虚夢想家 | ニワトリ島のチキン野郎 機械な物語

虚夢想家

そんな楽しいことばかりでなく悲しいこともあった昨日。

長崎から祖父母一同が来てリビングで束の間の家族の団らんを楽しんでいた折、

つけていたニュースの速報で忌野清志郎先生の訃報が伝えられた。

周りに皆いたけど思わず「えぇ!」と声を上げてしまった。

少し前に様態が悪化したというニュースがあっていよいよなのかな

と思い覚悟はしていたのだがやはりキツいな。

おれはロックに造詣が深いわけではないので実際のところ彼の凄さというのを十分に分かっていないのかもしれない。

しかし黒人音楽の全てがそうであるように彼の音楽もまたレベルミュージックで

HIPHOPリスナーとして聴いてもあれほどの反骨精神には敬服せざるを得ない。

現におれが忌野清志郎という人物に興味を持ったのは

ライムスターとやった『雨上がりの夜空に』のリメイクで

ライムスター以外にもHIPHOP畑からのプロップスは厚い。

DJ OASISYOU THE ROCK★ライムスターDABOKIN DA SHER ROCK
DOSMOCCOSTAK THE CODONAJAYERDJ 2 HIGHSEEDAJUSWANNADJ TAIKI
(恐れ多くも敬称略)

午前7時現在、おれが見つけられるだけでもHIPHOP畑からのR.I.P.はこれだけある。

ジェームスブラウン閣下が亡くなった時もこれくらいあったっけ。

もうレジェンドの一人と言っても過言ではないくらい。



最近、おれが耳にするロックはお洒落だったり軟弱なものだったりと

元のロックとは随分かけ離れたものになってしまっている印象がある。

まぁそういうのは嫌いじゃないしなんちゃって臭がせず質さえ良ければ

むしろあるだけお御馳走になりたいくらいなのだが

忌野清志郎先生はあくまでも自分の好きだったロックでありつづけようとし

それが良い意味で古臭くて哀愁があって心を揺さぶる。


反政府的な歌詞も多く色々発禁になったりネットでは一部の人間から反日と叩かれたりもしているようだ。

これは他の社会派アーティストにも言えることだが

彼らはよりよい国家にしたいから現在の国を否定しているのであって

それを反日と批判してしまうのはあまりにも短絡的すぎる。

人間もそうだが自己を肯定するばかりでは善い人間にはなれない。

自らを肯定するために否定をするのだ。

それをしないあるいはしようとしない人間が他者を否定するなぞ言語道断。

そういうヤツは自分の爪楊枝ちんちんでも眺めていきり勃ってろ。


また否定のし過ぎではないかという意見もあるかもしれないが

戦勝国というだけで植民地支配など過去の過ちを否定しないアメリカや欧州列国に追従する現在の日本は否定をしたふりで何も得ていない。

まずは自らの非を認め彼ら(もちろん軍事国家全て)にも同じようなことを問う、それが日本の役目ではないだろうか



とか言って途中から清志郎先生とは全く関係ない話になってしまったな。

でも2ちゃんでは「メシウマ不謹慎祭り」かと思ったら思いのほか追悼ムードだったので見直した。

ちなみにあまり自己否定しすぎると

もれなくおれみたいな虚無ニートが出来上がるので注意が必要。



忌野清志郎、筑紫哲也、鳥越俊太郎(敬称略)

この三人は考え方とかがなんだか似てるような気がするのだけれど

ガンということも共通してるんだよな。

鳥越さんは現在進行形で闘ってる。

清志郎先生と筑紫さんが天に召された現在、

もう彼一人だから鳥越さんには日本のためにも頑張って欲しい。



そういえばネットで

「清志郎のことだからあの世でコンサートでもしてるんじゃないかな」

というようなコメントがあった。

おれは死後の世界というものを信じてはいないし

人が死ぬ度に天国の話を持ち出す人間は嫌いだけれど

これはあながちあり得ないことでもないなぁと妙に感心してしまった。



忌野清志郎先生はもう永遠に目覚めることのないデイドリームビリーバー。

彼は今どんな夢を見ているのだろう。





おわり。。。