城めぐり | 三春城!伊達政宗の妻愛姫の故郷、田村家の居城!江戸時代は秋田家の城 | 地図付き | 武るるん♪ 武将と城の旅。時々観光とグルメ(地図付き)
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お城めぐりの旅、三春城の紹介です。

城名(別名)住所関連する人物
三春城(舞鶴城)福島県田村郡三春町字大町坂上田村麻呂、田村義顕、田村清顕、田村氏、伊達政宗、蒲生氏郷、上杉景勝、加藤嘉明、加藤明利、松下長綱、秋田俊季
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三春城は三春町の中心からほど近く、現在は城山公園として整備されています。
小高い山ですが、車で上まで登れるので楽ちんです(^-^)/
くるまr山を登れば駐車場があります。

16世紀始めに田村義顕が守山城から移り住み、田村氏の本城としました。
田村氏は平安時代の征夷大将軍・坂上田村麻呂の子孫といわれています。

以降田村氏の支配が続き、
義顕の孫の代の田村清顕は娘の愛姫(めごひめ)を伊達政宗へと嫁がせ、実質伊達家の家臣団となり躍進を遂げます。
しかし、1590年、田村氏は豊臣秀吉の小田原征伐に参陣しなかったために改易。

三春城は会津に入った蒲生氏郷(がもううじさと)の領地となりました。

1598年、上杉景勝の会津入封にともない上杉領に。

関ヶ原の後、上杉は転封となり、1601年には再び蒲生領となります。

1627年、加藤嘉明の会津入封にともない加藤領となり、嘉明の三男・加藤明利が3万石を分与されて入城します。
これにより三春藩が成立しました。

1628年、松下長綱が入城。
長綱の時代に城は改修され、近世城郭へと生まれ変わりました。

1645年、秋田俊季が入城。
以降秋田氏が明治まで支配しました。

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三春城全景。歴史資料館より。
標高407mの山頂部に城郭はあります。



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山頂付近まではクルマで行けます。
その間も所々石垣を見る事ができます。



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二の門跡付近には『愛姫生誕の碑』があります。



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本丸(左)と二の丸(右)。
本丸には多数の石垣が見られます。
おそらく松下氏の時代のものでしょう。



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二の丸。
段々になってます。



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二の丸。



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本丸への道。
つづら折りがステキラブラブ



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本丸。



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本丸の石垣。
こういう感じの残り方好きです。



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本丸から少し降りたところには矢倉跡があり、比較的良好に石垣が残っています。



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矢倉跡石垣、別角度から。
三春城一番の見所でしょうか。

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