全ての世界は図書館によって統治される。我々の住む世界もまた、図書館によって統治される世界のひとつだ。
 本は世界として扱われ、世界は本の中に存在する。小さなもので大きなものを閉じ込めているという矛盾ではあるが、矛盾でもない。
 古本屋のような臭いだ。この臭いを好く人間もいるが、住人たちは特になにも感じてはいない。本の臭いが好きかどうか、ではなく、本の臭いと共に暮らしている。だからそれは問題にならない。
 彼ら、彼女らは、一体どこから来て、どこへ行くのか。誰にとっても判らない。突然統治の立場としてこの世界に生きることとなり、自分たちの元いた世界に戻ろうとはしない。記憶をなくしているのか、記憶をなくしたように振舞っているのか、いずれにしろ、彼らは自分が元いた世界の話をしようとはしない。住人たちにとっての家はこの場所で、住人たちの住むべき場所はこの場所以外には存在しない。
 ここは、図書館。
 世界を司る図書館。
 彼らは、ここに住み、ここを使い、ここで生き、ここで過ごす。図書館に住むことで不都合はない、彼らはこの場所に満足していた。
「……っとと」
 東黒は本棚の整理をしながら、自分の周りの人物のことを考えた。彼女には記憶がない。記憶喪失の振りをしているのではなく、本の世界からこの世界に出てくる前の記憶を全く持っていないのだ。数年前のある日、この場所に生まれたものの、みなそれ以前のことは知らない。なぜ本の世界から出てこられたのか。なにか目的を持ってこの世界にきたのか。彼女は特に興味はないものの、時々考えるのだ。
「ボクの名前……?」
「くろ」
「あずま、くろ」
 不思議と、自分の名前は知っていた。なのでそう名乗ったし、彼女の周りにいる人物たちも、彼女のことをそう呼んだ。
 クロ、くろ、黒。瞳の色と同じ黒。天使のように柔らかな髪に、漆黒の瞳。単純に、彼女はとても可愛らしい。
 大きなひょうたんを右手に持ち、彼女は本を探していた。この辺りは遊戯・娯楽の区画。ビリヤードがやりたくて、ビリヤードの本を探していた。既に二冊・三冊手に持っているものの、満足いくものがなく、三時間も探し続けている。全世界の本がこの図書館に集まっているのだ。幾ら探しても限がない。
「ごくごく……」
「……ぷっ、は」
 ひょうたんの灯油を飲んで、再び本を探した。手首、首の関節を鳴らして、ぶるんぶるんとエンジン音を鳴らし、再び本を探す。くろの持つひょうたんにはケロシンが入っていて、これを飲むと調子がいいという。空を飛ぶという不思議な能力にはふさわしい行動ではあるかも知れないが、彼女のケロシンがどこで消化されているのかは彼女自身にも判らない。灯油の味よりも、重油の味の方が好きだと本人はいう。自動車に合わない燃料を飲ませると故障の原因となるのだが、果たして彼女はどんなエンジンを積んでいるのか。
 くろは図書館を見渡して、飛んだ。彼女から分離されているものの、四つのエンジンは不思議にも彼女の動力として存在する。ジェットエンジン並、いや戦闘機並だろうか。エンジンを点火させた少女は、フロアを大きく移動した。

 図書館は広い。広大である。
 何階建てなのか、端から端までどれほどあるのか、内部の詳細はオージンにしか判らないだろう。どれだけ飛んでも果てがない。
 英語、独語、仏語、日本語、様々な言語で書かれた本、本、本。図書館に住む人物はこれを読むのに難はない。本を読むには読みたいという意思があればよい。言語の違いはその意思によって補われる。この図書館がおさめている本は普通ではないのだ。
 なぜなら、この本たちは増え続ける。知識は新しい者に伝えられ、それを教わり、また伝えられる。その伝承を此処では味わえる。
 黒たちにはその本を管理する役目があった。また、その本に起こる異変を修復し、本を救う役目があった。図書館は本の異変が悪化すれば崩壊してしまうから、それは義務といえば義務であり、だからといってやりがいのあることだと、黒は思っている。
 図書館には、生活空間や鍛冶のできる空間なども存在する。それは図書館とは呼ばないのではないか、という声があるだろうが、圧倒的に比重が高いのは図書館の部分。恐らくどれほど探してもこれほどの規模のものは存在しない。フリズスキャールヴなどと呼ばれることもあるが、住人たちはただ単純に図書館と呼ぶ。
 歴史を管理している空間の割には、図書館そのものに対しての歴史は浅く、あまり語られることはない。
 それでも、
「……ふあぁ」
 だからといって、なにか困るようなことはない。
 住人たちが歴史について考える必要はない。少なくとも黒にとっては世界がどうであったかなどとても些細なことで、目先のビリヤードの方が重要なことだった。
 きゅぽん、とひょうたんを開き、再びケロシンを口にする。どうやらこのフロアにも目的の本は見つけられない。それならあとはリゾートの本の中にでも入り、ゆっくり本を読みながらくつろごう。彼女はエンジン音と共に手首を振り回し、図書館の中を飛んだ。
 ジェットエンジンの激しい音が上へ上へと登っていった。
 この図書館には彼女以外にも幾人かが存在している。絶対的に重要なのは、この図書館を統治しているオージンという存在。
 オージンとはなんだろう、時々彼女は考える。北欧神話に登場するオージンという人物と同一であるなら、彼女はメルクリウスとも同一で、彼女がメルクリウスであるなら、ヘルメースとも同一だろうか。彼女は神として捕らえられるべきなのだろうか。
「……なんのこっちゃ」
 神話には特に興味はない。彼女がもし神であるなら、神とはそれほどすごいものではないということだろうか。
 神は万物に幸せを与えるものでもなく、ただ統治するだけの立場なのだろう。神がいるからといってなにができよう。オージンは特になにも生みはしない。未来を占いはしないし、出会い人も招かない。
 黒から見て、オージンとはただの友達のようなものだ。神様の友達というのはすごいことなのだろうか。彼女はとてもそうとは思わない。彼女たちがいるからといって、それが世界に影響を与えたりはしない。彼女たちはただ見ているだけだ。
 だから彼女は自分のしたいことをする。
 住人たちは、そうして生きている。
「オージン、どこー?」
 黒はオージンを呼んだ。図書館の最上階、そこにはオージンのための高座がある。
 半透明、半分幽霊のオージンは人と接触する術を持たない。オージンはこの高座にいつも座り、世界を見渡す。此処にある本はすべてが彼女の有する世界で、図書館の精と呼んでもいい。
『はいはいちょっと待ってね』
 どこからともなく声が聞こえると、黒の目の前が歪み、そこから一人の少女が現れた。
 彼女がオージン。半分透けた女子が現れた。
『なんだくろか、ただいま三角』
「またきて四角。なんかしてたの?」
『図書館の内装いじってたんだよ、なんか物多すぎるしさ、ドン・キみたいになってきたから』
「ここって激安の殿堂なの? 洗剤ください」
『あ、いやそうじゃないけど』
 オージンがこの場所から動くことはない。彼女は自らの人生を始めた瞬間からこの場所にいて、この場所に永遠に存在し続けるのだ。
 彼女はものに触ることはできない。光に対しては半透明だが、物に対しては透明な体質で、唯一触ることができるのはこの高座のみ。
 本に入ることもできない。だが見ることはできる。テレキネシスの能力があって、それによって本を並べたり、身体を浮かべ続けられる。本に入ることができるのは住人たちだけの特権。だが、少しそれを羨ましく思っているところもあるらしい。
 だから世間に愛着を持ち、それを知ろうとする。神の立場など、誰もが羨むようなものかも知れないが、彼女からしてみればただの束縛で、鬱陶しいものなのかも知れない。
 黒はそう考えると、自分が激安の殿堂に行くべきなのだろうかと思ったが、金はないし、特に用もないのでやめた。
『で、どうしたの?』
「あ、そうそう。この本持ち出していい? ゆっくり読みたいからさ」
『うん、判った。期日は来週までとなります』
「うそっ、頑張って読むよ」
 此処に住む者たちに期限なんてない、オージンがただ意地悪をしていっているだけだ。
 オージンが冗談だよ、というと、黒はなんだぁ、といった顔をし、オージンはそれを見て笑った。こうやって冗談をいうことがオージンの楽しみのようだった。
「それじゃ行くよ、ありがと」
『うん。洗剤買うならあたしの分も買っといて』
「アタック?」
『幽霊ギャグのつもりだったんだけど……じゃあニュービーズ』
「柔軟剤は?」
『……要る』

 黒はよく、人を率いるタイプではないといわれていた。ふざけることが多いのと、時々冴えるも、いつも冴えている訳ではない、ということから。
 そういったことにはユースが向いているだろう。彼はおちゃらけてはいるもののしっかりしている。黒は自分のことを判っているのか、あまりリーダーになりたいとは思わない。自由がいい。そう思っている。
 彼女には彼女への役割がある。力が足りないところを補うように生きられればよいと、彼女は常々思っている。とはいえ、助けられる方が多い立場で、だから色々な知識を身につけたがる。ビリヤードの知識も、こじつけのようだが、いずれなにかに役に立つのだろう。
 そう、リゾートの椅子に座りながら思った。
「遠くにネキストを取るときは、厚みを薄く……どういう意味だろ?」
 本を読みながら、近くにエンジンを飛ばし、ビリヤードを模す。エンジンとエンジンをぶつけ合い、距離の感覚を考える。
 ビキニを着て、サングラスをかけ、暮れていく夕焼けを見ながら、波の音を聞き、エンジンをぶつけ合う。海岸には彼女以外誰もいなく、誰にもなににも邪魔をされずに、彼女はその瞬間を満喫した。
 ひょうたんにストローを刺して、ケロシンを飲んだ。本を利用すれば、瞬時に様々な世界に移動することができる。ちなみにいまこの空間は「世界のリゾートBEST10、死ぬまでに一度行ってみたい場所」航空業の出している旅行ブックで、彼女はもう何度も来ている。
 落ち着くためにはちょうどいい。というか、落ち着きすぎるくらい。二、三度間違って昼寝してしまっても、起きた際に喉が痛くならないらしい。
「あー」
「中身もうないや」
 ストローを吸うとずずずっと音を立てた。燃料がなくなった。
 実際のところ、彼女の生活に燃料は必要ない。本当に必要としているのは普通の食事で、排泄物は黒くない。彼女にとってのケロシンとは、一般人でいう煙草のようなもので、一種の暇つぶし。なくてもいいものであり、あってもいいもの。あってもいいものであり、なくてはならないものだ。
「……もしもしルームサービスさん? ガソリンスタンドって近くにあります? ちょっと行ってきてくれないですか? はい、あ、いえ、ひょうたん用です。いえ、飲むんです、はい。ボクがです」
 内線から不思議で不気味な注文をして、ぼぉっとする。エンジンを宙に浮かせ、またもや空に飛ばすと、勢い余って海に落ちた。
「あちゃ」
「……下手になった?」
「いや、気抜いたかも。リゾートチェアに座るときってビーサン脱いだ方がいいのかなぁ、とか思って」
「脱いだ方がいい」
 履きっぱなしの彼女に、男がいった。
「じゃ脱ぐ」
 なので黒はサンダルを脱いだ。
「なにかあった? ボクのこと呼びに来てくれたの?」
「異変。オージンが呼んでるからすぐ来るようにってよ」
「ニュービーズ買って来い、っていってた?」
「いってない。オージンって洗濯するのか?」
 銀髪で体格の良い男が彼女の隣に座った。ユース・クリエスは褐色の肌に、いつも薄着で、この場所にふさわしい人物といえる。そんな男が彼女を呼びに来ていた。図書館に戻れと。
「っていうか、なんだこの臭い。臭ぇ。なんじゃこりゃ」
「ケロシンだよ。戦闘機の燃料。飲む?」
「飲まねぇ……」
「空っぽだよーん、あっても絶対あげないもんね」
「だから要らねぇって……」
 彼女は暇な時間を邪魔されて、不機嫌だったが、ユースは時間がないのか、どうしても連れて行きたいらしく。
「ほら、その上にシャツでも着ろよ。終わったらまた来ていいから」
「ビキニの上にシャツ一枚で図書館まで連れ帰るエロス? ユースくん、求めすぎでしょう」
「早く来いバカ」
「あー、ちょっと待ってっ」
 黒は、ユースに頭を捕まれ、連れて行かれることとなった。
$合作小説【modified library】

 本の世界には様々な異変が起こる、ときに原因が判らない場合もあるが、おおよその異変は「本の痛み」によるものだ。本が破けると、大地が割れる。本が焼けると、火事が起こる。本が腐ると、病気が流行る。彼女たちの仕事は、そんな本の中に入り、異変を直すこと。
 大地が割れれば、橋をつくる。火事が起これば、それを消火する。病気が流行れば、それを沈める。
 異変の放置は図書館の崩壊に繋がる。となれば、住人たちは異変を解決しなければならない。その異変の解決のために、彼女たちは特別な能力を割り当てられていた。
 黒の能力は、エンジンを四つまで設置することができるというもの。トリッキーなようで、オールラウンドな動きを見せる。エンジンは彼女の意思で動き、空を駆ける。抗力に負けないようにステルスと同じような尖りを不可視のバリアとして生み出す、それにより自由な移動を可能としている。
 もちろん、彼女を捕まえたユースにもそれはある。頭に思い浮かべた武器や防具を身体から取り出すことができる。能力を有するものを生むができないことや、接触を怠ると消えてしまうことなどの制約はあるが、こと戦いに関していえば、彼はとてもいい勘を働かせる。強い、というより、上手い部類。
 そもそも戦うためだけの能力ではないものの、ユースに関していえば戦うことに優れているといっていい。
「ユースって手錠とかも出せちゃうの? ボク、手錠はやだなぁ……」
「ハッシュパピーとワイヤーがありゃあとりあえずなんとかなる。ここまできて逃げるつもりかよ」
「麻酔銃なんて粋じゃないや……逃げやしないけどさ」
 再び図書館に、オージンのいる高座の目の前まで戻ってきた。本の異変を戻すメンバーは四人全員揃った。オージンとアグナまでもがそこにいて、黒はいつもと違う雰囲気を覚えた。
「やばめ?」
 オージンが答えた。
『やばめ』