名残の茶花、軸は清風明月を払う
心静かに、自らの雲も払うという意味で伝授に向けて季節ではないが掛けることにした。
今日で、奥伝、奥秘の方の古今伝授の式が終わる。
この次の日曜まで、兎に角伝授を受けた方は、復習なのである。
昔は、一回の伝授ですべてを覚えようと頑張った。
それなりに、身には着いたが、本来はそうでないことを最近知った。
古今伝授は、茶道の源を探り、今習っているお点前がどう変化して、このようになったかを知る旅と今は思う。
最初は順番だけで、精一杯!
私も若いときは、そうだった。
だが、だんだん学ぶうちにその源がお点前をしていて、分かるようになるから不思議。
私は説明しすぎるのか、皆さんの楽しみ、自分で知るという楽しみをなくしているのではと最近思う。
行台子も真台子もそのお点前の中にすべてが詰まっている。
歴史は1000年は、中国からだとあるから、言葉では言い尽くせないものがある。
まして、そのお点前は1000年の流れの中で順番も変わって、意味も変わってくる。
難しいものは、たった一度では覚えられないし、伝えきれないというのが本音。
それ故、古今伝授はまず初めて習う儀式のようなもの。
なんでも、最初の時が大変、それを乗り越えてお稽古していくのがベストなのだと思う。
生徒さんと共に、伝授をしながらも自分も学んできた。
今は順番の向うにある歴史の重みを感じながらお稽古をする。
名物ではなくとも、一度扱えば名物に見える扱いに、いまはお稽古している。
お点前は、満足してしまうとそれで止まる。
一生が、皆さんとお稽古と思う。
今度の日曜が、披露茶会。
次は奥秘で一番難しい、炉で真台子のお稽古である。
伝授ではないが、茶名の茶会では先生はいない。
上級者たちは、すべて自分でお点前をするのである。
その間に、炉開きもある。
兎に角、秋は茶の湯に忙しいのである。