武将の銅像めぐり、本多忠勝の銅像です。
人物名 | 銅像設置場所 | 住所 |
---|---|---|
本多忠勝 | 行徳橋 | 千葉県夷隅郡大多喜町新丁 |
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本多忠勝の銅像は夷隅川に架かる行徳橋の城内側と城外側に二体あります。
駐車場はありません。
駐車場はありません。
橋のある地・大多喜は本多忠勝の居城でした。
豊臣秀吉の小田原征伐の後、北条氏の領地へ移った徳川家康は徳川四天王の一人・本多忠勝に上総十万石を与え、忠勝は大多喜に城を構えました。
以降、1617年に本多政朝が移封となるまで、三代に渡り大多喜を居城としました。
本多忠勝
家康に過ぎたるものが二つあり、唐の頭に本多平八。と賞された本多(平八郎)忠勝は、生涯の合戦は五十七回におよぶものの、傷を一つも負ったことが無いという剛の者でした。
彼の持つ名槍・蜻蛉切(とんぼきり)はあまりに鋭く、槍にとまった蜻蛉が真っ二つに割れたといいます。
鹿角の大きな脇立が付いた兜は有名ですよね。
敵を弔うために肩から大きな数珠を掛けて戦場に臨んだと言います。
城内側の本多忠勝の銅像を見たら、橋を渡って川の向こう側へ
橋の欄干には本多忠勝の居城・大多喜城のレリーフ。
格子は‘矢’になってます。
格子は‘矢’になってます。
後ろ(城内側)を振り向くと、大多喜城が見えました
ありました本多忠勝の銅像です。
この銅像は立ち姿です。
この銅像は立ち姿です。
正面から。
采配揮ってます。
采配揮ってます。
アップ。
忠勝怒ってます゛(`ヘ´#)
忠勝怒ってます゛(`ヘ´#)
後ろ姿。
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