あっという間に、秋と思っていたら冬になる。


ここ数年、秋がないという。


あるが足早に過ぎていく。


もう飯田橋の木々は色付きはじめ、枯葉になる寸前のもある。


今日も明日も雨という。


明日は12月初めの寒さが来るそうだ。


母もあたしたちも早めの冬支度をしといてよかった。


明日から週末、日曜と古今伝授の茶会が続く。


あたしもその準備を今日終わる。


あとは大掃除をすればよい。


炉開きも進めている。


お餅と餡を教室の冷蔵庫に、


塩、砂糖も


鍋も今年は大中小、少々と四種類。


人数は変わらないが、皆さんばらばらに来るというあたしの予想。


お汁粉的には困る。


何度も温めてると味がかあるのである。


何しろ今年は、特別に五行棚と大板の炭の手前が最後のお稽古になる。


上級の方には古今伝授が始まる前に、


大板のルーツだけでも研究してほしいとこの取り合せなのである。


そして変化形の中置の炭、本番は火がある。


ここまでやっておけば、どこへ行っても恥をかかない。


だが、なかなかこの親心が通じる時代ではないようだ。


気持ちは分かるが、炭も灰ももうなくなるから貴重なのだ。


学ぶものがなくなる前に、本来の形を見て置くのは宝物なのである。




本来無一物 いずくのところにか 塵埃を払わん


禅が北方禅、南方禅に分かれた時の有名な言葉である。


人間にはなんの悩みも迷いもないもの、


無理をして修行といい、雑念を払うべき雑念もないという。


頓悟の禅が広く世界に広がるのである。


まさに、一華五葉に開き 結果自然になる という達磨大師の教えである。


一枚の照葉が落ちても、悟るのである。


心の中は師にしか見えない。