秋風も寒くなりました。


私は疲れからか、鼻かぜ気味。


すべてそれ以外は順調な炉開きです。


炉縁も久しぶり、柿木のもの六畳の広間にはよいと聞きました。


まあ!


八畳ですがよいとしましょう。


なんとなく柿の木で、今年は炉開きがしたかったのです。


最初の師は、ある時炉開きに行くと鎌倉の海岸に流れ着いた流木で作ったよと、


見た炉縁は節がたくさんありましたが、今でも瞼に焼き付いてます。


師は、早稲田の理科系を出られた方で、上海でもお茶を仕事の合間に現地の方に教えていました。


その当時、茶道具屋さんは大陸にはありません。


師はたいていは自分で作ったと言います。


私が裏千家で茶名をいただいたときに新しい家に報告に行きました。


師は93でした。


90で鎌倉とも別れ、お寺の教室も閉じていました。


お嫁さんは少しボケてきたと言いましたが、私とお茶の話にはボケどころか前より鋭い考察でした。


今は宇宙物理学を息子さんとしていて、おもしろいと言います。


息子さんは都立高校の地学の先生、テレビでも講義をしていました。


茶名をとったという私に、人世悪いことばかりではないなと一言おっしゃいました。

 

帰り際に、師の宝物らしい李朝の大海の唐物茶入れを見せていただきました。


つくねという銘。


中国にいた時に頂いたそうです。


師が教えてくれていた時には、まだ私にはそれを見る資格もなかったようです。


師の遠くまで私を見てくれている愛情には、頭が下がります。


今は天国から、しっかりしろと声を軸からかけてくれます。


これが本当の茶の湯の師匠。


ただ順番を教え、呼吸法も教えない現状では何も本当の事は伝わらない。


師と弟子は一組で、二つに割れない。


限りなく新しい世界にもつながって、道を究める。


力囲とつ 我が宝剣 天に投げ打つ


利休さんの最後のお言葉である、前よりは少し近づいたように思う。