夜中に思考が回って寝れなくなりました

プロローグ
【抽象度とは】
・情報量を少なくし、限定する条件を取り外していくことで、しがらみから自由になっていき、より大きな視点に立って物事を見られるようになる。(抽象度の低い思考で生きる人は、自分のことしか考えられない。自分の思想や感性、価値観だけが正しいと思い込み、それと相容れない相手がいると、対立する。)
・経験したことのない未知の問題に対し、これまでに経験したことや知識と、抽象度の高い思考とを結びつけることで、「答え」・・・具体的な解決策を見つけ出せる。(苫米地英人参照)
脳機能学者・苫米地英人さんによると、「抽象度が高い」というのは、「いかに高い視点を持てるか」ということなのだそうです。
「高い視点」をサッカーで例えるなら、二流の選手はボールしか追いかけていないのに対し、一流の選手はまるで頭のてっぺんに目が付いているかのように、高い所から試合全体を見渡せる能力を持っている。
つまり、ボールしか見えていないか、高い視点で試合全体を見渡しているかが、一流と二流を分けているのです。
頭の良い人や、一流選手ほど、「抽象度が高い思考」を行っているということです。
これを別の言い方で言うと、「IQが上がる」とも言います。
IQというのは、「抽象度の高い空間に対して身体性をもって操作できるか」という能力を言います。
IQが高い状態というのは、「いかに触れられない世界を自分の体で触っているかのように感じられるか」ということ。
言い換えるなら、「目の前にモノがなくても、あたかも目の前にあるかのように臨場感をもって感じられる脳」のこと。
さらに言うと、「感じたモノを操作できる」のが、優れたIQです。
しかし、今流行りの「頭を鍛える」系のゲームや、本で紹介されているトレーニングは、実はIQを高めるものではありません。
今ある知識の中から脳の運動神経を速くして、いかに最適な答えを求めるかという訓練をしているだけ。
サッカーで例えるなら、うまくシュートが打てたり早く走れるようにはなるけれども、試合全体を見渡せる高い視点と、臨機応変の事体に対処できる適切な判断力を鍛えていることにはならない。
なぜならそこには、「思考の抽象化」という要素が入っていないからです。
苫米地英人さんによると、抽象度の高い思考は、トレーニングによって鍛えることが可能なのだそうです。
それが身に付くと、一度に複数のことができるようになったり、今までの数十分の一の勉強時間でどんな試験にも合格できるようになったり、更に、どんなスポーツでも上達が速くなりすぐにプロ級の腕前になれたり、今まで一年かかったものを一日でマスターすることも不可能ではなくなるそうです。
つまり、「思考の抽象度の高さが、その人の能力を決定付けている。」ということです。(抽象度を上げる参照)


そのメールに気づいたのが深夜。
ジョーイとそのメールを熟読しているうちに、お互い寝れなくなりました。
何故なら「他人事」ではないからです。

かくいう私達も同じ状況に立っているのですから。

最初は出口のない迷路の中を、彷徨うような話しか出来なかったのですが・・・・・。
思考を整理する為に、ジョーイとリッツは下の部屋に行って話をすることにしました。


ジョーイ「今の状態のままでは、同じことを繰り返すだけだ。 俺達だって変わらないといけない。 最悪イロイロな人と繋がりがあるから、ジプシーのように流れて生きる方法もあるけど、地に足付けてシッカリと物理的にも精神的にもキチンと満たされている状態を作りたいんだ。」

ジョーイ「只、具体的にどうすればいいのかっていうのが、今一つ俺もはっきりと見えないんだ。」

この時リッツは初めてジョーイが「不安」を持っている事に気づいたのです。


基本リッツは脳天気なので、「何とかなるっしょ~~~」的思考で、
毎日生きているのですが、

やはり「子供が生まれる」「このままではダメだ」とジョーイは毎日毎日考えていたことに、
今更ながらに気付きました。
当然と言えば当然なんですが。

リッツはジョーイに依存していた自分に気付いたのです。
自分の脳天気さに愕然としました。

リッツ「(ジョーイは不安に思っているのに、私ってなんて脳天気だったんだろ・・・・。)」


最近ジョーイとハマっている事が一つあります。
それは「キングダム」という漫画の事です。

$へっぽこママの奮闘記30巻まで出てます

内容は、古代中国春秋戦国時代末期の始皇帝の話なのですが、登場人物の多さと画面の暑苦しさに圧倒される、女性は少し受付ない所があるかもしれません。
それを差し引いても「面白い!!」漫画なのです。

特に「武学」を学んだジョーイやリッツにとって、
「孫氏の兵法」を実践で駆使してる物語は、
手に取る様にリアルなのです。

実際に「孫武」が生きていた時代と、このキングダムの時代設定が重なり、
孫武の下りが出てくると熱くなったりします。
この物語の中では「孫武」は既に亡くなって数百年がたっているようですが。

さて、リッツが何を言いたいのかというと、
「抽象度」についてです。

今、主人公や後の始皇帝の住む「秦」の国は他の国の連合軍によって攻め込まれ、
亡国の危機に瀕しています。

連合軍を影で率いるのは、「趙」の軍師「李牧(りぼく)」。

$へっぽこママの奮闘記

「秦」の国には国に入る前に巨大な門を通らなければなりません。
そこが決戦の地になったのです。

$へっぽこママの奮闘記巨大な秦国の関所、函谷関(かんこくかん)

しかし李牧は連合軍さえも知らない計画を立て、山道を使い兵を送り、「秦」の国に侵入します。
必ず「秦」の国を滅ぼす完璧なる計画を実行してきたのです。

つまり「李牧」は最初から、
「秦」の国を滅ぼし、中国大陸の統一を自らが行う。

$へっぽこママの奮闘記秦国を滅ぼす強い決意を見せる李牧
という抽象度に立っていたので、目先の手段にこだわらず、誰にも気づかれず王都(首都)を目指します。

しかしそこに打って出たのが後の始皇帝、現秦国の王「政」です。
暴動の起きそうな首都を出て、首都の手前の城に数少ない兵を率いて、
人民を束ねて李牧達と闘う決意をします。

漫画では、「政」が出陣する場面で終わります。
この先が本当に気になるでしょう?

話は脱線しましたが、重要な事は「抽象度」です。
「政」は王に在りながら、壮絶な過去と現在は呂不韋生国(宰相最高位)によって
傀儡される位置にあります。

若干17歳の彼には強い決意があります。
「中華を一つにする」。
つまり、500年間争いの絶えない中国大陸を一つにして、平和な国を築く。

そんな誰も成しえなかった壮大な目的があります。
李牧は素晴らしい人格者でもあり、天才的な軍師ですが王ではありません。

中華を統一するには、中国大陸1の抽象度を持たなければならないのです。
人民を束ねる「王」として。

「政」はそれを自分がしなければならないという確固たる決意があるからこそ、
王宮の奥で縮こまる訳でなく、
兵士ではない人民を束ねる為、自らが打って出たのです。

$へっぽこママの奮闘記王自ら出陣する

漫画とはいえ、「抽象度」の事をこんなにも解り易く書いているのも珍しいと思います。

カナリの脱線をしましたが、リッツはジョーイに抽象度のことを伝えたかったのです。

精神性を追い求めると物理次元が伴わない事になってきます。
そのギャップの差で誰しもが苦しむのですが、
やはり物理次元のクリアが、目的達成への避けることの出来ない門です。

しかし物理次元で成功をされておられる方は、
必ず「高い抽象度」を持ち、沢山の人達に益しています。

つまり「自分だけ」ではないのです。
より多くの人に、
よりたくさんの人に。

自分の物理次元を見ると、「自分」に落ち込んでしまいます。
しかし、抽象度を高くして、より多くの人の為に
自分が存在している事。

自分が無そうとしている事を伝えれたらどうでしょうか?
沢山の人達が力を貸してはくれないでしょうか?

先出後入(せんしゅつこうにゅう)。 先に自らが出す事。 入れるのは後から。

目先の欲に囚われてしまっては、本当に何も見えなくなってしまいます。

今私達が、皆にできる事は何だろう?
労力を惜しまなく出してくれた人、お世話になった人、助けてくれた人。
そして助けてくれる人。

この人たちを素っ飛ばして、「自分が良くなりたい」は、
成立しないのではないだろうか?

言葉だけを連ねると、偽善臭い宗教チックに見えるかもしれません。
ですので、抽象度を保ちながら、目の前の物理次元をシッカリと認識する必要があるのです。

やはり「統一使命」に戻って来ましたね。


『問題とは理想と現実のギャップである。
理想と現実が明確になった時点で、問題は解決策となる。
つまり、問題はクリアできる課題となるのである。
byレノンリー』


抽象度を高く持つこと。
そして今目の前にある事を堅実にこなしていき、
データを取りながら軌道修正する事。

これが私達の行う事ではないかと、
話が落ち着き、
二人(三人)して遅い就寝を迎える事になりました。