ずいぶんご無沙汰していました。震災以来、気がめいってしまって、ブログの更新
ができませんでした。でも関西に住んでいる僕が、いつまでもめいってしまってもと
思い、久しぶりに更新することとなりました。
さて、前回(ずいぶん前のことですが)の答えは皆さんもご推察のとおり小田原で
す。あまりにも簡単すぎたかもしれませんね。
小田原は言わずと知れた、江戸時代大久保家が治める城下町です。当然、駅からも良く見える天守を中心とした本丸周辺に目が行きがちですが、市内にはあちらこちらに城の遺構が残っています。
また天守を中心とする本丸は江戸時代のものですが、戦国時代に小田原を拠点とした北條早雲を初代とする後北條氏ゆかりの遺構も数多く現存しています。
今回はそんな後北條氏ゆかりの戦国時代の小田原を紹介します。
スタートは小田原駅西口です。こちらには↓の早雲公の銅像が迎えてくれていま
す。(タクシー乗り場にあるので近寄って見ることはできにくいですけど。)
ここから西北に向かうとあちらこちらに土塁が存在しています。
その中でも最大かつ有名なのが、↓の小峯の大堀切です。(ノ゚ο゚)ノ
この堀切は掘底に立った時の、土塁の高さと急勾配が見ものです。
(写真ではなかなかその巨大さがわかりくにですが)
さらに掘底は歩くことができますので、歩いて上を見ると身もすくむほどの圧迫感
を感じます。このような堀切が戦国時代、北條氏の時代には小田原の町をぐるりと
囲んでいたそうです。
大軍で攻めてきた武田氏や上杉氏も撤退せざるをえなかった鉄壁の守りがよくわかります。
駅前からはかなり遠いですが、見応え充分な遺構だと思います。
ここから天守に向かうと、ちょうど戦国時代から江戸時代の小田原へと向かうこと
となります。
JRと天守をはさんだ高台にあるのが↓の八幡山古曲輪です。Σ(゚д゚;)
一見何の変哲もないただの高台ですが(実際何もないんですが)、ここは戦国時代、北條氏の本丸があったと推定されている場所です。頂上まで登ると見晴らしがよく、攻め寄せてくる敵がよく見え、守るにはもってこいの場所だと感じられました。
次回は江戸時代の小田原城を見て行きます。
なお↓は八幡山古曲輪からみた小田原城天守です。