唄う uta-u
10/10(月)
アナログフィッシュ 『TOKYO SAVANNA』@日比谷野外大音楽堂
待ちに待っていた、アナログフィッシュの野音。
発表されたのは今年の始め。
そのときからきちんと手帳に予定を書き込んでいた。
だから、待ちに待っていたんだほんと。
でも、そのときには想像もしなかった意味をわたし自身が勝手に付加してしまっての当日だった。
わたしの抱く東京を描いてくれるアナログフィッシュのライブで、
わたしはこの東京という場所にケリをつけようと思っていたのだ。
東京のど真ん中で、『TOKYO SAVANNA』で。
*
9月に発売された彼らのアルバム『荒野/On the Wild Side』。
これがとても素晴らしかった。
もともとアナログフィッシュは、
すごく現実的で、自らの非力さをよく知っているバンドだなぁという印象だった。
だからこそ、高望みをしないし、自身の手の届く範囲半径1mくらいのことを歌っていて
その、妙に冷めた目線と感情の読めない曲がすごくしっくり来た。
下岡さんの書く曲にはいつでも「無関心さ」と「虚無感」とそれに対する「罪悪感」が詰め込まれている。
その構図は変わっていないのだけれど、
ライブで本人も触れていたように「罪悪感」とうまく折り合いがつけられるようになったのだと思う。
今までは、自身が抱く怒りや悲しみをぶつけることで
自分や誰かが傷つくことを恐れていたから、
“公平なワールドのバカ”としか言えなかったのだし、
“ルールを守り続けなくちゃ”と皮肉をこめて歌うことしかできなかった。
(公平なWorld/ROCK IS HARMONY)
彼の明確な変化にわたしが気付いたのは、
『Life goes on』だった。
“遠回りじゃないよ”
と、言ったのだ。彼が。
今まで、世間一般に言う「いいこと」をことごとく避けてきたように見える、あの彼が。
初めてこの曲をタワレコで視聴したときもブログを書いてるけど、すごく驚いた。
さらに、同曲内で
“やりたい事をやって
とても大切な人を
傷つけてしまったとしても”とも歌っている。
そして、今回のアルバムを代表するフレーズである、
“失う用意はある?
それともほうっておく勇気はあるのかい?”
(PHASE)
につながる。
もう、彼の中に迷いはないのだ。
何かを失うことや傷つくことを恐れていては、どうにもならない、と答えを出したのだ。
その覚悟を、
「ニュースとかみてると、あれ、これ俺も加害者じゃねぇかなって思うことがあって。
“お前も加害者だろ”って言われることを考えると、何も言えなくなるんだけど、
そういうヤジは消えないからさ、だからどうせならやりたいことをやろうと思います。
そんなことを考えて作った曲です」
と言って
『戦争がおきた』
を東京のど真ん中で、日比谷のど真ん中で、背筋をしっかり伸ばして歌っている姿にみた気がして心が震えた。
*
ライブ全編を通じて神々しいほどのライブだった。
ハンドマイクを持って大きく頷きながら歌う下岡さんはモーゼのようだったし、
白いシャツに照明が当たってスモークに包まれた健太郎さんは天使のようだった。
確かに変わっていくこのバンドを、
同じように自分自身も変わりながら、ずっと好きでい続けられる気がしてすごく嬉しくなった。
わたしが今まで抱きながらも形にできなかったことを
形にし続けてきてくれた彼らだから。
年をとると、説教めいたことを言いたくなったり、むやみにハッピーエンドを求めたりしてしまう。
でも、それを当たり前の回答としてではなくて、
その人なりの解釈と方程式を持った上で提示されるのならば、わたしはそれを歓迎したい。
変わらないものも変わっていくものも同等に価値のあるものだと思うから。
同じ時間軸を生きていく中で、
すれ違ってしまった悲しみよりも共感できることの喜びを大切にしたいから。
そんなことを感じた月が綺麗な夜だった。
アナログフィッシュ 『TOKYO SAVANNA』@日比谷野外大音楽堂
待ちに待っていた、アナログフィッシュの野音。
発表されたのは今年の始め。
そのときからきちんと手帳に予定を書き込んでいた。
だから、待ちに待っていたんだほんと。
でも、そのときには想像もしなかった意味をわたし自身が勝手に付加してしまっての当日だった。
わたしの抱く東京を描いてくれるアナログフィッシュのライブで、
わたしはこの東京という場所にケリをつけようと思っていたのだ。
東京のど真ん中で、『TOKYO SAVANNA』で。
*
9月に発売された彼らのアルバム『荒野/On the Wild Side』。
これがとても素晴らしかった。
もともとアナログフィッシュは、
すごく現実的で、自らの非力さをよく知っているバンドだなぁという印象だった。
だからこそ、高望みをしないし、自身の手の届く範囲半径1mくらいのことを歌っていて
その、妙に冷めた目線と感情の読めない曲がすごくしっくり来た。
下岡さんの書く曲にはいつでも「無関心さ」と「虚無感」とそれに対する「罪悪感」が詰め込まれている。
その構図は変わっていないのだけれど、
ライブで本人も触れていたように「罪悪感」とうまく折り合いがつけられるようになったのだと思う。
今までは、自身が抱く怒りや悲しみをぶつけることで
自分や誰かが傷つくことを恐れていたから、
“公平なワールドのバカ”としか言えなかったのだし、
“ルールを守り続けなくちゃ”と皮肉をこめて歌うことしかできなかった。
(公平なWorld/ROCK IS HARMONY)
彼の明確な変化にわたしが気付いたのは、
『Life goes on』だった。
“遠回りじゃないよ”
と、言ったのだ。彼が。
今まで、世間一般に言う「いいこと」をことごとく避けてきたように見える、あの彼が。
初めてこの曲をタワレコで視聴したときもブログを書いてるけど、すごく驚いた。
さらに、同曲内で
“やりたい事をやって
とても大切な人を
傷つけてしまったとしても”とも歌っている。
そして、今回のアルバムを代表するフレーズである、
“失う用意はある?
それともほうっておく勇気はあるのかい?”
(PHASE)
につながる。
もう、彼の中に迷いはないのだ。
何かを失うことや傷つくことを恐れていては、どうにもならない、と答えを出したのだ。
その覚悟を、
「ニュースとかみてると、あれ、これ俺も加害者じゃねぇかなって思うことがあって。
“お前も加害者だろ”って言われることを考えると、何も言えなくなるんだけど、
そういうヤジは消えないからさ、だからどうせならやりたいことをやろうと思います。
そんなことを考えて作った曲です」
と言って
『戦争がおきた』
を東京のど真ん中で、日比谷のど真ん中で、背筋をしっかり伸ばして歌っている姿にみた気がして心が震えた。
*
ライブ全編を通じて神々しいほどのライブだった。
ハンドマイクを持って大きく頷きながら歌う下岡さんはモーゼのようだったし、
白いシャツに照明が当たってスモークに包まれた健太郎さんは天使のようだった。
確かに変わっていくこのバンドを、
同じように自分自身も変わりながら、ずっと好きでい続けられる気がしてすごく嬉しくなった。
わたしが今まで抱きながらも形にできなかったことを
形にし続けてきてくれた彼らだから。
年をとると、説教めいたことを言いたくなったり、むやみにハッピーエンドを求めたりしてしまう。
でも、それを当たり前の回答としてではなくて、
その人なりの解釈と方程式を持った上で提示されるのならば、わたしはそれを歓迎したい。
変わらないものも変わっていくものも同等に価値のあるものだと思うから。
同じ時間軸を生きていく中で、
すれ違ってしまった悲しみよりも共感できることの喜びを大切にしたいから。
そんなことを感じた月が綺麗な夜だった。