大東亜戦争ってなんだ? | 学校では教えない歴史

大東亜戦争ってなんだ?

「大東亜戦争」とはなんだろうか?

政府は対米開戦後、支那事変(日中戦争)をふくめた目下の戦争を「大東亜戦争」と呼ぶことを決定している。

1928年6月の「張作霖爆殺事件」や1931年9月の「満州事変」が大陸侵攻のきっかけのような記載がある。1937年7月の盧溝橋事件~日中戦争への発展との記載がある。授業ではここまで触れるかどうか疑問ではあるが。

また、1906年に満鉄設立、1915年の「二十一ヶ条の要求」の記載もある。1927年の「東方会議」により満州における日本権益の確保を実力行使で行う旨の記載もある。残念ながら、中国への侵攻については関連付けられていない。

教科書では「大東亜共栄圏」の建設をはかり、資源確保が目的のような記載が目立つ。果たしてこの歴史解釈を一般常識として認識してよいのだろうか。


私は「大東亜戦争」は1905年の「ポーツマス条約」調印後に始まると考えている。


当時の日本は日露戦争遂行のため多額の外債で戦費を調達していた。この外債の償還のために賠償金を当てにしていたのだが、ロシアから賠償金を獲得することは出来なかった。獲得したものは朝鮮権益と旅順・大連の租借権、長春以南の鉄道及び付属利権、南樺太、沿海州及びカムチャッカの漁業権である。

明治政府首脳は「満州権益」から外債償還資金を得ようと考えたようである。もちろん政府首脳全員が同じことを考えていたわけではない。児玉源太郎のように外資(ユダヤ資本)の導入を考えていた政治家も若干存在していた。児玉源太郎は有力な首相候補でもあったので、もし児玉内閣が成立していたら歴史が変わったかもしれない。歴史のifはさておき、政府は「満州権益」は日本が独占するべきと判断した。もちろん当時の世論を勘案し、外資導入は難しかったのかもしれない。


植民地経営には多額な資金投入が必要である。後知恵であるが政府は多額な投資回収をどこまでシビアに考えていたのであろうか。

当時の国力を考えるに「朝鮮半島」と「満州」の植民地経営を行えるほど充実していたとは考えにくい。「国防」の観点から、大陸に緩衝地帯を必要としていることは理解できる。だが、植民地経営となると話は別だ。資本力も工業力、人的資源。どれひとつとっても植民地経営をするために必要なものは備えていない。あるのは「面子」だけである。


結局「満州権益」の独占を行ったため、日米関係は急速に悪化した。

仕方のないことである。新たな市場を求めるものは、市場への参加が出来なければ必ず不満を漏らす。帝国主義とはそんなものだ。植民地を経済的に独立できないように経営し、資源と市場を確保するものだ。

当時の日本は「列強国」のひとつに数えられていたが、国力から考えるに本当に列強国だったのだろうか。

狭い国土と過剰な軍隊。天然資源はほとんどない。だが、教育水準は比較的高い。工業力もそれほど高いわけではない。(決して低水準といっているわけではない。)


結局、「満州」と「朝鮮半島」の両植民地経営は赤字だった。「台湾」がやや黒字である。

当時の日本の国力では大陸植民地経営は無理だったのだ。無理を通しても道理は引っ込まない。

最終的には泥沼戦争への道だ。

一度始めた戦争は中々止められない。当たり前だ。戦争をどのような形で終えるかのビジョンがなかったからだ。ビジョンのない戦争は必ず破綻する。破綻は「無条件降伏」という形で決着がつく。


残念ながら、今の日本では「敗戦日」を「終戦日」、「占領軍」を「進駐軍」と呼びかえることでプライドを維持しているように感じられる。くだらないプライドは未だにアジアにおける日本の立場を弱めている。

そろそろ「反省すべきこと」と「主張すべきこと」を政治家は明確化すべきではないだろうか。態度を明確にすることではじめて国際社会で存在を認められるのではないだろうか。