泥棒猫♀ | ニワトリ島のチキン野郎 機械な物語

泥棒猫♀

オス、おらニート

今日はエイプリルフールってことで巷は嘘で溢れかえっておったのだろうけれども

悲しいかな、おれは嘘をつきたくてもつく相手がいない。


今気づいたのだけれども嘘をついて良い日に馬鹿正直に嘘をついても

それは嘘として成立しないのではないかと思ったのだが如何だろうか。

とすると嘘をついても良い日に嘘をついても嘘にはならないから

本当はエイプリルフール自体が嘘なんじゃね?っていう

我々が思っているよりもっと壮大な嘘がこの日には隠されているのだろうか。

でも嘘をついても良いってだけで皆が皆嘘をつくわけではないから嘘として成立するのか。



嘘と言えばおれみたく長年街の正直者として通っていると嘘をついて騙そうとしてくる輩がよくいる。

ついた後にすぐネタバラしをしてくれればコチラとしても笑い話として終われるのだが

随分経ってからそれが嘘だと知った時は

もう取り返しのつかないほど色んな人に言いふらしているので

自分が嘘をついたみたいで罪悪感に嘖まれてしまう。


という風に嘘をついていたとしても本人はそれを嘘と知らない場合がある。

例えばおれみたくTVや他人から聴いた耳寄りな情報を

次の日には恰(あたか)も自分の知識のようにひけらかす人間は

もしそれが嘘だったとしても本人は真実を語っているつもりなのだ。


こういうのは日常に溢れていて普段は誠実な人が

宇宙人を見たとか幽霊を見たとか突拍子もないことを言っても

殆どの人は嘘つきのレッテルを貼るのだが本人は至って真面目なので

それだけで泥棒の始まりとしてしまうのはあまりにも短絡的だと思う。



あと嘘ってバレなければ嘘にならないとよく言うけどまさにその通りで

もしおれがネット上で

おれはオタク、ヒキコモリ、ニートの三拍子が揃っていてさらに低学歴の特典まで付いている生粋のクズだ

と俄には信じられないようなことを言ったとき本当に嘘かどうかは本人を知る者しか分からない。

もしかすると女性には事欠かないイケメンで日本でも五本の指に入る名門の大学に通っているエリートかもしれない。

いや、本当は男ですらなく花も羨むほどの美少女という可能性だってある。

そんで幼稚園の頃からお嬢様学校に通ってて

高校の時にはロザリオを渡し渡されするほどのスール関係にあったお姉様ないし妹がいたかもしれない。

しかも、その学校には山百合会という生徒会があって

3年の頃にはロサ・キネンシスと呼ばれて生徒達から一目置かれていた可能性だって無きにしも非ず。



途中から話が願望に変わった節があるが

どちらにせよ真実が分からないかぎり嘘は嘘として成立しない。

だから、それを受け取った人間は己の欲望の赴くままに解釈すればよい。

シュレーディンガーの猫のようなことになるのか。


とは言ってもそれが嘘であると知った時は計り知れない絶望感に襲われるので要注意。

今しがたもこの記事を書くのと並行して百合画像スレを物色していたら

以前ネットで拾ってPCにも保存した自分の中でもお気に入りだった画像が

女装だと知ったためしばし放心状態に陥った。

嘘はおれの純粋な心を盗んで行く悪いヤツなのだ。

カリオストロのルパンみたく素敵な紳士なら良いのだが。。。

でも、あの時この画像を貼った人間は恐らくおれと同じように女装とは知らなかったのだろう。

だから彼を責めまい。

彼もまた善意からした行動が結果的に嘘に変わったに過ぎない。



詰まるところおれが何を言いたいのかというと

おれは断じて嘘つきじゃないということだ。

結果的に嘘の媒介者になってしまっていることは否めないが

嘘をついて相手を陥れようなんてそんな気はさらさらないのだ。

笑いをとる時には虚飾を鏤(ちりば)めて少し大げさに言ったりするが

それはみんなの笑顔が見たいがためで(←やっぱこれは嘘、本当は注目されたいから)

自分で自分に嘘をつくのは口が裂けても無理。




ここでネタバラしをすると(まぁ敢えてする必要もないと思うが)

冒頭の「オス、おらニート」がUSOの反対

まさに真実。




とまぁこれも嘘なのだが




ってこれってどれ?





おわり。。。