祖母の弟が浅草の国際劇場の横で食堂を始めた。


私が幼稚園の頃である。


その自分は浅草は、六区を中心に都心では一番賑やかであった。


そういうところには、


当然若い女性たちの危ないグループができる。


川端康成さんの世界には良く描かれていた。


うちの姉などもそんなものだったような気がする。


おじさんの浅草の店には子供のころよく行き、


あちこち連れて行ってもらう。


今日は本当に久しぶりに浅草の町を懐かしいところを家内と探索した。







東武日光駅がある松屋である。


祖母の田舎の兄弟たちは12人、みなこの駅に降り立ち商売をしていった。


一番のやり手のおじさんは、菓子工場をもち、デパートに自動車で送るという売り上げを誇った。


最後はマンション二棟、別荘も一等地を二軒持てば裸一貫で田舎から出てきたのも大いに誇りであったろう。









吾妻橋の向こうにツリーが見える、今日は行けなかった。

 


麦とろとドジョウのお店をやっと見つけた。


懐かしいがすっかり変わっていた。




雷門と言えばおこしである。








仲見世の昔から靴を買っていたお店も見つけた。


仲見世は楽しい。


子供のころから棒を持ち、背中に風呂敷を棚引かせて、飛び回っていたところである。


浅草わんぱく団といったところ














お寺はライトアップされていて綺麗だった。


外国の観光の方がたくさん来ていた。