通りの大変な一年でした。
自分がと言うよりは日本中が、と言った趣ですが。
新婚生活も軌道に乗り始めたかと思った頃に訪れた大震災。
今もたまに鮮明な記憶と共にあの日のことを思い出します。
当日は仕事の後にホテルを予約して楽しみにしていました。
当然ながら宿泊は叶わず、妻を迎えに大渋滞の中をさまようことに。
そして深夜、家に辿りついた自分の目に飛び込んできたのは、
地元、気仙沼市が津波に加え火の海にまで呑み込まれていく映像でした。
思考回路が追いつかずただ唖然とTVを眺めていたのを覚えています。
その後親族と連絡がつくまでの約1週間はホントにしんどかった・・
仕事自体が相当混乱していたのですが、それどころではなかったですね。
あまりにも大きい災害、被害、人災。
その後はひたすらに自問自答の日々でした。
その中で葛藤を繰り返しながら少しずつ、少しずつ歩みました。
同じようにできる事を探していたRe:us気仙沼との出会い。
GW、漸く地元に帰って感じたあの衝撃、ボランティア、避難所ライブ。
そこから繋がり繋がって出会った気仙沼バンド、フライキ。
フライキでの活動を通じて出会った気仙沼ミュージシャン。
正直、地元にあんなにミュージシャンがいたなんて全く知りませんでした。
いないもんだと勝手に思い込んでました。あまりに狭かったですね。
震災がなければ一生出逢えなかった可能性も高いと思います。
縁が縁を繋いだ不思議な出逢いでした。
今年できた人との繋がり。それだけは本当に感謝しています。
ただ正直なところ今ここに至っても、どこか胸に何かつっかえたような感覚が消えておらず、それも致し方ないのかなと思っております。
街も人も、まだまだあの日の傷痕が消えはしないでしょう。
・・まぁ俺なんぞが言えた話ではないんですが。
ただ、俺などのように被害が小さい人々にも精神的な部分とかで心労が蓄積され、結果多大な負担から徐々に身体などへ影響が出てきています。
先日、自分の母親も原因不明の猛烈な頭痛に突如襲われ倒れたそうで、
病院で調べても原因は解らなかったそうです。
命には別状なかったそうで何よりでした。
周りにそういった心境、環境に身を置く人がいらっしゃる場合はこまめに気を配ってあげて頂ければと思います。
そんな辛い現状が続く中でも、今年出逢った人達との触れ合いはとても心の支えとなりました。
特にフライキを通じての活動は貴重な経験でした。
同じ気仙沼を愛するメンバーとの繋がりがあるせいなのか、
俺にしては非常に珍しく、すっとバンドに溶け込む事ができました。
色々なイベントにも出させて頂き、いつのまにかベースからアコギになっていたりと、練習が少ない割りにはバンド自体も色んな成長や変化が目に見え楽しい限りです。
今年ラストとなった先日の気仙沼での茶色い小瓶という喫茶店でのライブでは、
まったくライブの環境の整っていない中での手作り感溢れるものとなり、
結果として文字通りアットホームなライブが出来ました。
当日の模様はこんな感じでした
http://www.youtube.com/watch?v=S5NCvtrx-oc&feature=player_embedded
お客さんの手拍子がとても有難く心地好かったです。
個人的に演奏とコーラスが気持ち好かった『空へ』
http://www.youtube.com/watch?v=CvsxOSbuCoE&feature=related
こんなウーアーコーラスが何の気なしに出来るのが小さな夢だったんです
どちらも前半は自分、中盤は加藤プロのギターソロって感じで分かれております。
魂はどこどこまでも音へと篭り伝わる
自分もそんな影響力のあるアーティストで在りたいものです。
長くなりましたが、ずっと俺は元気です。
ちっちゃなことにすぐ凹んだりするけど、何があっても潰れるって事はないと思うから、最終的にそう思ってます。
だからこれからもやれることを探して少しずつ前に進んでいきたいと思います。
せめてちっぽけでも自分の周りくらい守れるように。
皆さんもどうかお元気で。
どうかよいお年を^^