暦の上では霜月を迎えた。
 カレンダーも後1枚を残すのみ・・・・・・

 大地の農産物も大半は最後の収穫期を迎えた・・・・

 加賀丸芋も1日には、会員・会友・賛助企業会員40名の参加を得て、
 一日かかりで大半を掘り終えた。

 街路樹の楓も艶やかな紅葉の演出を終えて静かに葉をカラカラと風に吹かれて
 路に降り注ぐ・・・・・・
 いや、本当にご苦労様でした。
 落ち葉はやがて厳しい冬の時間を経て、ボロボロと朽ち果て土に還る。
 
 そして、自らを美しき天然、自然の景観を助演する永遠の存在となる。
 

 実りを齎して呉れた大地に実りの分だけお礼をしよう。
 自然に優しい栄養分を返還しよう・・・・・

 何が良いか、鶏糞、油カス、骨粉、そして、内城菌肥料

 28年も実り豊かな歳月で有りますように・・・・・・

 生物悉皆成就
 

40年前、不慮の事故で産まれて間もない無辜のいのちを亡くした。
そのことはこころの片隅にずっと棘としてある。
仏壇に手を合わせてもすっきりと気持ちの晴れることは無かった。

金沢市立図書館が現在の金沢城公園の直ぐ下の大手町にあった頃、一冊の図書を手にした。
巻頭を飾ってあった一首の短歌に出遭う。
鎌倉時代の第三代将軍源実朝の作と書かれたその短歌は爾来、気持ちのよすがとするものであり、
知人に頼んで扁額にして貰い、今も仏壇の隅に飾ってある。

7年前に、心田開発を設立の折、この和歌が設立の趣旨にも似通うものがあるのでは無いかと思
い、採歌の由来を知りたくなった。
 出典を調査のところ、実朝作のものでは無いと判明した。
 そんな馬鹿な、ちゃんとした本として出版されているのに。
 それからは折々に図書館や実朝由来の諸施設照会やインターネットでの検索を試みたが、判明せず、忸怩たる思いを抱いて現在まで来た。

 最近、現職時の同僚で先輩でもあったM女子からある資料が送られて来た。
 作家大岡信氏の“折々の歌”の夏のうたの章に載った一首があった。
 そこには、捜し求めてついぞ見つからなかったあの和歌があったのだ。

 琉球全集所収散山節の歌で死別の悲しみの歌と記されており、
 山上憶良の“若ければ道行き知らじ幣はせむ黄泉の使負ひて通らせ”と同工異曲の沖縄の歌で
 詠み人しらずとあった。

 “あてなしのわらべ 道迷て泣かば おし戻ちたばうれ 阿弥陀仏”

  こころの疲弊したピュアな人格の再生に少しばかりのご支援をと活動する心田開発
  マインドの復活を導き賜う赤い糸、阿弥陀様は誰あろう、本人のこころのうちにあるのでは無かろうか?
 
 そぼ降る雨の中、28年度丸芋栽培の事前準備作業を始める。
 肥料と土壌改良剤併せて、600㌔を栽培予定地に散布した。
 一袋20㌔入りの袋を開けて、サンバーに移し変え散布する。
 もう好い年になった、無理も出来ないのに・・・・・・・
 同年齢のMさんがサンバーを背負う時に支えて呉れる。
 私もMさんがサンバーを背負う時に支える。

 サンバーを背負うとズシリと肩に重さが食い込む。
 背骨が悲鳴を上げる。

 70㍍の圃場を往復すること60数回、ぬかるみに転げそうになる。
 二人して、肥料を丁寧に撒く。
 
 この1年、除草剤散布、防除薬剤散布、除草ほとんど2人で組んで来た。


  中国も禅僧 寒山、拾得とは形容出来ないが、とにかくゆるゆると着実に
 時間を刻んだのだ。

  寒さは日増しに加わって来る、今週はトラクター耕運、トレンチャーによる
 畝の掘削、畝立て、藁敷き、そして、土上げ、溝切りと仕事満載・・・・・・

  老骨に鞭打ち、こなす。
 管理者が長期入院となり、面会も不可能で情報更新が暫時、不可能な状態が続いている。
 
 次善の方策を検討して対処することとした。
 NPO法人心田開発は11月3日 栽培圃場に会員・会友・賛助会員企業コマツ粟津工場社員
のボランティア参加を得て、総勢50名で収穫作業を行います。
 さらに友誼団体である障害者授産施設からの参加者を加えます。

 14ヶ月の栽培の成果はどのようなものか、いまから興味津々です。